藤谷治『ニコデモ』(小学館 1700円+税)は数奇な運命をたどる一人の男と、ある家族の物語。時は昭和、戦争前夜。裕福なキリスト教徒の家庭に生まれた男の子はニコデモと名付けられ、成長してフランスに留学して音楽にのめりこんでいく。一方、ニコデモが欧州に旅立つ前に出会い、彼に歌を披露した会津(あいづ)の少年、鈴木正太郎は北海道で家族とともに暮らしていく。やがて戦争が始まり、それぞれの人生も大きな変化を迎えることとなる。

 ニコデモの人生と、正太郎から始まる鈴木家の代々の物語が交互に進んでいくのが本作だ。どちらも戦時下、そして戦後の市井(しせい)の人々の暮らしが、予測もつかない成り行きのなかで生き生きと描かれ、それだけでも読ませるのだが、終盤になってある事実が判明して「そういうことなのか!」とびっくり。そこからじわじわと熱いものが胸に広がった。未読の方の興を削がないためにここには書かないが、これもまた、人に尽くすことについて考えさせられる内容になっている。

 昭和の銀幕の大スターだった女優と、大学院生の交流を描く吉田修一の『ミス・サンシャイン』(文藝春秋 1600円+税)もまた、「誰かのため」について胸を熱くさせる作品だった。

 大学院生の一心は教授の紹介で八〇代の女優、鈴さんの家で荷物整理のアルバイトをすることに。鈴さんは終戦直後から和楽京子という芸名で人気を博し、一時期はハリウッドでも活躍して高い評価を得、やがてテレビドラマや舞台にも出演するようになった大スター。のんびりしたお人よしの一心と、品も貫禄もたっぷりの鈴さんの交流の合間に彼女の来歴が語られていくのだが、いかにも実在しそうな映画監督や映画タイトルとその内容が次々紹介され、これが実に楽しい。戦後の映画史、映像史が見えてくるにつれ、女優としての鈴さんが、終戦直後には生命力あふれたはつらつとした若い女性像、のちにテレビドラマでは日本の母親像を体現するなど、年齢とともに世間が求める人物像にうまくハマって演じてきたことも分かる。

 一心と鈴さんはともに長崎出身。鈴さんは被爆者でもある。彼女の心の中にはいつも、同じように被爆してのちに命を落とした親友がいる。終盤ではその存在が、読者にとっても、とても大きなものになってくる。聞けば、本書の出発点は長崎の原爆を書く、というところにあったらしい。そこからこんな痛快な女優史と、世代が異なる者同士のユーモラスな交流の物語を編み出し、そして本を閉じる時には原爆で命を落とした人々への思いがしっかりと伝わってくる物語を作り上げる筆力に感嘆してしまう。

 葉真中顕(はまなかあき)『ロング・アフタヌーン』(中央公論新社 1650円+税)もまた、二人の女性の人生が浮き彫りとなる作品だ。

 まず最初の作中作が突拍子もなくて最高だ。「犬を飼う」というタイトルのそれは、少女が飼い犬とたわむれる可愛らしい話と思わせておいて、とんでもない事実が明かされる近未来もの。これは編集者の葛城梨帆が、かつて惚れ込んだ新人賞の応募作だと分かる。落選したものの作者の志村多恵に声をかけた梨穂のもとに、月日を経て新たな原稿が届く。それは「長い午後」というタイトルの中篇で、人生に絶望している女性が街で旧友と再会し、会話するうちに相手に苛立(いらだ)ちを覚えて……という内容。

 この作中作と梨帆の物語が交互に進むなかで、女性が人生で直面するさまざまな理不尽な問題が重なっていく。これは女性読者なら心当たりがある箇所も多いのではないか。やがて、どちらの物語も少しずつ不穏さを増していく。そのなかで、人は物語を書くこと、そして読むことに何を求めているのかといったテーマも浮かび上がってる。もう、圧倒された。

 
■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。