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●6月某日 『人類対自然』ダイアン・クック

 同居人が『キテレツ大百科』を知らず、コロ助すら知らなかったので、ウィキペディアとかネットの画像検索とか使ってがんばって説明した。同居人は年上なので世代が違うが、テレビアニメが放送されていた80年代~90年代に小学生だった私の世代にとって、『キテレツ大百科』『ドラえもん』とどちらが好きか議論になるレベルで有名である。身近にキテレツをミリも知らない人間がいることにかなりびっくりした。
 そんなやりとりをしていたから、スマホに着信があったのに一時間ほど気づかなかった。ようやく気づいた時には、さっき仕事でメールをした編集者さんからの連絡か、宅配便の配達員さんからの電話か、何かのセールスかと思った。そうしたらまた電話があった。要約すると、あなたが書いた『スタッフロール』が167回の直木賞の候補になったけど受けてくれる? という内容だった(実際はそんなカジュアルな言い方じゃないです、めちゃくちゃ丁寧に訊かれます)。
 直木賞の候補になるのは4年ぶりで3回目である。『スタッフロール』は非常に苦しんだ本で、「とにかく終わらせること」だけを考えて走りきったせいか、候補のことはほとんど頭になかった。選考会当日は家で身内だけで過ごし、落ちたらケンタッキーフライドチキンをデリバリーして食べようと思う。
 それにしても『スタッフロール』では、後半の主人公であるヴィヴが賞レースに敗れた経験から、腐ったり「望んで俎上に乗ったわけじゃないのに」などと愚痴を吐いたりするので、選考委員の先生方は気まずくなるかもしれない。すみません。

 ところで前回、推しの漫画の話をしたが、最近その漫画を描いている作者先生も推しになってきた。私がYouTubeでチャンネル登録をしているのはこの先生の番組だけである。なんかわからんけど推してしまうんだ……そしてそういう人は全国的に多いようで、チャットに潜り込むとみんなと聴く感じがしてすごく楽しい。ワットアワンダフルバーチャルワールドである。先日はスパチャ(投げ銭システム)を人生ではじめてした。これは脳内で快楽物質が出るタイプの課金だった。あまりハマりすぎないようにしたいところです。

 さて読書。
 ダイアン・クック『人類対自然』(壁谷さくら訳 白水社エクス・リブリス)を読み終わる。
 タイトルからは内容がちょっと想像しづらいかもしれない。本作は独立短篇集で、どの作品もいわゆる「奇妙な味」に分類される。どれも、自然――と呼ぶにはあまりにも何かが超越しているような、一線を超えた異形の自然であることも多い――に放り込まれたり、向き合わざるを得なくなったりした人間が、いろいろな意味で生き延びる話である。
 巻頭の「前に進む」は、夫を亡くした女性が、次に結婚するために女性用シェルターに連れて行かれるところからはじまる。この世界では、男も女も結婚しなければならず、配偶者を亡くしたり離婚したりすると特別な施設に入り、生活習慣や容姿を改善するためのアドバイスを受け、女性の場合は家事などの各種クラスを受講し、セミナーも強制参加になる。そしてだいたいの人が従順で、せいいっぱい結婚に向けて努力をする。はっきり言って地獄絵図である。内容は少し違うが、『夜の夢見の川 12の奇妙な物語』(中村融編 創元推理文庫)収録のキット・リード「お待ち」(浅倉久志訳)を思い出した。
 収録された作品のどれも、主人公が〝主人公らしく〟ないところが興味深く、面白かった。異様な状況を受け入れていたり、人のものを奪おうとしたり、卑屈だったり、性根がねじまがっていたりする。一般的な物語(それこそディザスタームービーのような)ではむしろヒーローと敵対するか、邪魔者扱いされるようなキャラクターが主人公になっている。これは皮肉なのだろうかと思ったが、巻末の訳者あとがきによると、著者のクックは、「利己的な面を持つ登場人物たちは自己犠牲的な英雄タイプではないが、自らにとって大切なものを救おうとしているのであり、そうした人々にこそ親近感を覚えるのだ」と語っているそうだ。なるほど、確かに著者は非常に洞察力に富んだ目と感性の持ち主なのだと感じたし、描写にもそれが現れていると思った。
 どれも面白かったが、個人的に気に入っている作品は、「最後の日々の過ごしかた」「やつが来る」だ。「最後の日々の過ごしかた」は、海面上昇で水没した世界に残った二軒の家のうち、一方の家主から見た物語である。彼は隣家を疎ましく思っている。なぜなら隣家の住人は英雄的で、避難民を迎え入れた結果、家が満員となってしまい、異臭や汚物などが敷居を超えてこちらまで押し寄せてきたからである。主人公は助けを求められても人を迎え入れず、ひとりきりで暮らしていたが、ある日……という話。
「やつが来る」は、パニック系のスプラッタ・ホラーである。会社で会議をしていると、警報が鳴り、「やつ」がやって来る。人がトマトみたいにぐちゃっと潰されて殺されていく最中、主人公たちはビルの中を逃げ惑う。「やつ」が何者なのかも、世界がどういう状況なのかもわからないが、まるでホラー映画の一番どぎついスプラッタ・シーンだけを取り出して再生しているような、妙な高揚感を得てしまう作品でもある。

 ちなみに帯に「ミランダ・ジュライ絶賛!」とあるが、実を言うと私はミランダ・ジュライがあまり得意ではないので、正しい読み方をしているかわからない。それでも独特の奇妙な読み心地を味わって、非常にうまい短篇集だと思った。

人類対自然 (エクス・リブリス)
ダイアン・クック
白水社
2022-04-02





 所用があって文藝春秋に行き、昼過ぎから一時間半ほどしゃべった。ついでに写真撮影をしてもらったのだが、通されたのが真っ白い壁の吹き抜けの部屋で、社内にこんな撮影所があったのか! とびっくりした。新刊が出たタイミングは新型コロナの感染者がまだ多かったため(今また増えてきているが)、宣伝には過去に撮影した写真を使ってもらったのである。
 着ていったのはおろしたての黒いワンピースで、お気に入りのブランドの服だ。仕上がった写真を見て、この服を買って良かったなと思った。今でこそ自分のためにお金を使えるようになったけれど、30歳になるまでは家族と借金のために稼ぐ必要があったので、おしゃれからは縁遠く、一着3000円くらいの服を着ていた。しかも、おしゃれしたい欲求はあるもののセンスがないから、しばらくはかなりちぐはぐな格好をしていたと思う。家族と借金から解放された35歳くらいの時は、カラー診断を受けたり、ルミネとかで1万円前後の服を買ってみたり、試行錯誤したが、後で複数の友人から「これはない」と言われてしまった。ぬぬう。それから別の、ものすごいおしゃれな友人に百貨店に連れて行かれ、色々なブランドを教えてもらい、自力で見つけた美容院に気が合う美容師さんがいて、その人にヘアカットをお願いするようになってから、結構自信が出てきた。
 ……という話を、文春からの帰りに池袋に寄って馴染みの中国東北料理店に入り、釣り人C氏(スケジュール管理とかメールの返信の代筆とかお願いしている)にしたら、「あー、以前は白いスニーカーも拒絶してたもんね」と言われた。そんなこと言ったっけ? 全然覚えてなかったが、思い返せば確かに、白いスニーカーは汚れるから履かないようにしていたし、足下が白いというのはなんかすごく「おしゃれです!」って感じがして怖かったのだ。ちなみにこの日、私が履いていたのは白いスニーカーだった。ワンピースにもカジュアルなスニーカーを合わせられるようになったのはごく最近のことだ。
 私は年齢を重ねていくごとに、外見に関する思い込みが薄くなったようだ。お金も余裕もなかったせいもあるけど、こういう格好は似合わないんじゃないかなとか、自分はこうしちゃいけないだろうなとか、やたらと人のアドバイスを聞いて卑下してしまうとか、そういう部分があった。それが年とともに癒えていったらしい。若さゆえの瑞々しさはもう手放しているし、着実に老けているが、かえって変な執着をしなくなったというか、等身大になってきた気がする。着たい服が買えるありがたさはめちゃくちゃある。
 久々に外で飲んで食べて、日付が変わる前に帰宅すると、昼からずっとしゃべり続けていたせいで喉がガラガラだった。しかし楽しい1日だった。

 というわけで読書。
 小川哲『地図と拳』(集英社)を読み終わった。
 桁(けた)が違う作品というのがこの世にはあるが、『地図と拳』は間違いなくその1冊である。
 はじまりは1899年夏、日露戦争前夜の松花江(スンガリー)の船上。ハバロフスクからハルビンに向かい、満州の奉天以南に渡って、ロシアとの開戦の可能性を調査せよと命じられた、つまり密偵の高木少尉と通訳の細川のふたり。彼らは下船時に捕えられるも、奉天の東にある李家鎮(リージャジェン)という村に資源があるかもしれないという情報を手に入れる。
 それから物語は1901年に移る。義和団の乱の後、李家鎮の長である李大綱(リーダーガン)は、奉天義和団の者にロシアとの戦いをはじめるよう迫られ、結局座敷牢に閉じ込められる。一方、義和団に襲われるロシア人宣教師のクラスニコフは……と、日本、中国、ロシアの、さまざまな人物に視点が与えられ、満州、李家鎮をめぐる侵略と殺戮(さつりく)、戦争が描かれていく。この手法は小川哲の第二作『ゲームの王国』に似ていて、誰が主人公になるのか、誰が今後どのような役割を果たすのかを探るように、読み進める。これが実に面白くて――まるで中身がわからない小箱を次々に開けていくような感じがして、私はこの書き方が大好きだ。
 物語は、歴史的に重大な出来事はむしろ背景に落とし込み、それよりも手前に、李家鎮という村がやがて街に、都市になっていく様と、住まいを奪われた人々、侵略者に抗う人々、この街に理想を見出そうとした人々を中心にして、時代を進めていく。最後の終着点は1955年である。

 本文は全部で625ページある。参考文献リストは合計8ページ。辞書かと思うくらいに厚いこの分量を、私はたった2日で読み切ってしまった。もっと早く読める人は1日で読んでしまうかも知れない。文字数もページが黒いと感じるほどあるが、とにかく先が気になってぐいぐい読んでしまう。登場する人物の思想や行動から目を離せずにいると、ふと退場し、また次の人物が現れ、再び目が離せず、今度もふいに違う人物に入れ替わり――そうやって進むうちに、あちこちに埋められていない伏線が張られているのがわかる。余計に気になる。そしてその伏線はすべて回収されるし、もっと驚きの展開が待っていたりする。何より魅力を放っているのは細川というキャラクターだと思うが、彼の取り扱い方がとにかくうまい。トリックスターというか……謎めいていて惹きつけられる。

 正直、降参だ!と両手を挙げてしまう。いったいどんな脳みそをしていたら、こんなに膨大なアイデアを緻密につなぎ合わせ、物語として立ち上がらせることが可能なんだろうか。小川哲は、漫画『呪術廻戦』に登場する〝最強〟の呪術師、五条悟なんじゃないか。

『地図と拳』はそのタイトルどおり、地図と拳がテーマになっている。地図とは、誰のために、何を目的として生まれたのか。拳とは何を意味するのか。
 満州にやってきた日本人の、中国の人々に対する侮蔑的な振る舞いや残虐な扱い、虐殺も描かれるし、日露戦争や大東亜戦争でこれまで戦いとは無縁だった人が兵士に変貌し、人を殺すようになる様は、まるで自分がそうしてしまったような錯覚を抱くほど真に迫っている。
 中盤、「戦争構造学研究所」という機関が現れる。戦争を回避するために作られた機関で、仮想内閣が仮想閣議を開き、現実にどのようなことが起きうるか、シミュレーションを繰り返す。これは現在から過去を振り返り、もしあの時ああだったら、こうだったら、と思いを馳せる行為を、現実に形にしたものかもしれない。たとえば今も、こうしていれば戦争が回避できたのではないか、もっと早く予想できていたら、違う未来があったのではないか、と思うことが非常に多いように。
 平和を実現させる、理想を形にする。作中の何人かの登場人物は、読んでいる私と考え方が共通していて、何とか具体的な策はないかと模索しては行き詰まる展開に、侵略や迫害、同化政策など私たちが行った愚かな過去を顧みて、現実の世界を重ね合わせた。
 小川哲自身が刊行記念エッセイで語っている。【しかしその一方で、僕たちは他人事ではいられない。戦争はまだ終わっていないのだ。「戦後」という抽象的な意味でもそうだし、戦後補償も完全には解決していない。海の向こうでは実際に戦争が起こっていて、その戦争には第二次世界大戦の影響がある。八十年以上前、僕たちが生まれるよりもずっと前の人たちによる愚かな行為の代償を、どういうわけか僕たちも引き受けなければならない。「日本が戦争をした」という文章を「僕たちが戦争をした」という文章に読み替えなければならない。】(https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/chizutokobushi/
 このことを改めて思い、本書は直球の反戦小説だと確信する。

『地図と拳』は都市と建築物の話でもある。人が生き、村が都市に発展し、住まいが形になり、広い公園が、モニュメントが生まれる。そして都市では人が争い、戦火が及ぶ。都市はやがて滅び、消えていく。
 この本は、この本そのものが建築物のようだった。壮大で美しく、複雑な構造をしているが統一感があり、理想と理論の両輪が備わった、物語という形の巨大な建築物。きっと読んだ人はこの建築物のことを忘れない。

 ここからは私の、小説家としての感じ方なので読書の感想とは違うが、書いておきたい。
 圧倒的才能の持ち主が目の前に現れると、自分の輪郭がはっきりとする。まるで雪がしんしんと降りしきる静かな日に、ひとりで立ち尽くしているような気分だ。足下の雪は誰も踏んでいない新雪だが、自分はその先に踏み出せるのかどうかわからない。戸惑う。引き返して、人の声がする賑わいに戻っても良いが、そこの雪はもう踏み荒らされている。独りでこの真新しい雪を歩くしかないのだ。それこそ白紙の地図を歩いているかのように。
 しかし踏み出してみると、案外楽しい。わくわくする。自分だけの測量機を持って、計測をはじめ、地図を描き出す。横を見ると、遠方に人影が見える。その人は私よりずっと先を歩いているが、呼びかけて手を振ると、手を振り返してくれる。
 そこには光がある。自分は孤独ではないと教えてくれる光が。

地図と拳 (集英社文芸単行本)
小川哲
集英社
2022-06-24


 
■深緑野分(ふかみどり・のわき)
1983年神奈川県生まれ。2010年、「オーブランの少女」が第七回ミステリーズ!新人賞佳作に入選する。13年、入選作を表題作とした短編集でデビュー。15年刊の初長編『戦場のコックたち』は、三つの年末ミステリベストランキングでベスト3にランクインしたほか、第154回直木賞、2016年本屋大賞、第18回大藪春彦賞の候補となるなど高く評価されている。著作に『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)、『この本を盗む者は』(KADOKAWA)、『カミサマはそういない』(集英社)、『スタッフロール』(文藝春秋)などがある。

オーブランの少女 (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2016-03-22


戦場のコックたち (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2019-08-09