日本SF史に刻まれる海洋SF巨編、オーシャンクロニクル・シリーズ。
その最新短編集『獣たちの海』を上梓された上田早夕里さんにお話を伺いました。
――『獣たちの海』はオーシャンクロニクル・シリーズの短編集です。まずシリーズの簡単な紹介をお願い致します。
地球規模の環境大変動で海の面積が拡大し、多くの人類が海上生活を余儀なくされた時代の物語です。ストーリーは、そこからもっと遠い未来にもつながってゆきますが、既刊分では二十五世紀あたりを描いています。環境変動期に世界大戦や文明の崩壊などが起きたので、人類文明は後退と前進を行きつ戻りつしており、その結果「あまり進みすぎていない感覚」を若干残した未来社会が描かれています。描かれる時代によっては、それ以前の社会よりも技術が後退していることすらあります。この「未来社会なのに、社会全体が歪(ゆが)んだ停滞状態にある」というのが、このシリーズの最も重要なポイントです。技術の発展はあるが、その恩恵を受けられない人々が大勢いる。先進的な思想と古い価値観が同居している。これらが常に衝突して葛藤する。それは現実の私たちの社会を拡大し、先取りしてみせた鏡でもあります。
そういった内容を、どのような年齢層の、どんな読者でも楽しめるように、海洋冒険小説のスタイルで描いています。
――これから読むなら、どの順番で読むのがよいでしょうか?
『魚舟(うおぶね)・獣舟(けものぶね)』(※シリーズ作品は表題作のみ)、『華竜の宮』、『リリエンタールの末裔』(※シリーズ作品は表題作のみ)、『深紅の碑文』、『獣たちの海』の順番です。出版上の事情から『魚舟・獣舟』だけ光文社文庫で、あとはハヤカワ文庫から出ています。
――シリーズ最初の一編「魚舟・獣舟」をお書きになったきっかけがございましたら、ぜひ教えてください。
プロ作家デビューする前から海洋SFを書きたいと思っていました。作家になる前は海運業界や医療業界にいて、若い頃には、スキューバ・ダイビングをしていたこともあります。海洋SFとしての原型にあたる作品を書いたのはアマチュア時代で、その後、長編海洋SFを執筆する機会を持てないまま、やっと短編の形で日の目を見たのが二〇〇六年初出の「魚舟・獣舟」です。光文社文庫の異形コレクションシリーズの『進化論』に掲載されましたが、このとき、作家であり編纂者でもある井上雅彦(いのうえ・まさひこ)さんから原稿のご依頼を頂いていなければ、いまでも世に出せなかったのではないかと思います。井上雅彦さんには、いくら御礼を言っても足りないほどのご恩を受けました。
――本書は「海上民とその社会に焦点をあてて執筆した作品群で、海上民からの視点で魚舟や海洋世界を描く」(『獣たちの海』後記より引用)作品集です。まず「陸上民」と「海上民」という設定は、どういったところから生まれましたか?
東南アジアには海上だけで生活する「漂海民」という少数民族がいて、私は一九八〇年代にTVのドキュメンタリー番組や文化人類学の専門書でその詳細を知りました。日本にも、かつて、九州や瀬戸内海に水上生活者が存在しました。いずれも、家族単位で船を持って海上で暮らし、ときどき陸に上がって働いたり、必要なものを調達するのです。このような人々が世界中に存在し、海洋環境に特化した文化があることは、物語を創造するうえでとても刺激になりました。
私の作品でも、海の人と陸の人は完全に分断されているわけではなく、海の人だけを相手に商売する陸の商人もいれば、陸の大学へ行って勉強する海の人も普通にいます。文化が衝突したり交じり合ったりするところに、SFらしいドラマを見出(みいだ)していく――という方針で書いています。
――海上民たちは「魚舟」と呼ばれる大型海洋生物の内部で暮らしています。船ではなく、生物の中に住む設定にされたのはなぜですか? またヒトとともに生まれるなど、「魚舟」にまつわる設定をどのように構築されたかもうかがいたいです。
オーシャンクロニクル・シリーズは、もとは地球の話ではなく、太陽系外の架空の海洋惑星を舞台に構想した物語でした。他惑星の架空生物について考えているうちに、魚舟と獣舟を思いついたのです。イギリスのSF作家スティーヴン・バクスターのジーリー・シリーズには「生きている宇宙船」が登場するのですが、邦訳された時にこれを読んで、とても魅了されました。そこから、機械船ではなく生物船で海を渡る民族を描けば、架空生態系の中でとても映えるだろう――と、ずっと考えていました。
その後、日本の沿岸で「分裂増殖する際に、植物型と動物型に分かれる不思議な海洋微生物」が新たに発見され、この科学ニュースからも刺激を受け、ヒトと魚舟の双子という関係を付け加えました。
最終的に地球の話に変更したのは、宇宙SFにすると、SFファン以外には読んでもらえない状況が当時はあったからです。ただ、生物船のアイデアは非常に魅力的だったので、そのまま残しました。SFでは生体を機械に置き換えてしまう話が多いので、あえて逆を行った部分もあります。体をつくる食料さえ確保できるなら生物の自己修復能力はあなどれない、部品の規格が合わないだけで修理不可能になる機械よりも、生物のほうが環境に対してフレキシブルに対応できる場合がある――と、SF仲間と共に話し合ったこともあり、有り得るとか有り得ないの問題ではなく、ひとつの思考実験として描く価値があると感じました。
――一編目の「迷舟」は「朋」と呼ばれる、自分の魚舟がいない海上民の物語、二編目の「獣たちの海」は乗り手を得られなかった魚舟の物語です。この二編の並びは想定されていましたか?
「迷舟」は、むしろ三編目の「老人と人魚」との関係で読んでほしい作品です。老人が若い頃に失った舟が、「迷舟」に出てくる赤い舟です。
――四編目の「カレイドスコープ・キッス」では、女性主人公とアシスタント知性体「レオー」と関係を築いていく過程が描かれます。アシスタント知性体では『華竜の宮』のマキも印象的ですが、本作ではAIが人間の相棒になっていく過程から描かれたお考えなどございましたら、お聞かせください。
子供とAIの関係はどこかで書くつもりだったのですが、どの時代のエピソードとして描くべきなのか、いろいろと事情もあって迷っていました。「カレイドスコープ・キッス」でちょうどいい時代を摑(つか)めましたが、今回は海上民の子供とAIの話だったので、陸上民の子供とAIの話がまだ課題として残っています。
『華竜の宮』を執筆したときにはiPhoneのSiriすらまだ存在していませんでした。あの頃と比べると、対話型のAIは身近な存在になりました。『華竜の宮』で描いた「人間の精神をAIにケアさせる技術」を、専門家がようやく、現実のものとして考えてくれるようになりました。
存在が身近になった分、これからも、もっと想像力を働かせる余地が生まれる題材となるでしょう。
――また「カレイド〜」にて、本作は女性同士の物語にしたほうがいいと閃(ひらめ)いた、魚舟が関連する「避妊・不妊」のお話を書き足しておきたかった、とのことですが(『獣たちの海』後記より)、そのあたりをもう少し詳しく教えてください。
たまたま同時期に執筆中の別の作品が、典型的な男性社会の話だったので、自分の中でバランスをとるために「カレイドスコープ・キッス」では女性を主人公にしました。このシリーズは、生物や命に関する出来事を大きな題材として扱っているため、生殖の問題は避けて通れません。SFで生殖を題材にするときには様々な方法があり、ジャンル的には突飛な設定が好まれたりもしますが、それは題材としては面白くても、必ずしも、現実で苦しんでいる読者の心の救いとはなり得ません。もっと違う描き方があるはずだと、ずっと考えていました。今回の形は長年の思考の成果のひとつです。
――SFは、どの時代、どの視点から描くのか、無限の選択肢がありますが、どのように構想していらっしゃいますか?
このシリーズに関しては、最初から世界のすべてが先に存在しているので、誰の視点から描くかということよりも、「いまの時代に書くのであれば、何を、どのような形で描くことが最も重要であり、必要なのか」ということを最優先に書いています。私が書いているのはエンターテインメント作品なので、どこかで必ず、読者にとって救いが必要だと思うのです。何が救いになるのかは読者ごとに違いますし、「これ」という正解があるわけでもありませんが、昨今は、特にこの点が求められている時代のように思えます。
――本誌読者に向けて一言お願い致します。
シリーズ作品は順番通りに読まないとストーリーが理解できない――という問題がありますが、幸い、このシリーズの第一作「魚舟・獣舟」は、四〇〇字詰め原稿用紙換算でたった四〇枚の短編です。文庫本だと二十六ページしかない短さです。まずは「魚舟・獣舟」を読んで頂き、文庫本で上下巻になる『華竜の宮』へ進んで頂ければ、シリーズ全体の構造はわかります。
ただし、シリーズの本質が明らかになるのは、「リリエンタールの末裔」と『深紅の碑文』に入ってからです。そして、『獣たちの海』を読むと、『深紅の碑文』に対する印象が確実に変わるのではないかと思います。
シリーズ作品を読むのは面倒だ、短編がいいという方には、光文社文庫の『夢みる葦笛』をお薦めします。海洋SFシリーズとは方向性が違いますが、とても読みやすいSF短編集です。癒やし系の歴史ファンタジーをお求めの方には、文藝春秋から単行本で出ている『播磨国妖綺譚』をお薦めします。これも短編シリーズです。
――オーシャンクロニクル・シリーズについて、次作はどんな物語になりそうでしょうか? またシリーズ以外の今後のご予定も、あわせて教えてください。
とりあえず「ルーシィ編」を早急に書き上げ、その次には、陸上民の物語をいくつかまとめようと思っています。これと並行して、シリーズ外の長編を書くための資料を読んでいる最中です。久しぶりに、スケールの大きな長編SFを書きたい気分になっているので、執筆速度をあげないといけません。毎年一冊は本格SFの本を出すのが理想ですが、生活のことを考えるとなかなか難しいですね。
地球規模の環境大変動で海の面積が拡大し、多くの人類が海上生活を余儀なくされた時代の物語です。ストーリーは、そこからもっと遠い未来にもつながってゆきますが、既刊分では二十五世紀あたりを描いています。環境変動期に世界大戦や文明の崩壊などが起きたので、人類文明は後退と前進を行きつ戻りつしており、その結果「あまり進みすぎていない感覚」を若干残した未来社会が描かれています。描かれる時代によっては、それ以前の社会よりも技術が後退していることすらあります。この「未来社会なのに、社会全体が歪(ゆが)んだ停滞状態にある」というのが、このシリーズの最も重要なポイントです。技術の発展はあるが、その恩恵を受けられない人々が大勢いる。先進的な思想と古い価値観が同居している。これらが常に衝突して葛藤する。それは現実の私たちの社会を拡大し、先取りしてみせた鏡でもあります。
そういった内容を、どのような年齢層の、どんな読者でも楽しめるように、海洋冒険小説のスタイルで描いています。
――これから読むなら、どの順番で読むのがよいでしょうか?
『魚舟(うおぶね)・獣舟(けものぶね)』(※シリーズ作品は表題作のみ)、『華竜の宮』、『リリエンタールの末裔』(※シリーズ作品は表題作のみ)、『深紅の碑文』、『獣たちの海』の順番です。出版上の事情から『魚舟・獣舟』だけ光文社文庫で、あとはハヤカワ文庫から出ています。
――シリーズ最初の一編「魚舟・獣舟」をお書きになったきっかけがございましたら、ぜひ教えてください。
プロ作家デビューする前から海洋SFを書きたいと思っていました。作家になる前は海運業界や医療業界にいて、若い頃には、スキューバ・ダイビングをしていたこともあります。海洋SFとしての原型にあたる作品を書いたのはアマチュア時代で、その後、長編海洋SFを執筆する機会を持てないまま、やっと短編の形で日の目を見たのが二〇〇六年初出の「魚舟・獣舟」です。光文社文庫の異形コレクションシリーズの『進化論』に掲載されましたが、このとき、作家であり編纂者でもある井上雅彦(いのうえ・まさひこ)さんから原稿のご依頼を頂いていなければ、いまでも世に出せなかったのではないかと思います。井上雅彦さんには、いくら御礼を言っても足りないほどのご恩を受けました。
――本書は「海上民とその社会に焦点をあてて執筆した作品群で、海上民からの視点で魚舟や海洋世界を描く」(『獣たちの海』後記より引用)作品集です。まず「陸上民」と「海上民」という設定は、どういったところから生まれましたか?
東南アジアには海上だけで生活する「漂海民」という少数民族がいて、私は一九八〇年代にTVのドキュメンタリー番組や文化人類学の専門書でその詳細を知りました。日本にも、かつて、九州や瀬戸内海に水上生活者が存在しました。いずれも、家族単位で船を持って海上で暮らし、ときどき陸に上がって働いたり、必要なものを調達するのです。このような人々が世界中に存在し、海洋環境に特化した文化があることは、物語を創造するうえでとても刺激になりました。
私の作品でも、海の人と陸の人は完全に分断されているわけではなく、海の人だけを相手に商売する陸の商人もいれば、陸の大学へ行って勉強する海の人も普通にいます。文化が衝突したり交じり合ったりするところに、SFらしいドラマを見出(みいだ)していく――という方針で書いています。
――海上民たちは「魚舟」と呼ばれる大型海洋生物の内部で暮らしています。船ではなく、生物の中に住む設定にされたのはなぜですか? またヒトとともに生まれるなど、「魚舟」にまつわる設定をどのように構築されたかもうかがいたいです。
オーシャンクロニクル・シリーズは、もとは地球の話ではなく、太陽系外の架空の海洋惑星を舞台に構想した物語でした。他惑星の架空生物について考えているうちに、魚舟と獣舟を思いついたのです。イギリスのSF作家スティーヴン・バクスターのジーリー・シリーズには「生きている宇宙船」が登場するのですが、邦訳された時にこれを読んで、とても魅了されました。そこから、機械船ではなく生物船で海を渡る民族を描けば、架空生態系の中でとても映えるだろう――と、ずっと考えていました。
その後、日本の沿岸で「分裂増殖する際に、植物型と動物型に分かれる不思議な海洋微生物」が新たに発見され、この科学ニュースからも刺激を受け、ヒトと魚舟の双子という関係を付け加えました。
最終的に地球の話に変更したのは、宇宙SFにすると、SFファン以外には読んでもらえない状況が当時はあったからです。ただ、生物船のアイデアは非常に魅力的だったので、そのまま残しました。SFでは生体を機械に置き換えてしまう話が多いので、あえて逆を行った部分もあります。体をつくる食料さえ確保できるなら生物の自己修復能力はあなどれない、部品の規格が合わないだけで修理不可能になる機械よりも、生物のほうが環境に対してフレキシブルに対応できる場合がある――と、SF仲間と共に話し合ったこともあり、有り得るとか有り得ないの問題ではなく、ひとつの思考実験として描く価値があると感じました。
――一編目の「迷舟」は「朋」と呼ばれる、自分の魚舟がいない海上民の物語、二編目の「獣たちの海」は乗り手を得られなかった魚舟の物語です。この二編の並びは想定されていましたか?
「迷舟」は、むしろ三編目の「老人と人魚」との関係で読んでほしい作品です。老人が若い頃に失った舟が、「迷舟」に出てくる赤い舟です。
――四編目の「カレイドスコープ・キッス」では、女性主人公とアシスタント知性体「レオー」と関係を築いていく過程が描かれます。アシスタント知性体では『華竜の宮』のマキも印象的ですが、本作ではAIが人間の相棒になっていく過程から描かれたお考えなどございましたら、お聞かせください。
子供とAIの関係はどこかで書くつもりだったのですが、どの時代のエピソードとして描くべきなのか、いろいろと事情もあって迷っていました。「カレイドスコープ・キッス」でちょうどいい時代を摑(つか)めましたが、今回は海上民の子供とAIの話だったので、陸上民の子供とAIの話がまだ課題として残っています。
『華竜の宮』を執筆したときにはiPhoneのSiriすらまだ存在していませんでした。あの頃と比べると、対話型のAIは身近な存在になりました。『華竜の宮』で描いた「人間の精神をAIにケアさせる技術」を、専門家がようやく、現実のものとして考えてくれるようになりました。
存在が身近になった分、これからも、もっと想像力を働かせる余地が生まれる題材となるでしょう。
――また「カレイド〜」にて、本作は女性同士の物語にしたほうがいいと閃(ひらめ)いた、魚舟が関連する「避妊・不妊」のお話を書き足しておきたかった、とのことですが(『獣たちの海』後記より)、そのあたりをもう少し詳しく教えてください。
たまたま同時期に執筆中の別の作品が、典型的な男性社会の話だったので、自分の中でバランスをとるために「カレイドスコープ・キッス」では女性を主人公にしました。このシリーズは、生物や命に関する出来事を大きな題材として扱っているため、生殖の問題は避けて通れません。SFで生殖を題材にするときには様々な方法があり、ジャンル的には突飛な設定が好まれたりもしますが、それは題材としては面白くても、必ずしも、現実で苦しんでいる読者の心の救いとはなり得ません。もっと違う描き方があるはずだと、ずっと考えていました。今回の形は長年の思考の成果のひとつです。
――SFは、どの時代、どの視点から描くのか、無限の選択肢がありますが、どのように構想していらっしゃいますか?
このシリーズに関しては、最初から世界のすべてが先に存在しているので、誰の視点から描くかということよりも、「いまの時代に書くのであれば、何を、どのような形で描くことが最も重要であり、必要なのか」ということを最優先に書いています。私が書いているのはエンターテインメント作品なので、どこかで必ず、読者にとって救いが必要だと思うのです。何が救いになるのかは読者ごとに違いますし、「これ」という正解があるわけでもありませんが、昨今は、特にこの点が求められている時代のように思えます。
――本誌読者に向けて一言お願い致します。
シリーズ作品は順番通りに読まないとストーリーが理解できない――という問題がありますが、幸い、このシリーズの第一作「魚舟・獣舟」は、四〇〇字詰め原稿用紙換算でたった四〇枚の短編です。文庫本だと二十六ページしかない短さです。まずは「魚舟・獣舟」を読んで頂き、文庫本で上下巻になる『華竜の宮』へ進んで頂ければ、シリーズ全体の構造はわかります。
ただし、シリーズの本質が明らかになるのは、「リリエンタールの末裔」と『深紅の碑文』に入ってからです。そして、『獣たちの海』を読むと、『深紅の碑文』に対する印象が確実に変わるのではないかと思います。
シリーズ作品を読むのは面倒だ、短編がいいという方には、光文社文庫の『夢みる葦笛』をお薦めします。海洋SFシリーズとは方向性が違いますが、とても読みやすいSF短編集です。癒やし系の歴史ファンタジーをお求めの方には、文藝春秋から単行本で出ている『播磨国妖綺譚』をお薦めします。これも短編シリーズです。
――オーシャンクロニクル・シリーズについて、次作はどんな物語になりそうでしょうか? またシリーズ以外の今後のご予定も、あわせて教えてください。
とりあえず「ルーシィ編」を早急に書き上げ、その次には、陸上民の物語をいくつかまとめようと思っています。これと並行して、シリーズ外の長編を書くための資料を読んでいる最中です。久しぶりに、スケールの大きな長編SFを書きたい気分になっているので、執筆速度をあげないといけません。毎年一冊は本格SFの本を出すのが理想ですが、生活のことを考えるとなかなか難しいですね。
上田早夕里(うえだ・さゆり)
作家。2003年、『火星ダーク・バラード』で第4回小松左京賞を受賞しデビュー。2011年、『華竜の宮』で第32回日本SF大賞を受賞。2017年刊行の『破滅の王』で第159回直木三十五賞候補となる。その他、主な著作に『魚舟・獣舟』『リリエンタールの末裔』『深紅の碑文』『夢みる葦笛』などがある。【本インタビューは2022年4月発売の『紙魚の手帖』vol.04の記事を転載したものです】