乾石智子 Tomoko Inuishi
ジュートを捨てる
『図書館島』は、根気を要求する本だ。わたしのような凡人には、一気読みなんか到底無理。まず改行が少ない。会話文もなかなか出てこない。それでもってこの厚さ、さらに二段組みときた。(単行本のときの話です)わあ! これぞ海外文学セレクション。(これ以降、ネタバレを含みますので、本文をご覧になってからつづきを読んでください)
一度めをようやく読みはじめたのは、単行本発売からしばらくしてのことだった。期待と敬意を抱きつつ本をひらいたものの、一文にからみつく多弁な言葉が、まるで森の中の骨にからみつく蔦のように繁茂していて、一歩足を踏み入れたのが運のつき、酔っぱらってしまった。頭の中で、きらめくビーズと川の照りかえしとむっとする大気と小鳥たちの姦しい鳴き声がごっちゃになり、〈石の司祭〉の激情と島の建物の冷たさ、〈夜の市〉の煙と血の匂い、東の果ての地の、寒くて干からびた大地に吹く風が、渦を巻く。こりゃたまらん、と最後までの道のりをあっちこっち読み飛ばして、結末もよくわからないままに本を閉じたのが二年前だったかしら。これだって、何日か――ひょっとすると一月以上――かけてようやく、のこと。
そのあいだに、『魔術師ペンリック』だの、『償いの雪が降る』だの、『鷹の王』だの、『三つ編み』だのと、全然系統の異なる本を同時進行で読んだ。『ペンリック』は楽しかったし、『償いの』は沁みたし、『鷹の王』は男たちの格好良さを堪能したし、『三つ編み』は人間の尊厳というものを考えさせられた。……それで、この、『図書館島』は?
難しい。面倒くさい。翻弄される。
そりゃね、異世界を構築して、まったく知らない世界に読者をひきずりこむのだから、言葉をつくし、言葉の蔦でからめとり、あらゆるエピソードで迷わせ、埋もれさせ、酔わせなければならないってことはわかる。それによって、読者は主人公と同じように、どこへ行きつくのか、どんな運命に巻きこまれるのか、不安と希望と絶望を味わうことになるのだから。これぞ、読書というもの、という気もする。昨今は、すらすら読めるのが良書ってことになっているけれど、それでいいのかっていう疑問も浮かんでくる。
ということで、今度は覚悟を決めて、再読に挑戦。二度めでも頭がくらくらする。溺れそうになったところで本を閉じ、正気に戻ったころにまたひらく。ふう。
やっと本筋をとらえることができた(と思う)。結末も理解した(多分)。だが、全編を掌中にしたか? ううん、もやもやしてわからないことが多すぎる。
まずジサヴェトの、この、八つ当たり的行動は何? それからジェヴィックはなぜかたくなに彼女を拒んだのか。最後に、「外なる魂」として、大切にされるジュートを、彼はどうして捨ててしまったのか。
よし、それではてはじめに、この、存在自体悩ましい少女ジサヴェトをちゃんと理解しよう。この子は十代の少女の典型だ。狭い村の中で生きている、まだ世界を知らない娘。自己中心的で批判精神が旺盛で、他者への要求がやたら多い。父親への圧倒的な信頼と尊敬、母親への軽蔑と嫌悪感。ま、これはね、女の子ならだれでもはまる湿地帯ですよ。深く、ずぼずぼといくか、あっさりと渡っていくかは別として。ああ、こんな嫌な人間だったこともあったわいな、と、過去をふりかえって頷きつつ恥じ入りもしたりするんです。自分の中の嵐と戦うのに、牙をむき爪をたて、寄らば斬るぞ、みたいなオーラを撒き散らすのは仕方がない。十代という不安定な時期がそうさせるのだから。だけどね、ジサヴェト、何もそんなにお母さんを罵らなくても。あんたにはもう少し感謝というものもあっていいんじゃないかと思うのよ。どんなに嵐が吹き荒れていようとも、その間隙に、「ありがとう」の一言はあるべきなんじゃないの?
……つまりは、感謝にも思いが至らないほどの、狭い世界しかもっていないってことか。
一方の、主人公のジェヴィックは、家庭内の軋轢があるものの、基本、苦労知らずで世間知らずのお坊ちゃんだ。そこにルンレが本と知識への情熱を注ぎこんでしまったものだから、頭でっかちの少年に育ってしまった。しかし、オロンドリアにやってきて、広い世界を知り、試練と経験で知識を裏打ちすることで、生きる力を身につけていく。
ところが、ジサヴェトにはそうした機会が与えられなかったのだろう。与えられないままに生命を奪われ、成長することも許されない天使(幽霊)になってしまった。ああ、少し見えてきましたよ。つまりは、それが、彼女の憾(うら)み、なのか。火葬されなかったがゆえに幽霊になってしまい、一度船の上で会っただけのジェヴィックにつきまとう。西洋の幽霊のように、驚かしたり仇をなしたりするわけでもなく、日本のそれのように恨みつらみを並べ立てて悩ませるわけでもない。彼女らしく、要求ははっきりと、「あたしをあの世に送って」「あ、でも、その前に、本(ヴァロン)を書いて! そうよ、あたしの物語を書いてちょうだい!」と迫ってくる。おのれの属した場所の掟や信仰、迷信にとらわれて、火葬してくれなきゃずっと迷ったままじゃないの、とジェヴィックを責めたてる。これもわからなかった。なぜ、ジェヴィック? 船上で会い、心惹かれた、ただそれだけの関係なのに?
ここに、「その世界」しか知らない人の悲劇がある、と考えたらどうだろう。異なった価値観、ものの見方、とらえ方を知らなかった、と。
実際に全く違う世界を呼吸し、体験し、角度を変えて物事をとらえる機会が、彼女にはなかった。狭い村に暮らし、村の価値観だけで生きざるをえなかった少女。彼女は一生(もう死んでいるけど)成長できず、見知らぬ広い世界にあってもその広さや異なる価値観を受けとることもできず、ただ一つ残された自己確認の方法を実行させようと、ジェヴィックに頼むのだ。「ヴァロンを書いて!」と。
ジサヴェトの強迫に対して、ジェヴィックもまた、強情に拒みつづける。苦痛を味わい、
眠りを妨げられ、ほとんど拷問に近い仕打ちを受けるのに。そのかたくなさには感心する。
坊ちゃま、意外と根性あるじゃないの。彼の意外性はもう一つある。アヴネアニー(交霊者、聖人)、と言われても自己陶酔などせずにその都度否定する。ふうん。つまりは彼、自己を客観視する力を持っているってこと。本をよく読む彼には、その力が自然と備わったと思われる。単に、死を受け容れられないのとは違うのだ。生と死のあいだの、あいまいな領域に足を踏み入れてはいけないと、頭でっかちに理解しているのだ。
「痛みは最悪ではない。最悪なのは間違っているという感覚、罪が暴かれるような感覚だ」「わたしの世界はその触れ合いによって穢され、永久に変わってしまった」
ところが、ずっと彼の面倒を見てくれていたミロスに死が迫ったときに、変化が訪れる。
死にかけているミロスを見捨てず、世話をしようとする。生と死のあいだに手をさしのべる瞬間だ。必要とあれば、ジサヴェトに懇願して食料を手に入れる算段をし、根気と忍耐と気力と知恵と、そして能動性を発揮する。流されつづけてきた彼が、変化する。世話されてきた者が世話する側になり、立場の逆転が起きたとき、それは、精神の反転になる。彼ははじめて、自分の足で立ち、歩く者となる。穢されたことも受け容れて。それゆえ、ヴァロンを書きはじめる。
ヴァロンを書いていくにつれて、彼はジサヴェトへの理解を深めていく。わたしたちだって、「こいつ、やなやつ」と一旦は思った相手でも、その人がどんな道を歩いてきたかを知るにつれて、理解し受容するようになるでしょ。ジサヴェトは赤裸々に半生を語るのだが、そこには噓がない。その、率直でまっすぐな少女らしい言葉、彼女の苦しみ、悩み、秘密まで明らかにしていく真実の語りは、ジェヴィックの心を揺り動かす。ジェヴィックに、新しい価値観が芽生える瞬間といえる。
ジサヴェトにしても、おのれを語ったあとにはじめて自分を客観視できるようになったのだ。彼女の中の世界が広がった。しっかりしたアイデンティティをえて、「違う世界」に行くことができるようになった。「もっと生きたかった」と、今こそ口にして。
ふう。ここまで思索してきてようやく、「ジュート」の象徴するものが見えてきた。「ジュート」は価値観ではあるまいか。固定化された狭い世界の中の、常識、掟、禁忌を象徴しているのでは。本は知識、知恵、世界そのものへの入り口、扉だ。ジェヴィックはそれを愛する。だからこそ、「ジュート」を捨てるのだ、とは、考えすぎだろうか。
一人勝手の解釈かもしれないけれど。読書の道案内になればうれしい。
(かえって沼にはまっちゃっても、本解説の関知するところではありません)