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●2月某日 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー

 某ギャグアニメにハマってしまって半月以上が経った。なかなか熱が冷めず沼から抜けられない……昔から、ハマるとそればかり食べるタイプなのでしょうがないのだが。
 夕飯を食べた後で、配信サイトからChromecastを通じてテレビに転送し、大きい画面で三話ずつ観るのが至福の時間だ。観終わった後もスマホやパソコンで細かい部分を再確認して楽しむ。馬鹿馬鹿しい話や「一体何を観させられているんだ」と戸惑うカオス回もあれば、皮肉が効いていてクレバーだなと感心する(考えすぎかもしれない)回もあり、次はどんな手を使ってくるんだろうとわくわくしてしまう。最推しの声優さんが主役を担当しているのも手伝って、ブルーレイを買うと決めている。
 それでも合間を縫って資料を読んだり、原稿を進めたり、小説家としての自分はどんなスタンスでいようかなどと考えたりしている。
 しかし眼精疲労がひどくなってきたのでそろそろ体調管理しないとなあ……

 さて読書。
 アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(小野田和子訳 早川書房)上下巻を読み終わった。話題作なだけに期待して読み始めたのだが、これがすこぶる面白かった。冒頭一行目からぐいぐい引きこまれ、ラストまで一気呵成に完走できる。
 しかしこの本を読書日記で取り上げるには重大な問題がある。一ページたりとも内容を紹介したくないのだ。
 これから読もうとお考えの方は、できれば帯も、公式の作品紹介文も読まずにいてほしい。一切の事前情報がない、あらすじも何が起きているのかもさっぱりわからない状態で読み始めることをおすすめする。いや、本当に、マジで。もしいくらか事前情報を得ていたとしても充分楽しめると思うが、「うっそだろ!?」と一緒に驚くためにはできるだけ避けるか、見聞きしたことはすべて忘れて下さい。
 ひとつ言えるのは、タイトルにある「ヘイル・メアリー」とは、アヴェ・マリアの意味、または、アメリカンフットボールで負けているチームが試合終了直前に放つ希望のロングパスのことを指す、ということだ。
 アンディ・ウィアーといえば映画『オデッセイ』の原作になった『火星の人』が有名だが、今作も負けず劣らず素晴らしい。あと翻訳も良くてめちゃくちゃ読みやすい。よくこんな軽いノリの文体で書けるなあと感心しきりである。
 ハマってる某ギャグアニメもそうだけど、どちらも「ギャグの裏側にある真面目さ」みたいな部分が通底しているような気がしている(いや、気のせいかもしれないが)。テキトーだったり毒気の強いブラック・ジョークだったりに見せかけて、物事や事象、もっと大きく言えば人間そのものをよくよく観察していなければできない芸当なんじゃないかと思ったりするからだ(再三だが見当違いかも。特にアニメの方はしょっちゅう、いい加減にしろゴルァ……とツッコミたくなるので)。
 ともあれ『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、軽妙さと悪ふざけと真面目の融合を好ましく感じる私の、ツボを絶妙に刺激してきたのは間違いない。

 某ギャグアニメやどこまでもノリが軽くしかし真に迫る深みを持つコメディ調小説に、今のタイミングで出会えてよかった。私は2019年頃から2021年いっぱいまで、小説家として肩にめちゃくちゃ力が入りまくっていた時期を過ごした。「期待に応えなければならない」「こんなこともできない自分は無能だ」「自分の旬はもう終わった」と思い詰めすぎてしまったせいなのだが、正直だいぶ疲れた。
 それがここ最近、背伸びして理想の自分に近づこうとするのではなくて、良い意味で諦めるというか、ある程度自己中になろうと思うようになった。できないことはできないと言う、自分の普通さを認める、それでいて芯は強く、慢心はせずにこつこつ技術を磨く。
 良い感じに脱力しつつ、柔軟に生きつつ、真摯(しんし)さは忘れずにいたい。そんな今日この頃である。

プロジェクト・ヘイル・メアリー 上
アンディ ウィアー
早川書房
2021-12-16


プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
アンディ ウィアー
早川書房
2021-12-16




 3回目のワクチン接種を翌日に控えて緊張していたら、スケジュールの管理やらメールの返信やら何やらを手伝ってくれているC氏から連絡があって、再び釣った魚を持ってきてくれることになった。
 マスクをしてマンションの入口に降り、C氏と会う。日頃、本当に人と会わない生活を送っているせいか、10分くらいの立ち話の間、私はあまり口が動かせずぼんやりしたままで、とりあえずサワラをもらって帰った。この会話力の低下ぶり、リハビリをしないと本気でやばいかもしれない。
「人と話す」って、何だ? いったいどうやっていたっけ? 話題ってどうやって見つけるんだっけ? 作者がそんなことで小説が書けるのか? いやー難しい。せっかく久々に人と対面しているのに無為に時間が過ぎて行くのは避けたいが、会話の糸口が思いつかないというか、思いついた端から吸収されてしまい、言葉として出てこないのだ。ともあれ、自分の脳内にある言葉をアウトプットせずにひたすら閉じこもっていると、だいぶまずいようだというのはわかった。

 次の日、近所の集団接種会場でワクチンを打った。1日目の午後までは腕のだるさだけで発熱もせず、頂いたサワラをしゃぶしゃぶにして食べることもできた。脂が乗っていてとても美味しかった。しかし夜中からすさまじい副反応に襲われ、2日目にびびって病院に行った。結果は何の問題もなく、念のために行った検査も異常なく、無事に過ごせたのでよかったが、ワクチン休暇を取れる制度づくりとかは必要だなあと思った。
 本当に早く終わってくれないかな、このコロナ禍。

 さて読書。
 パニコス・パナイー『フィッシュ・アンド・チップスの歴史 英国の食と移民』(栢木清吾訳 創元社)である。以前、刊行直後くらいに序盤だけぱらっと読んで、なんとなくそのまま放置してしまっていたのを、再びめくり、最後まで読み終わった。
 「フィッシュ・アンド・チップスといえばイギリスでしょ」と連想する方は多いと思うし、私自身そうだったのだが、歴史を紐解いてみると、違う側面、知られざる側面が出てくる。
 自国における食文化のアイデンティティを確保しようとした結果、歴史の浅いものだったり、元は他文化に由来するものだったり、それを食べる階級や民族を侮蔑したりしていたのに、手のひら返しよろしく自分たちの誇り高き文化として取り入れてしまう現象は、どこの国でもあるのかもしれない。そういう点も含めて、歴史をきちんと振り返る作業はとても大切だ。
 内容は論に少々重複部分が多いとはいえ、勉強になる1冊だった。移民や階級と、文化を吸収する現象に興味がある方はもちろん、フィッシュ・アンド・チップスそのものが好きな方もぜひ。
 かくいう私も、イギリス旅行をした際、はじめて訪れたホテルで、びっくりするくらい美味しいフィッシュ・アンド・チップスを食べて以来、大ファンである。あれはタラだったのか他の魚だったのか忘れてしまったけれど、フライがびしょびしょになるくらいビネガーをたっぷりかけて塩を振った、揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスは最高だった。
 また旅行がしたいなあ。イギリスにも行きたい。最近は海外に出ていなさすぎて、愛用していたフィンエアーのポイントが失効してしまったのだった。本当に早く終わらないかな、コロナ禍。この2、3年、そればかり言っている気がする。


 
●2月某日 ソ連の本いろいろ

 仕事中、ヘッドフォンをつけて音楽を聴くことがある。気になった曲があったらiTunesで検索して、ダウンロードする。ところが本気で集中したい時は音楽が邪魔になることが多い。頭の中で言葉を読み上げながら書くせいかもしれない。

 そんな呑気なことを考えていたら、ロシアのプーチン大統領が軍にウクライナ侵攻を命じた。最悪の選択だ。私は非常に大きな危機感を持ってニュースを読みながらここ数日を過ごしている。特に最近、仕事でソ連(主に冷戦下、ブレジネフ期)のことを調べていたので、気が重くて仕方がない。今すぐ侵攻と攻撃を中止してほしい。
 攻撃を受け、抵抗を続けているウクライナ国民の恐怖や不安を思うと心が痛い。そして、拘束されることを覚悟で侵攻への抗議デモを行っているロシア国民のことも思う。
 戦争は常に地球のどこかで起きていて、プリーモ・レーヴィの『休戦』が示すように、平和とは戦争と戦争の間の休戦状態なのだということが、真を持って迫ってくる。しかもまだコロナ禍が終わっていないのに、人間は戦争に走ってしまう。

 気が滅入って、ソ連の調べ物の手が止まっていたのだが、「今だからこそ知らなければ」との強い言葉に励まされて、読み続けている。

 鈴木俊子『誰も書かなかったソ連』(文春文庫)は現在絶版であるが、著者が1960年代のモスクワに実際に滞在していたため、ソ連について知るのにとても有力な本である。ソ連独特の会計システムに困惑したり、車の修理に四苦八苦したり、エッセイとしても面白い。古い本なので、現代の倫理観だとちょっとこの表現はどうなんだろうと思う箇所もなくはないけれども、真面目でありつつどこかおかしくて読み応えのある作品だ。
 それからイスクラ『ノスタルジア喫茶 ソヴィエト連邦のおやつ事情&レシピ56』(グラフィック社)も非常に優れた1冊だった。軽い読み物だと思いきや、これが勉強になる。レシピはもちろん、コラムも興味深いし、当時のお菓子の包み紙だったりソーダ水の自動販売機だったり、写真も豊富だ。食文化に強い興味を持つ私にはとても美味しい本である。
 他に『ロシア革命とソ連の世紀』(岩波書店)シリーズなども読んでいるのだけれども、某ギャグアニメ漬けでふわふわになった脳みそに鞭(むち)が打たれ、ごりごり刺激されている気分だ。これは完全に仕事用の資料なので読書日記として紹介するものでもないのかなと思うが、ソ連に詳しい方からおすすめされた本でもあるので、書いておく。とりわけ5巻『越境する革命と民族』は読むべきかもしれない。

 本当に世界はひたすら暗い方へ暗い方へと向かって突っ走っている気がする。私の好きなアニメ『平家物語』の主題歌「光るとき」には、とても素晴らしい歌詞がいくつもあるのだけれど(配信やCDで手に入るのでぜひ)、しかしそうは言ってもなあ、と落ち込んでしまう私がいる。
  たとえばよくある言い回しに「明けない夜はない」があるが、そんなものを説いたところで、今ここで命を落とした人にはもう朝は来ないわけで。結局生きている人しか夜明けを迎えられないのだ……できるだけ多くの人が夜明けを迎えられる世界になってほしいと祈るが、祈っているだけでも仕様がない。
 反戦小説をこれまで2冊書いてきた自分にできることは何だろうなと考えつつ、間もなく夜を迎える窓を見ている。


■深緑野分(ふかみどり・のわき)
1983年神奈川県生まれ。2010年、「オーブランの少女」が第七回ミステリーズ!新人賞佳作に入選する。13年、入選作を表題作とした短編集でデビュー。15年刊の初長編『戦場のコックたち』は、三つの年末ミステリベストランキングでベスト3にランクインしたほか、第154回直木賞、2016年本屋大賞、第18回大藪春彦賞の候補となるなど高く評価されている。著作に『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)、『この本を盗む者は』(KADOKAWA)、『カミサマはそういない』(集英社)などがある。

オーブランの少女 (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2016-03-22


戦場のコックたち (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2019-08-09