三村美衣 Mii Mimura
本書『永遠の真夜中の都市』は、チャーリー・ジェーン・アンダーズが二〇一九年に発表した長編The City in the Middle of the Nightの全訳である。ファンタジー色の強かった前作『空のあらゆる鳥を』から一変、遠未来の植民惑星を舞台にした本格SFとして高い評価を受け、ローカス賞のSF長編部門を受賞、ヒューゴー賞やアーサー・C・クラーク賞の候補にも選出された。
地球の環境が悪化した結果、宇宙への移民を余儀なくされてから、さらに何世代もの時を経た遠い未来。人類が入植した惑星ジャニュアリーは、自転と公転が同期しており、常に同じ面を太陽に向けている。昼夜が交替することはなく、太陽に照らされた半分は灼熱の地獄で、反対側は凍てついた永遠の闇の世界だ。もうちょっとマシな惑星はなかったのか、と突っ込みを入れたくなるが、移民当時の状況はほとんど明かされていないので、これが不可避な選択であったのかどうかは不明だ。ともかく、人類は昼と夜の境界にある細長い黄昏ゾーンに都市を建設するところから始めた。最盛期には複数の都市が出来、都市間には地下鉄道も敷設された。しかし自然との戦いと、人間同士の諍いによって衰退し、今はシオスファントとアージェロのふたつの都市を残すのみだ。
二つの都市は対極的だ。シオスファントは最初期の入植地で、山脈の陰にあり、山からの反射光で常に淡い光に包まれている。宮殿を中心に計画的に設計された城郭都市で、家々の窓にはシャッターがつけられ、時計によって一日の進行は管理されている。この町では人々は一斉に眠り、一斉に起床する。対するアージェロは混沌とした眠らない町だ。建物の大半は地中にあり、時間の概念もほとんどない。町は九つのファミリーに支配され、貧富の差が激しい。
物語はそれぞれの町で暮らすふたりの女性の視点から語られる。
ソフィーはシオスファントの貧しい家の生まれながら、名門大学に通う女子大生だ。内気な性格で、特権階級の同級生たちの間で縮こまって暮らしている。ルームメイトのビアンカは、町の管理者となるべく英才教育を受けて育ったが、革命を夢見る学生たちのセクトに所属している。二人は互いの自分にない面に惹かれあっていた。しかしある日、遊び半分に学校のお金を盗んだビアンカが警官隊に摘発されそうになり、ソフィーが身代わりとなって逮捕されてしまったのだ。警官隊はソフィーを尋問することもなく、そのまま町の外に連れ出し、山の峰から夜の側へと彼女を突き落とした。ソフィーは闇の底で、ワニと呼ばれる原住種に助けられ、九死に一生を得る。ワニは、ソフィーを温めるだけではなく、自分たちの記憶を分け与えた。それは氷の下に広がる薔薇の花のような形状の都市の姿だった。目も耳もないワニは、人間が思っていたような下等な獣ではなく、知的生命体だったのだ。
もう一方の主人公、マウスは、都市に属さない〈道の民〉の生き残りだ。現在はアージェロに住み、パートナーのアリッサと共に運び屋をしている。マウスは幼名だが正式な名前をもらう前に一族が滅んでしまったため、自分は不完全な存在だと感じている。ところがアリッサ共々仕事で訪れたシオスファントで足止めを食らった彼女は、宮殿の宝物庫に〈道の民〉の宝があることを知る。どうしてもその宝が欲しいマウスは、宮殿の襲撃を計画する革命組織の女性、ビアンカと接触する。
こうしてソフィー、ビアンカ、マウス、アリッサの四人の女性の運命が交錯し、物語は都市を隔てる荒野と〈殺しの海〉を超え、アージェロへと移る。
植民地社会の歪みや、環境問題、異質な原住生命体とのコンタクトといったテーマは、『所有せざる人々』や『闇の左手』といったル・グィンの《ハイニッシュ・ユニバース》を彷彿とさせる。そして古典的と言ってもよい物語を牽引するのが、トラウマや疎外感を抱える若い女性たちだ。彼女たちの感情のもつれや連帯感といったYAテイストが巧みに働き、物語は驚くべき方向に展開していく。
アンダーズは、二〇二一年に分断とCovid-19で疲弊する現在の若者に向けたセルフケア的創作指南書でもあるエッセイNever Say You Can't Survive: How to Get Through Hard Times by Making Up Storiesを発表した。
アンダーズは幼少期に感覚統合障害があり、小学校にあがった頃は鉛筆を正しく持つことさえできなかった。特別支援学級に入った彼女は、新任のペニントン先生の丁寧な指導によって文字が書けるようになった。さらに先生は学習を進めるために、教え子の豊かな想像力を利用することを思いつく。こうして物語を書く楽しさを覚え、作家への道を歩きはじめた。
プロ作家の道を歩きだしたアンダーズは、二〇一六年に発表した第二長編『空のあらゆる鳥を』で数々の賞を受賞し注目作家となる。そしてその年の大統領選挙でドナルド・トランプが第四十五代合衆国大統領に選出された。トランス女性であるアンダーズにとって、それは恐怖以外の何ものでもなかった。パニック発作を起こし、取り掛かっていた長編の続きを書くこともできなくなった。しかし、恐怖から抜け出るためにアンダーズが選んだ方法もまた、物語を書くことだったのだ。トランス女性を主人公にしたディストピア小説Don't Press Chargesand I Won't Sue(二〇一七)は、ガードナー・ドゾアから現代版の『城』だと絶賛され、シオドア・スタージョン記念賞を受賞する。
そして、この時中断した長編こそが、本書『永遠の真夜中の都市』なのだ。
トラウマは個人の中にあるだけではない。たとえば大災害や戦争などでコミュニティが抱える集団的なトラウマも近年大きな問題となっている。傷ついた人がその原因となる出来事を封印するように、集団においても圧力となる記憶は封印される。つまり歴史の抹消だ。アンダーズは出版社のウェブサイトに掲載したTo Write About the Future Is to Represent the Past(https://www.tor.com/2020/02/18/to-write-about-the-future-is-to-represent-the-past/)というエッセイの中で、SFはトラウマとしての歴史に向き合うことを助けうるジャンルだと語っている。たとえば植民地を宇宙の遙か彼方に置き、特殊な環境を設定し、原住種を人とはまったく異なる異形にすることで、トラウマを抱える人々も安全に向き合うことができる。そしてその認知の先、本書でいえばソフィーとゲレト(ワニに対してソフィーがつけた呼び名)の邂逅の先に、新しい未来を構築することこそがSFに求められていることなのだろう。
最後に嬉しいニュースをひとつ。
「エクスパンス─巨獣めざめる─」のプロデューサーであるシャロン・ホールと、ソニー・ピクチャーズ・テレビジョンが、本書の映像化権を獲得したというニュースが伝わってきている。実現すればゲレト(私の貧相なイマジネーションではワニの着ぐるみをきたクトゥルーさんを想い浮かべるのが精一杯)が動く姿を見ることができる。
【編集部付記:本稿は『永遠の真夜中の都市』解説の転載です。】
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。