◎INTERVIEW 注目の新刊 辻堂ゆめ『トリカゴ』
ご自身初の警察小説であり、無戸籍問題を題材にした社会派ミステリでもある新刊『トリカゴ』を上梓(じょうし)された辻堂ゆめさんにお話をお伺いしました。
――『トリカゴ』は、殺人未遂事件の容疑者が無戸籍だった、という展開から物語が始まります。まず、無戸籍問題に興味をもったきっかけから教えてください。
これは、正直に申し上げるととても変な経緯なのですが……デビュー作の『いなくなった私へ』(宝島社文庫)に寄せられた読者の皆様の疑問がきっかけです。自分はここにいるのに世の中では死んだことになっている、という不可思議な状況に追い込まれた二十歳の女性が主人公のSFミステリなのですが、読んでくださった方々から、「主人公の女性は、戸籍も保険証もないのにこの先どうやって生きていくの?」という疑問の声が聞こえてきまして。執筆当時は世の中のことをよく知らない大学生で、「戸籍って、何らかの制度を使えば新しく取得できるものなんじゃないの……?」などと軽く考えていたのですが、よくよく調べていくと、そんな簡単な問題ではないことが分かってきまして……。デビュー前の自分の考えの至らなさを反省し、恥ずかしく思うと同時に、この日本で無戸籍の方々が置かれている状況への憤(いきどお)りも覚え、世の中に広く知られているとは言えないこの社会問題に真剣に向き合う作品をいつか書いてみたいと、ずっと構想を温めていました。
私の作品は、テーマや物語の流れからスタートすることがほとんどで、『トリカゴ』も例外ではありませんでしたね。
――そうだったんですね。無戸籍問題についてお調べになっている中で、印象に残っていることなどございますか?
参考文献にも挙げた『無戸籍の日本人』(集英社文庫)、『日本の無戸籍者』(岩波新書)の著者である井戸(いど)まさえさんのお子さんが、実際に危うく無戸籍になるところだった、というエピソードには驚きました。作中にも書いた民法七七二条(嫡出(ちゃくしゅつ)推定制度)のケースで、離婚から日を置かずに新しいご主人とのお子さんを妊娠したことが原因だったそうです。元夫に嫡出否認の手続きを取ってもらうか、もしくは元夫に対して父子関係がないことの確認を求める裁判を起こさなければ戸籍の記載が修正されないという困難な状況に立たされた井戸さんが、血縁上の父を相手取って自らの子であると認めさせる強制認知の裁判手続きの道を新たに切り開かれたことには、深く感銘を受けました。と同時に、行動力と知識を兼ね備えた井戸さんのような方が当事者にならない限り、理不尽な制度が改善されないという社会のあり方に、計り知れない恐怖も覚えました。
――無戸籍問題については、身近にありながら全く知らなかったという感想も多くいただきました。そして『トリカゴ』は辻堂さん初の警察小説ですが、警察小説を書いてみたいと具体的に意識されたのはいつ頃でしょうか?
書きたいと意識したのは、デビュー直前くらいでしょうか。ミステリ作家を名乗るなら警察は書けないと、という義務感のようなものがなぜだかありました。横山秀夫(よこやまひでお)さんの『64(ロクヨン)』『第三の時効』などが大好きで、こういう物語を描ける方に憧れていて。でも、この分野はマニアの方も多いですし、警察組織や捜査の進め方というのは非常に複雑で、部署や立場によって仕事内容がまったく変わったりもするので、なかなか自信が持てなくて。それでもいつか書いてみたいという思いを胸に、デビュー直後から特に執筆の予定もないのに警察組織関連の資料を何冊も集め、蛍光ペンを引いたりして一生懸命読み込んでいました(笑)。あとは、警視庁で刑事として働いている友人の話を熱心に聞いたりも。そんなコツコツとした積み重ねが、作家七年目でようやく『トリカゴ』に繋がったように思います。
――警察小説の中でも、出産を経験し、刑事として現場に復帰した女性を主人公にしたものはかなり珍しいと思います。
以前、子育てと第一線の刑事を両立している女性のドキュメンタリーをテレビで見たことがあり、なんてカッコいいのだろうと一瞬で魅了されました。育休から復帰した後は緊急性の高くない内勤の部署に配置換えになる女性が多く、刑事を続ける選択をするのはなかなか珍しいことなのだと知り、そういった困難な道にあえて挑む女性の話を書いてみたいと思いました。それには配偶者をはじめとした周りの協力が必要不可欠なわけで、そういう事情も含め、今作では描いてみたつもりです。『トリカゴ』を構想したときに私自身が第一子を妊娠中だったことも、設定に影響したかもしれません。
――里穂子(りほこ)がバディを組む特命捜査対策室の羽山(はやま)の登場も最初から構想にありましたか?
いえ、最初は主人公の里穂子を活躍させることしか考えていませんでした(笑)。ただ、二十年以上前の誘拐事件も絡んでくる中で、所轄署勤務の彼女だけで捜査を行おうとするのはやはり現実的ではありません。そこで、羽山というキャラクターが生まれました。捜査で関わる「恵まれない」人々を何とかして助けたいと願ってしまう里穂子と、手柄を上げて組織内で昇進や栄転をすることしか考えていない羽山。正反対の二人が利害の一致により協力し、その相乗効果で事件を解決に導けたら理想的だな、と。ともに捜査に取り組むペアの二人の関係性の描写は、警察小説の魅力の一つですよね。
――そうですよね。二人の捜査対象となったのが、無戸籍のハナです。彼女が暮らすのが無戸籍者の集まる生活共同体という設定には、ひじょうにリアリティがありました。
これに関しては、特にモデルにしたものやきっかけがあるわけではなく、すべて私の頭の中で生み出した想像です。無戸籍問題を取り上げてみたい→もし私が無戸籍だったとしたらどんな生活を送ろうとするだろう→自分という存在を冷遇する日本の社会に頼ろうとは思わないはずだ→では同じ境遇の人たちだけが集まる安全な場所があったとしたら――? そんな連想から生まれたのが、「ユートピア」の設定でした。
――戸籍を持つ側の里穂子、戸籍がない側のハナがいることで二つの世界が見えてきますよね。二人以外にも思い入れのある人物がいましたら教えてください。
環境が違えば、里穂子がハナだったかもしれないし、ハナが里穂子だったかもしれない……そんなことを考えていたら、自然と二人のキャラクターが定まっていきました。警察官とはこういうもの、「恵まれない」人間とはこういうもの、というある種の固定観念を壊したかったのもあるかもしれません。
二人の他に思い入れがあるのは、強(し)いて言えば、「ユートピア」で暮らす唯一の幼児・ミライでしょうか。自分が置かれた状況の異常さに何一つ気づいていない。だからこそ天真爛漫(てんしんらんまん)でいられる……そんな彼女の姿には、生まれたときから捻(ね)じ曲がっている人間なんていない、という思いを込めたつもりです。
――物語が進むにつれ、二〇二一年の事件と、九〇年代に日本を震撼(しんかん)させた幼児虐待事件および幼児誘拐事件が交錯していきます。警察小説は書いてみたかったとのことですが、誘拐モノはいかがでしょうか?
前述したように、横山秀夫さんの『64』が好きなので、憧れはありました。フィクションだけでなく、日本で過去に起きた誘拐事件のことも、以前から気になっていろいろと調べたりしていました。その結果、こうした事件の設定になったような気がします。
――本作が発売されるまでの間に新型コロナウイルスの流行状況は刻々と変化していきました。それも物語の中に溶けこみ、かつ後半のある重要な展開に絡むことに驚きました。現代日本を舞台にするうえで工夫した点などございますか?
執筆を始めたのは二〇二〇年の終わり頃で、この作品は二〇二一年の春以降が舞台なので、状況を予想するのは難しかったです。とはいっても数か月後だからあまり変わらないだろうと思っていたら、二〇二〇年はあまり行われていなかった飲食店の休業要請や酒類の提供禁止が二〇二一年には積極的に実施されるようになるなど、作中の展開にも影響するような出来事がいくつかあり、出版前の調整には苦労しました。
二〇一九年以前を舞台にすれば楽だったのかもしれませんが、それでもやっぱり、社会問題を扱うからには「今」を切り取りたかった。そんな思いで、出版年と同じ二〇二一年を舞台にしました。
――『トリカゴ』は辻堂作品の中でも、ミステリ度が高い作品となりました。ミステリではない『十(とお)の輪をくぐる』(小学館)を経てからお書きになって、何か意識の変化などございましたか?
『トリカゴ』のプロットを作ったのはまさに『十の輪をくぐる』の連載中だったので、次の作品は思い切りミステリにするぞ! といった反動のようなものはあったと思います。ただ、自分ではまったく別の物語を構想したつもりだったのですが、いざ『トリカゴ』の執筆に取り組んでみると、『十の輪をくぐる』で登場人物一人一人の人生を掘り下げた経験が直接的に生きてきて、実はテーマの近い作品だったのかもしれないと自分でも驚きました。『十の輪をくぐる』のおかげで、『トリカゴ』がこの形で完成したように思います。
――これまでの辻堂さんのご経験が、すばらしい形で結実した作品だと思います。最後に、本誌の読者に向けてメッセージをお願い致します。
無戸籍問題そのものに関しては、ノンフィクションの本や新聞等の特集記事を読んだほうがより詳しく理解できるかもしれません。この作品では、私が興味を持った社会問題と、ミステリとの融合を目指しました。純粋にストーリー展開を楽しんでいただけたら、作者としてはそれ以上に嬉しいことはありません。
――今後のご予定などございましたら、教えてください。
この秋まで『小説NON』(祥伝社)で連載していた『二重らせんのスイッチ(仮)』が、二〇二二年春頃に発売される予定です。一卵性双生児や国際養子をテーマに据えた、サスペンス風味のミステリです。また、夏頃にもう一つ、単行本の刊行を予定しています。こちらはタイムスリップの設定を盛り込んだちょっと不思議な味わいの作品になりそうです。
辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)
1992年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞した『いなくなった私へ』(「夢のトビラは泉の中に」を改題)でデビュー。著書に『卒業タイムリミット』『悪女の品格』『あの日の交換日記』など多数。2021年、『十の輪をくぐる』で吉川英治文学新人賞候補となる。 【本インタビューは2021年12月発売の『紙魚の手帖』vol.02の記事を転載したものです】