『彼と彼女の衝撃の瞬間』(越智 睦 訳 創元推理文庫 1200円+税)は、アリス・フィーニーの第3作。邦訳としては、20以上の言語に翻訳されたというデビュー作『ときどき私は噓をつく』に次ぐ2冊目となる。

 ブラックダウンは、ロンドンから車で2時間ほどの町である。その森で、女性の死体が発見された。死体の爪にはマニキュアで〝偽善者〟と記されており、また、胸には40ヵ所以上に及ぶ刺し傷があった……。

 なかなかの曲者である。語り口が企みに満ちているのだ。主な語り手は二人。アナ・アンドルーズというBBCのニュースキャスターと、ブラックダウン警察のジャック・ハーパー警部だ。本書は、二人の視点での記述を交互に重ね、ときおり別フォントで犯人らしき人物の語りを交えつつ進んでいく。それぞれが十頁程度で切り替わるというハイペースだ。そんな記述のなかで読者は、アナが取材と報道を続け、ジャックが事件を捜査する姿を見ていくのだが、同時に、それ以上のことも知っていく。各自の行動、過去、秘密、そして――。

 それらの情報がもたらす新鮮な刺激の連続に、第二の殺人も絡んでくる。要するに、各パートに毎回エサが仕込まれているのだ。頁をめくる手が止まるはずがない。しかも、事件そのものも奥深い。ブラックダウンで起きている現在進行形の連続殺人は、比喩的に語るならば、前後左右上下に触手を伸ばし、あらゆる作中人物たちを絡め取っていく。なぜその人物は触手に襲われるのか、どのように襲われるのか、どう対処するのか。そうした人物描写や事件描写のなかにも著者はいちいちサプライズを仕込んでくる。それこそ使えるものなら何でも――ありふれた日用品でさえも――使って、読者を驚かせるのだ。

 その驚愕の奔流は、最終的には、真相そのものの驚愕へと到達する。勢いといい緊迫感といい衝撃といい、一気読みして大満足の小説である。著者が情報を小出しにして読者を振り回すあざとい技術に(褒め言葉です)まんまと操られてしまったことを喜びたい。

『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』ジョセフ・ノックス(池田真紀子訳 新潮文庫 1050円+税)は、《エイダン・ウェイツ》シリーズの第3弾。これが完結篇になるらしい。

 五人家族の妻と子供二人が殺され、もう一人の子供は、遺体こそ発見されていないが、現場の状況から殺害された公算が高い。ただ一人、夫のみが家を離れていて命拾いした。12年前に起きたそんな事件の犯人として終身刑判決を受け、投獄されたマーティン・ウィックが獄中で癌を患い、入院することとなった。エイダン・ウェイツ巡査部長は、警部補のサティとともにウィックを病院で警備する任に就く。未発見の遺体の行方を聞き出すという任務も帯びていた彼等を待ち受けていたのは、だが、とんでもない出来事だった。何者かが病室を襲撃し、ウィックを含む複数の人物を殺害したのだ。サティも重傷を負う。そして死の間際、ウィックはエイダンにある言葉を遺した。12年前の事件は、自分の犯行ではないというのだ……。

 実に、濃密な一冊だ。ウィック殺しの捜査を幹としつつ、警察内部における出世争いなどの複雑な人間関係が語られ、また、12年前の事件の謎も追究される。さらに、三部作の完結篇として、エイダン自身の家族との物語としての要素も盛り込まれている。そしていずれもが人の心の奥底にひそむ闇や苦悩に容赦なく迫る〝濃い〟ストーリーなのだ。それぞれに十分読み応えがある。しかもだ。それらの糸で編み上げられた本書は、謎解きミステリとしての醍醐味も宿すのである。勢揃いした容疑者たちの前でエイダンが推理を披露するシーンさえある。そんな容疑者勢揃いの状況は、ノワールとしての全体感を損なわぬかたちで自然に成立しており、著者の技量の確かさを象徴する場面となっている。

 また、終盤の川でのアクションシーンの迫力も圧巻。さらに、汚れた警官と呼ばれ、それも仕方なしと思われるように行動するエイダンを描きつつも、彼の内面に宿る高潔さが読み手に伝わってくる点も素晴らしい。読みどころしかないという長篇ミステリだ。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.01
櫻田 智也
東京創元社
2021-10-12