東京の私鉄沿線の住宅街を所要のついでにぶらついたのだが、そこで「日本棋院〇〇支部」という看板を見つけた。こんなところに碁会所があるとは少し驚いた。今では珍しいものになってしまったが、かつてはターミナル駅に限らず、碁会所があった。地方都市でも県庁所在地に限らず、ちょっとした町には、碁会所があり、旦那衆とか職人とか、様々な人たちが集まって、碁を打っていた。
普段温厚な人が、碁盤を前にすると定石等お構いなしの武闘派、腕力重視の碁を打ったりする。逆に乱暴な口をきく人が、定石派で温厚な碁を打ったりする。碁を覚えた頃、近くの碁会所で、9子置いて、全滅させられたことがある。皆殺しにされ、その夜は天井に碁盤が浮かんで、眠れなかった。初段というと神様のように思えた。自分がそれくらいの棋力になると、初段というのは何も分かっていないんだと思うようになった。
碁会所では、「殺した」とか「殺された」とかの言葉が沈黙のうちに飛び交っているけれど、殺伐とはしていない。どこかユーモラスである。時代は違うが、坂口安吾の『囲碁修業』や『文人囲碁会』を読むと、素人の囲碁とか対局の雰囲気が伝わってきて、何ともたまらない。
さてAIの登場で、囲碁の世界も大きく変わった。定石の評価が変わり、様々な局面でも打ち方が変わってきた。NHKの放送やユーチューブでのタイトル戦の中継でもAIの中途診断が出るようになった。現代ではAI抜きに囲碁は語れない。アマチュアでもAIを勉強しないと強くなれない。
『イ・チャンホのAI探求 大局観・手筋編』について書こうとして回り道をしてしまった。本書は、『イ・チャンホのAI探求 布石編』『イ・チャンホのAI探求 中盤編』の姉妹編で、この三冊で三部作を構成していて、イ・チャンホによるAIの手法研究が概観できる。
AIは第3線を囲わせたり、自分の石をあえて見殺しにしたりする傾向がある。常に最後の形を読んでいるから出来ることであろう。石を取られても、囲った地が多い方が勝つというのがルールである。AIはあくまでもこのルールに忠実である。囲碁愛好家にとって、AIの勉強は欠かせない。そのためには、この三部作は必読の書である。新しい囲碁観や技術が、これらの本によって培われ、棋力が向上することを願って止まない。