あの「弊機」こと、マーダーボットが帰ってきた。
今度は謎だらけの敵を相手に大活躍だ!

堺三保
 Mitsuyasu SAKAI



 あの「弊機」こと、人見知りで内省的で自己評価が低いという実にめんどくさい性格で、なぜか連ドラが大好きな警備ユニット(有機組織+機械アンドロイド)、マーダーボットが帰ってきた。今度は謎だらけの敵を相手に大活躍だ!
 というわけで、本作は、二〇一九年に邦訳刊行されたマーサ・ウェルズ『マーダーボット・ダイアリー』の続編であり、《マーダーボット・ダイアリー》シリーズの初長編Network Effect(2020)の全訳である(前作『マーダーボット・ダイアリー』は四作の連作中編を日本で独自に上下巻にまとめ直して出版したもの)。
 本作のストーリー自体は独立しているのだが、前作から引き続いて登場する人物もいるので、まずは簡単にシリーズのおさらいをしておこう。
 本シリーズの舞台は、人類が様々な星系に進出を果たした遠未来。語り手は、有機組織と機械とを組み合わせた人型アンドロイドの警備ユニットだ。
 この警備ユニットの問題は、過去に大量殺人を犯したとされていることだ。この事件の記憶自体はユニットから消去されているが、ユニットも事実としては知っているため、本人は密かに自分のことを殺人ロボット、すなわちマーダーボットと呼んでいる。そしてこのマーダーボットは、二度と同じことが起こらないよう、自機に組み込まれた「統制モジュール」を密かにハッキングして無効化してしまっている。こうしてマーダーボットは、完全に誰の指令も受け付けずに行動出来る野良アンドロイドとなったうえで、あいかわらず所有者である保険会社の業務命令に従い、契約相手の人間を警護する仕事を続けていた。
 ところが、とある警備案件をきっかけに、マーダーボットは自らが犯したとされる大量殺人の真相を探る旅に出て、様々な冒険のあげく、異星文明の遺物を密かに発掘して独占しようとしている悪徳大企業の策謀に巻き込まれるが、警備案件を通して知り合った人々と共に、これを解決するのだった。

 というところが前作の大まかなあらすじで、本作の物語は、それからしばらく経った時点から始まる。
 前作の事件で助け合った人々の警備コンサルタントにおさまったマーダーボットは、彼らの惑星調査隊に再び同行するのだが、その先でなんと謎の敵からの襲撃に遭い、未知の星系へと連れて行かれる。またもや、異星文明の遺物がらみのトラブルに巻き込まれたようなのだが……。
 異星文明がらみのトラブルという点では前作と同じなのだが、今回は強欲な大企業よりも、発見された遺物そのものが障害となっていて、その謎を解き明かす必要があるところや、その遺物の在処がかつて植民されたものの放棄されてしまった「失われたコロニー」であるところなど、前作よりもさらに「いかにも」といった感じの宇宙冒険SFらしさに満ちていて、マーダーボットとその警護を受けている人間たちが前作以上の大ピンチに次々に見舞われる、スピード感と緊迫感あふれるストーリー展開が、本作の読みどころであり楽しさだ。
 今、楽しさと書いたが、このシリーズ全体の持つ楽しさは、先に挙げた「いかにも」な感じの、定番のSFらしい設定を、現代的にアップデートした物語として語っているところにある。つまり、SF的なアイデアの斬新さよりも、登場人物や社会の描き方の新しさで勝負しているところが、読みやすさとおもしろさにつながっているのだ。具体的に言えば、例えば主人公であるマーダーボットの極めて内省的な性格であったり、酷薄な大企業の人々による、アンドロイドたちより遙かに非人間的な行いといったものの描き方が、我々現代人にとってとても身近な感覚で読めるところだ。遠未来のアンドロイドの話を描いているようで、この物語は現代人とそれを取り巻く環境のメタファーとしてとてもよく出来ていて、だからこそ読みやすいしおもしろいのだ。

 この特徴は、本シリーズの作者であるマーサ・ウェルズだけでなく、近年大活躍している海外のSF作家たちの作品に共通しているものだ。例えば、翻訳されているものだけでも、アン・レッキーの《叛逆航路》シリーズ、ベッキー・チェンバーズの《ウェイフェアラー》シリーズ、ンネディ・オコラフォーの《ビンティ》シリーズ、アーカディ・マーティーンの『帝国という名の記憶』、アリエット・ド・ボダールの『茶匠と探偵』、ユーン・ハ・リーの《六連合》シリーズなどが存在する。少し毛色は違うが、メアリ・ロビネット・コワルの《レディ・アストロノート》シリーズやN・K・ジェミシンの《破壊された地球》三部作も、この流れの中に位置づけてもいいだろう。いずれの作品も、銀河帝国や宇宙交易、異星人のコンタクトや宇宙開発などといった、SFにとってはお馴染みの題材に、ジェンダー問題や異文化交流問題といった観点を絡め、現代的なアイデアを加えて語っているところが特徴的だ。
 これらの作品のほとんどが遠未来の宇宙を舞台にして未来への希望を描こうとしているのは、近未来を舞台にすると今の現実が投影されすぎてディストピアを描かざるを得なくなりがちなことを嫌ってだという説もある。だからこそ、遠い未来を舞台にして、過酷な試練に打ち勝つことや、宇宙進出や新しい社会形成の夢や希望を語っているのだとも。
 人類が滅亡の危機に瀕した近未来を舞台に、引き裂かれた少女と少年が、対立し合う魔術師と科学者として再会する『空のあらゆる鳥を』が日本でも翻訳されている女性作家チャーリー・ジェーン・アンダーズは、つい先日出版した創作ガイド的なエッセイ集Never Say You Canʼt Survive(生き残れないなんて絶対に言わないで)の序文で、新型コロナ禍に全世界が見舞われた現在がいかに悲惨かを述べ、創作こそが自己防衛の手段なのだと訴えている。アンダーズはさらに続けている。確かに物語を作ったり読んだりすることは逃避行動である。だが、逃避は抵抗でもある。それこそが、私たちを癒やし、勇気づけ、目的意識を与え、自分たちが前進していくための力をもたらしてくれるのだと。

 こうして活躍している作家に女性が多いのも現代的な特徴だろう。かつては、SFは「男の子」のものであり、そういった物語に女性は興味を持たないというような言説がまかり通っていた。ところが実際には、今のこの暗い世相の中、女性作家たちが率先して、明るい未来をつかもうと奮戦する人々の話を紡いでいるところが実に興味深い。
 近年よく人種や性別、文化の違いを超えた「多様化」が唱えられているが、女性たちが自分たちの好きなものとして、SFを自分たちの手で新たに再構築し、肯定的な未来観を復権させようとしている状況に、教条主義的なお題目などではない、率直で実感に根差した願望の発露を感じてしまう。
 アンダーズの言葉ではないが、こういう創作活動が、現実の世界においても明るい兆しを与えてくれるのではと期待するのは、筆者だけだろうか。

 もう一つ、新しい宇宙SFの書き手の特徴として、SFとファンタジーの区別なくどちらも自在に描き続けている作家が多いという点が挙げられる。本作の作者であるウェルズはもちろん、前述の中だとレッキー、コワル、ジェミシン、リー、そしてアンダーズといった作家たちがそうだ。
 特にウェルズはがっちりと異世界を構築した本格ファンタジーのシリーズをいくつも書いて人気作家となったあとで、本シリーズに取りかかっている。
ウェルズに言わせると、SFとファンタジーの書き分けは気にしていないとのことで、彼女にとって何よりも大事なことは、登場人物たちの心情を理解して描くことと、作品世界に登場人物たちがきちんとフィットしているか(ちゃんとその世界の人間らしく描けているか?)ということだという。
 要は、その作品世界の構築と、それに見合った登場人物の造形をするという点では、ウェルズにとってはSFもファンタジーも変わりはないということなのかもしれない。

 そんなウェルズは本作のあと、本作の前日譚となる中編Fugitive Telemetry(創元SF文庫より二〇二二年刊行予定)を発表、今は新しい異世界ファンタジー長編を執筆中だとか。もちろんまだまだ《マーダーボット・ダイアリー》の新作も書く気満々らしい。どちらの新作も楽しみだし、できれば過去に書いたファンタジーも日本に紹介して欲しいものだ。

  二〇二一年九月



【編集部付記:本稿は『ネットワーク・エフェクト マーダーボット・ダイアリー』解説の転載です。】



■ 堺 三保(さかい・みつやす)
1963年大阪生まれ、関西大学卒。在学中はSF研究会に在籍。作家、翻訳家、評論家。SF、ミステリ、アメコミ、アメリカ映画、アメリカTVドラマの専門家。

マーダーボット・ダイアリー 上 (創元SF文庫)
マーサ・ウェルズ
東京創元社
2019-12-11


マーダーボット・ダイアリー 下 (創元SF文庫)
マーサ・ウェルズ
東京創元社
2019-12-11