あとがきは苦手です。

 素で文章を書くだけでも気恥ずかしいと言うのに、ましてや小説を書き終えたあと、書き終えた物語を振り返って何か書こうなんて思ったら、どうしたってこう本音の断片が漏れてしまうではありませんか。加えてひとつの物語を終わらせた直後というのは、だいたいが妙にセンチメンタルな気分になるものと(私の中では)相場が決まっています。そんなタイミングで胸の内が漏れてしまったらどうなるか。そもそも小説を書くときの私は、およそ素面【しらふ】では口にできないような、大変青臭いことを考えているのです。執筆終了の勢いで胸の内が駄々漏れのあとがきを書いてしまった結果、活字になったあと、つまりテンションが落ち着いたころになってから読み直し、顔から火が出るかと思ったことも、(たいしてあとがきを書いた経験がないにも関わらず)既に一度や二度ではないのです。

 なのになんだって今回、こうして「ここだけのあとがき」を書いているのか。
『蒼衣の末姫』を上梓するのに当たって、あとがきを書かねばならないのかどうか、私は大変不安でした。自分でもとても入れ込んで書いた作品であるという自覚がありましたから、このままあとがきを書こうものなら何を書いてしまうかわからない。今のところ書くようにという連絡はない。書かずにすめばそれに越したことはないけれど、果たしてそう思い通りにいくものだろうか。
 考えすぎて不安が限界値を突破してしまった私は、よせばいいのに尋ねてしまったのです。

「——ところであの、今回はあとがきとかそういうのは書かなくていい感じでしょうか」
「今回は入れる予定はありません。しかし! Webミステリーズに、「ここだけのあとがき」というエッセイのようなコーナーがあり(略)」

 みなさんご覧いただけましたでしょうか。これがやぶ蛇というやつです。
 タイムマシンがあったらあの時間に戻って当時の私を羽交い締めにしてやりたいところですが、残念ながらそれは叶いません。そして依頼されてしまった以上、なかったことにするわけにもいきません。つまり、書く以外の選択肢はないのです。
 ということで腹を括り、私はこれから大変青臭い、あとで読み返して悶絶するのが確定していることを、書いていこうと思います。

     ※

『蒼衣の末姫』の原形となる物語を書いたのは、1996年のことでした。
 頭にあったのは、少年少女を主人公とした冒険活劇を描く、ということです。
 子どもの頃に読んで世界の広さに思いを馳せ、自分の可能性や未来に希望を持つことになった物語。生きていくには様々な困難があるけれど、この世界にはなお生きる価値があるのだと思わせてくれる物語。
 それを、自分の手で書いてみたかったのです。

 ですが、前世紀末においてすら、それは容易なことではありませんでした。
 冒険活劇の中では主役をはっていた子どもたちは、現実には守られる対象で、大人を向こうに回した活躍なんて到底できなさそうでした。自分の子ども時代、大人に対して何度も感じさせられた無力感もまた、そうした思いを一層強くしたのだろうと思います。
 舞台もそうです。地球上のありとあらゆる場所にはテレビカメラが入り込み始め、冒険はバラエティ番組の中に取り込まれ、宝島は薄っぺらい架空の存在のように感じられるようになっていました。心を刺激する未踏の場所を自信を持って描き出すことができなくなったことも、冒険活劇に対するハードルになっていました。
 二十一世紀になると、その困難さはさらに増しました。インターネットはテレビカメラどころではない細かさで世界のありとあらゆるところに入り込み、開示される膨大な情報によって世界から未知を消し去ったように見えました。そうしてあからさまになった世界は分断と断裂にまみれているようにしか思えず、果たしてこの世界において、少年少女を主人公にした冒険活劇を書くことが可能なのだろうか、いやそもそも正しいのだろうかと考えないわけにはいかなかったのです。

 冒険活劇を読んで育ったことで、私はこの世界を生きる価値がある、困難を切り拓いて進むに値する場所だとある意味素朴に信じることができました。年齢を重ね、無数にある世界の陰鬱な断片を目にすることになっても、それでもなおと思えたのは、そうした物語が与えてくれた光が私の内にあるからだと思います。
 ですがその光を伝えるために、かつてのような物語を語ることが私にはできませんでした。大人の向こうを張って少年と少女が活躍し、未知の世界に足を踏み入れて宝物を手に入れて幸福になる。冒険するべき未踏の地なんてもうどこにも残っていないのではと感じながら、何を手にすれば満ち足りるのかの答えを自身も持たないまま、光はあると、この世界には生きるだけの価値はあると伝えるのは欺瞞以外の何ものでもない。
 そうした思いが、私の中でこの物語を長い間停滞させることになりました。考えれば考えるほど、そこに答えはないように思えたからです。

 それでも書こうと思った契機は、娘の誕生でした。
 小さくてふにゃふにゃして頼りなくて、でも世界の何よりも価値のある存在を前にして、絶対に伝えねばならないのだと思ったのです。君が産まれてきたこの世界は確かに生きる価値があるんだと。今でもなお、困難を切り拓いてでも進む意味がきっとあるんだと。
 今は書けなくても、いつか必ず書こう——いや、書かなければならない。

 もちろんそれは、簡単な道のりではありませんでした。
 手探りで答えを探すように書き続けた物語は迷走に迷走を重ね、破棄した原稿は完成稿の数倍に上ります。それだけの時間と試行錯誤を積み上げても、無力な二人の主人公はいつになっても物語のキャスティングボートを握れず、周囲の人物やできごとに翻弄されるばかり。
 どうすればこの二人は自分たちを認めることができるのだろう。この誰もが生き延びることだけで必死な世界の中で、例え一瞬であっても幸福や満足を感じることができるのだろう。そればかりを考え、跋扈【ばっこ】する冥凮【みょうふ】と呼ばれる怪物に対抗するため、ひとが町や生き方や自分たちの姿さえ変えねばならなかった世界の一番地べたに近い場所を、二人と共に、何度も何度も行きつ戻りつしつつ、這いずり回るように道を探したのでした。

 最初は引っ込み思案でまるきり動いてくれなかった二人は、最終的には物語から切り離されることになった様々な場面で少しずつ自分たちの考えを教えてくれるようになり、それに引き摺られるように周りの登場人物たちも、そして物語自体も、長い長い試行錯誤の末に自分自身の意志を持ち、進み始めました。先の見えない道を手探りで進んでいくような慎重な歩みではありましたが、とにかく前進したのです。じりじりと、でも確実に。

 この物語が結果としてどのようなものになったのか、果たして最初に私の頭の中にあったようなものになっているのかは、正直自分では判断がつきません。けれど、膨大な(恐る恐るの)挑戦と手痛い挫折とを繰り返したあとでようやく二人が辿り着いた道筋の先には、きっと光があると思っています。
 その光を、少しだけでもいいからこの物語を通して感じていただけたとしたら。二人と一緒に、何かを見いだしてもらえたとしたら。
 もしそれが叶ったとしたら、それほど嬉しいことはありません。

蒼衣の末姫 (創元推理文庫)
門田 充宏
東京創元社
2021-09-21