序
エドワード・ケアリー  

 怪物はベッドの下にいるときもあれば、クローゼットのなかにいるときもありました。上階で歩いている音が、階下にいる私たちのところまでときどき聞こえてきました。絵を描こうとするたびに、紙の上にひょっこり現れたりもしました。部屋の隅の暗がりに隠れているだけのこともありました。はっきりしていたのは、家のいたるところに怪物がいたということです。
 私にとって怪物というのは、フランケンシュタインの創り出した不幸な生き物や、ブラム・ストーカーの吸血鬼などではなく、昔大好きだったテレビドラマの「ドクター・フー」に出てきた馬鈴薯(じゃがいも)にそっくりな異星人のことでした。たとえば、何世代もずっと生き長らえているように見える、とても年老いた村人たちは、間違いなく怪物です。さまざまな姿形をした私の親族には、その類であってもおかしくない人がいましたし、この世でもっとも厳しくて恐ろしく思えた一卵性双生児の祖母と大叔母もそうでした。なかでも、私の生まれ育った館は怪物そのものでした。
 その館はテューダー朝時代、つまり十六世紀に作られたものですが、土台は「サクソン人の館」だったと言われています。二十世紀に入り、第一次世界大戦のときにはリハビリ療養所として使われ、キッチンの外の廊下にウィンストン・チャーチルの署名入りの証明書がありました。館には何世紀にもわたるイギリスの歴史があり、私はその歴史のほんの短いあいだ住んでいただけですが、そこで時間と対話をしていたのです。館はよく軋み、饒舌におしゃべりしました。時折、鉛枠の窓から差し込む光が歪んで、とても奇妙な影を創り出しました。私はそうしたものをすべて身の内に取り込みました。私の人生であの館ほど、物語を作りたいという切なる願いに影響を与えたものはありません。いまも夢に出てくるので、眠っているあいだによく訪れています。私が怪物たちと知り合い、楽しい幼年時代を過ごし、目指す道を見つけ出したのは、あの館のおかげなのです。
 このささやかな短篇集には、怪物や、歴史や、音を立てる建物が登場します。地下に住む人たち(あの館の地下には近くの教会に通じるトンネルがありました)や、歴史上の人物も出てきます。ポール・バターブロットは実在した人物ですし、緑色の肌をした子どもたちも本当にサフォーク州の村人たちに発見されたのです。両親の友人がその村の近くに住んでいたので、私はよく村を訪れました。この作品集には、がらくたや盗んだ物から新しい生き物を創り出す元気いっぱいの子どもや、地面から芽を出すおじさん、集まると怪物のようになってしまう手に負えない毛物(けもの)も登場します。私にはいつも、物のなかに宿る生命が見えていました。それができたのは、古い館のおかげだとつくづく思います。大人になってからの大いなる楽しみは、潮が引いたテムズ川の泥のなかを漁りに行くことです。古い川は歴史を吐きだしています。ローマ時代のものやテューダー朝時代、スチュアート朝、ジョージ王朝、ヴィクトリア朝時代の欠片(かけら)がテムズ川にはあります。そういえば、私の息子はある日、エリザベス一世の時代の硬貨を見つけました。私が子どもの頃に住んでいた館が建てられた時代に鋳造された硬貨です。「吹溜り」の話は、その泥の川に刻まれた歴史をたどっていたときに生まれました。
 本書のなかの何篇かはかなり前に書いたものです。「かつて、ぼくたちの町で」はフランスのサンナゼールでライター・イン・レジデンス(一定期間、ライターに滞在場所を提供し、その創作活動を支援する制度)をした後の作品です。その町ではクイーン・メリー2という巨大な船を建造していて、私はそれを間近で見ていました。長篇小説からこぼれ落ちたような、たとえば「飢渇(きかつ)の人」といった作品も入っています。しかしその他の多くは、東京創元社から出版されるこの短篇集のために特別に書き下ろしました。そのおかげで、このコロナ禍の時代にあっても私の頭脳と想像力はとても活発に動き続けることができました。多くの人々と同じように、旅に出ることなどできず、想像のなかで旅をしなければならなかったからです。そして祖国イギリスから遠く離れたアメリカ合衆国テキサス州オースティンの自宅の窓の外には、大黒椋鳥擬(おおくろむくどりもどき)という鳥がいて、私はその奇妙で不可思議な機械のような声にいつも耳を傾けていました。大黒椋鳥擬も、物語を語っているように思えました。

 二〇〇一年に私は翻訳家の古屋美登里と知り合い、遠く離れたところにいる友だち同士になりましたが、実は私たちは一度も会ったことがありません。私の作家人生が始まったときからずっと、彼女はとても大切な存在で、私の作品を日本で翻訳しているのが彼女であることはこのうえなく幸運なことだと思っています。二年ほど前に彼女は、私の初めての短篇集を作りたいと言ってくれました。美登里は私の短篇をすでに何作かわざわざ掲載誌を探し出して翻訳しており、本国に先駆けて日本でまとめて本にしたいと考えていたのです。この短篇集は彼女のアイデアから生まれました。彼女に心から感謝しています。美登里は、私が作品のなかで無理を通そうとすると躊躇(ためら)わずにそれを指摘し、私がちょっと判断を誤ったりすると、揺らぐことなく、でも優しく分別のある言い方で正してくれます。たとえば去年、コロナ禍という状況で、「私の仕事の邪魔をする隣人たちへ」の最後の部分を私が書き換えた際、ありがたいことに美登里は、元に戻したほうがいいと忠告してくれたのです。
 そういうわけで、私の初めての短篇集が古屋美登里と東京創元社のおかげでこうして形になりました。世界で最初に日本でこの短篇集が出版され、「吹溜り」「バートン夫人」「毛物」「パトリックおじさん」「グレート・グリート」が世に出ることを、なにより嬉しく思っています。

 二〇二一年 三月二十二日

(古屋美登里訳)



エドワード・ケアリー(Edward Carey)
1970年にイングランド東部のノーフォーク州で生まれる。これまでに長篇小説『望楼館追想』(2000)、『アルヴァとイルヴァ』(2003)、〈アイアマンガー三部作〉(2013, 2014, 2015)、『おちび』(2018)、THE SWALLOWED MAN (2020)を発表。イラストレーター、彫塑家としても国際的に活躍。現在はアメリカ合衆国テキサス州で妻と子供ふたりと暮らしている。妻はアメリカの作家エリザベス・マクラッケン。
http://edwardcareyauthor.com

古屋美登里(ふるや・みどり)
翻訳家。訳書にエドワード・ケアリー『望楼館追想』、『アルヴァとイルヴァ』(以上、文藝春秋)、〈アイアマンガー三部作〉、『おちび』(以上、東京創元社)、M・L・ステッドマン『海を照らす光』(ハヤカワepi文庫)、B・J・ホラーズ編『モンスターズ 現代アメリカ傑作短篇集』(白水社)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』(以上、亜紀書房)ほか。著書に『雑な読書』『楽な読書』(シンコーミュージック)。