オリンピック直前の東京で、物流を狙ったテロが発生し、三千六百万の人口を抱える東京圏は、物資の欠乏に悩まされる。正常化に向けて立ち上がったのは、日々、物流を支えるトラックのドライバーたちだった――。

 物流をテーマにした小説を書こうと考えたのは、二〇一一年の東日本大震災のしばらく後でした。
 東北在住の友人から関西にいる私に連絡があり、現地で手に入らない物資をいくらか関西から送ることになったのです。友人の自宅がお寺で、近所の方々が避難されていたんですね。
 東北行きの宅配便がようやく再開された頃、ささやかな善意を箱に詰め、届けてもらうことにしました。しかし、強い余震が続く現地に、自分で足を運ばず他人に届けてもらうことに忸怩(じくじ)たる思いがありまして。「危険な場所に行ってもらうことになり申し訳ない」と言葉を添えたところ、荷物を取りに来てくれたドライバーさんがニコッと笑って、こう言われました。
「僕らがいちばん道を知っていますから。任せてください」
 その瞬間、「モノを運ぶ」仕事に就く方の職業意識と誇りが閃光を放ったようで、いつか必ず小説に書こうと決意したのです。
 物流に関する勉強と取材を重ね、二〇一八年から二〇一九年にかけての「ミステリーズ!」誌連載を経て、単行本を上梓(じょうし)したのが二〇二〇年の三月。
 奇(く)しくもこの年は、新型コロナウイルスの脅威に振り回され、世界中が己の覚悟を問われる一年となりました。
 物流も例外ではありません。マスク、アルコール消毒薬、ティッシュ、トイレットペーパー、保存食、小麦粉、ベーキングパウダーなど、中には「なぜこんなものまで」と首を傾げるようなものもありましたが、あっという間に店頭から特定の商品が姿を消したことは記憶に新しいでしょう。「転売ヤー」という不愉快な言葉まで登場し、物流のありがたさをしみじみ感じました。おまけに、小説の中で「開催の危機」にさらされた東京オリンピックが、いともあっさり開催延期になりましたしね。
 災害の余波から物語が生まれ、災害のただなかに物語と現実が混然と融け合う、稀有(けう)な状況となりました。
 このたび『東京ホロウアウト』文庫化にあたり、現実にあわせて東京オリンピックは二〇二一年開催と変更しました。コロナ禍(か)に苦しむ世界でのオリンピック開催が、これからどうなるか私にもわかりません。ひょっとすると、土壇場(どたんば)での中止や延期が発表される恐れもあります。
 ですが、オリンピックがどうなるにせよ、物流とそれに携(たずさ)わる人たちへの感謝の念は変わりません。コロナ禍のなかでも、私たちの暮らしが「からっぽになる(ホロウアウト)」ことなく過ごせているのは、考えてみれば驚異的です。
 そして、この物語ではもうひとつ、大事なテーマが最後に現れる仕掛けとなっています。
 あとがきから先に読まれる方のために、詳しいことは書きませんが、この問題が本格的に爆発するのは、今から四、五十年後になると思われます。そのころ、われわれ世代の多くがこの世には存在しないはずです。
 すでに対策が始まり、あるいは検討されていますが、少し加速したほうがいいかもしれない。そんなつもりで、この裏テーマを忍ばせました。
 どうか、ひとりでも多くの方のお手元に届きますように。

 二〇二一年五月
 福田和代



福田和代(ふくだ・かずよ)
1967年兵庫県生まれ。神戸大学卒。2007年、長編『ヴィズ・ゼロ』でデビュー。緻密な取材と抜群のリーダビリティが高く評価される。他の著作に『TOKYO BLACKOUT』『バー・スクウェアの邂逅』『バー・スクウェアの矜持』『火災調査官』『星星の火』などがある。