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 ルース・レンデルの本邦初紹介は、「ハエトリ草」「はえとり草」)で、ミステリマガジン1973年4月号でした。社会的な成功を唯一の価値と信じているであろう女と、男の妻であることに安心を見出す女という、対照的な二人組の心理的な上下関係を描いて、虫を食らう植物を象徴的なディテイルに用いた犯罪物語とみせかけて……というサスペンス小説でした。これはこれで、読ませる一編ではありましたが、レンデルの名を高めたのは、やはり、次の「カーテンが降りて」でしょう。75年3月号のことでした。レンデルはウィンターズ・クライムの作家として登場したのではありませんでした。
 しかも、レンデルが実力を発揮したと言えるのは、「カーテンが降りて」一作に留まらなかったところにありました。「しがみつく女」(初訳時の邦題は「ぶらさがる女」ですが、これははっきり「しがみつく女」でなければならないと思います)「コインの落ちる時」と佳作が続きました。「しがみつく女」は、ある日、自分の住む高層アパートの十二階から、ぶらさがっている女を主人公が見つけ、警察に素早く通報することで、彼女を救います。ご近所の英雄となって面映ゆいところに、当人が礼に来る。勤め先が互いに近いことが分かって交際が始まり、結婚するに到ります。お互いに相手がいさえすれば、それで幸せという結婚生活は、やがて、彼女は彼の全生活全仕事をともにしなければ、気がすまない女であることが分かって来ます。「コインの落ちる時」は、愛情の冷え切った中年夫婦(といっても三十代なのですが)の話です。妻は性行為に嫌悪感を持っていて、結婚当初から出来ればやらずにすませたい。夫は理解を示しますが、かといって性欲をなくすわけにもいかない。合理的な解決は外に女を作ることと、それを実行しますが、理由が理由だけに妻の理解を得られると思い込んだのが、失敗の元でした。そんな不潔なことは許さないと別れさせられた上に、絶対に離婚には応じない、私はあなたの未亡人になるのだと宣言される。夫は酒びたりとなってアル中に一直線。というのが、話が始まったときの状況です。夫の勤める会社のオウナーの娘の結婚式に招かれて、前日の一晩を過ごすホテルに到着したところから始まります。狭すぎるけど、ダブルベッドでないだけましというのが、部屋を見ての妻の感想です。夫は早くも呑み始め、すぐにベロベロです。旧式のホテルはガスストーヴもコインを入れると一定時間ガスが出る方式です。しかも、操作のやり方が複雑で、機嫌が悪かった彼女は説明もろくに聞いていない。しかし、ふと、火をつけずにコインを入れれば、ガスが充満するのではないかと思いつきます。
 離れたいのに離れられない夫婦(しかし愛がなかったわけではない)の間のすれ違いと、そこに与えられた相手を殺すチャンス、そして、それに飛びつく顛末をていねいに描く。そのていねいさ手厚さは、アメリカのクライムストーリイとは、また違った味わいがありました。レンデル作品におけるすれ違いは、このころ、旧弊で保守的な価値観と、自由で奔放なそれとの対立であることが多く、それを三人の人間に広げてみせたのが「誰がそんなことを」「こんなことをするはずがない」)でした。題名はイプセンの台詞の引用ですが、語り手の妻を殺した罪で、リーヴという男が服役していることが、示されます。語り手夫婦は、家庭第一の保守的な夫婦ですが、税理士だか会計士だかの夫が、仕事上で知合った歴史小説家がリーヴなのでした。この男、女性関係が派手な上に、それを平気で吹聴する。女と別れたくなったら、外国に行ったふりをして自宅に籠りっきりになるという男です。家族ぐるみのつき合いのはずが、語り手の妻がリーヴと関係を持つようになったのに、読者が気づくのは、語り手よりも少し早いタイミングです。
 これらの作品は、おもに70年代に翻訳されましたが、今回、改めて驚いたのは、およそ年に一作といったペースだったことです。しかし、当時のリアルタイムの感覚では、レンデルとジョイス・ハリントンのふたりで、このころのクライムストーリイは活況を呈していたという印象を持っていました。それほど、レンデルの存在感は大きく、80年代に入って、角川文庫の長編作品でブレイクしたのは、なんの不思議もありませんでした。

 一連の長編のヒットのおかげでしょうが、これらのレンデルの短編が収録された短編集『カーテンが降りて』(原題もThe Fallen Curtain and other stories)は、角川文庫で邦訳されています。同時期に書かれたとおぼしい、同書の他の短編も読んでおくことにしましょう。
「悪い心臓」は、自分が解雇した男の家に食事に招かれた経営者が、浮かない気持ちのままに招待を受けます。解雇の話題は避けたいのですが、黙り込みがちな男と、取り繕おうとする彼の妻を前に、それ以外の話題では会話が続かないというジレンマに陥ります。「用心の過ぎた女」は、過剰な警戒心と、それを気取られる事で変わった人と見られることを恐れる女の話です。戸締りにうるさい彼女の家の大家は、むしろありがたい存在ですが、家賃が高くて広い部屋は、もともと二人用です。彼女は慎重にシェアする相手を探し、同居しますが、慣れてくるうちに、そして恋人が出来ることで。彼女は門限や施錠をなおざりにする。おまけに近所で強盗殺人が起こり、彼女はパン切りナイフをベッドに忍ばせるようになります。どちらも、起こるであろう事件が起こり、主人公の錯覚が判明して話が終わるというパターンで、スレッサー以降の短編に慣れた目には、平凡な話に見えました。このほか、「生きうつし」「離ればなれ」)や「分裂は勝ち」のような、従来から書かれているパターンを、さして新味もなく描いた作品もありますが、そんな中で比較的新鮮な作品がふたつあります。
「酢の母」は、十一歳の少女時代の思い出を、大人になって回想するというスタイルです。そんなに好きなわけではないけれど、仲良くしている友だちというのが、女の子にはい(るんだそうです)て、その子の家が持っている別荘に、一夏招かれます。長じて建築家となった主人公は、400年前の建物に魅了されて、そのそんなに好きでもない子と、一夏過ごすことにします。彼女の父親(週末にしか別荘に来ない)は、妙に子どもたちの事情に通じている(主人公のことを子ども同士の呼称で呼ぶ)のが、今様に言えば〈イタイ〉おじさんだったり、語り手の両親は、いるのが嫌になったら、知らせれば、にせの口実をでっちあげて呼び戻す段取りをつけてくれるとか、なかなか巧みな細部の作り込みです。友だちの母親は口うるさく、こわいのでした。そんなところに、飲み残しのワインから酢(ビネガーですな)を作るための種酢(酢酸菌の培養物)をもらってくる。飲み残しを作るために、ワインは子どもたちにもふるまわれるようになり、主人公は夜ぐっすり眠るようになる。一方、友だちの女の子は、生き物めいた気味の悪さに、夜もうなされる。そうした事態がゆっくりと語られ、最後に悲劇が起こることで、それまでの事態の真の姿がほのめかされます。それは、十一歳の当時は分からなかったけれど、大人になった今は、何があったのか分かるという語り手による、巧みなほのめかしでもありました。
「人間に近いもの」は殺し屋の話です。二匹の犬と暮らしているその男は、あらゆる人間が嫌いで女が嫌い。人間とつきあうくらいなら、犬と過ごす方がよほどましだと考えている。最初の1ページは、チーフもモンティも、犬ではなくて人間であるかのような書き方で、まあ、人間なみ(Almost Human原題です)にあつかっている。夢はスコットランドに広い地所を買い、そこで犬たちと暮らすことです。そのために犯罪をとりわけ殺しを請け負っている。そんな主人公の今回の依頼人は女(主人公の嫌いな)で、見も知らぬ男を殺すことになっています。打合せの電話で、決行の場所と時間を指定され、「他に知っておくことは」という問いに「しいて言えば、ひとつだけ……ううん、たいしたことじゃないわ」と端切れが悪いのですが、殺し屋は気に留めません。しかし、その「たいしたことじゃない」はずのことが、標的が犬を連れていることだったために、事態はまったく予想外の方向へ進んでいきます。
 両作とも少々明るくユーモラスな筆致で、前者は巧妙に結末を想像させる、上出来のサスペンスストーリイで、後者はちょっと類のないクライムストーリイに仕上がっていました。

 ジョイス・ハリントンがエドガーを得た「紫色の屍衣」は、彼女の処女作でした。邦訳されたのはミステリマガジン73年9月号ですから、受賞間もないころでした。すぐに第二作「プラスチック・ジャングル」も翻訳され、以後「ああ、わが隣人!」「すべて順調」「緑の陥し穴」「夜這うもの」と、74年から76年にかけての二年ほどの間につるべうちです。
「プラスチック・ジャングル」は、ニューヨークに母親とふたりで暮らす娘の一人称です。友だちのアレクシスがシリア人なので、「いいこじゃない」という母親を「まだ六日戦争のまっただなかにいる」という屈託なさ。というより、口うるさい母親に閉口している。この母親、かつてプラスチックの造花のゼラニウムに近づいたところで心臓発作を起こしたため、以来、プラスチックは毒とすべて遠ざけている。パートタイムで売り子の仕事をしている娘にも、家庭用品売場には近づくなと厳命しているのです。遠く離れて所帯をもった兄と姉のエピソードなどを交え、犯罪のはの字も見えないままに、結末はやって来ます。
「ああ、わが隣人!」は、ビキニで日光浴をしている語り手の妻に、隣りの建物の最上階(5階です)から、噛みタバコのかすが降ってくるところから始まります。警察に電話すると息巻く妻をおさえて、夫は隣りの建物の持ち主であるグティエレスに、やめるよう申し入れますが、戸口に出てきた子どもたちの愛想なさといい、グティエレスの対応(奥さんにとても別嬪だと伝えてください)といい、あまりコトが収まりそうにない。隣家同士のいやがらせが始まるのですが、それを語る筆致が、妙に深刻さを欠いている。そこのところ「プラスチック・ジャングル」とも共通していて「紫色の屍衣」の暗いタッチとは異なります。「プラスチック・ジャングル」は、のちにロバート・Ⅼ・フィッシュが編んだ『あの手この手の犯罪』に収録されましたが、犯罪なのかどうかは、きわめてあいまいです。プラスチック・アレルギーで人が死ぬというのも、聞きませんしね。それに対して「ああ、わが隣人!」は、事態が淡々と語られ、悲劇的ではあっても、あいまいなところはありません。しかし、ラストの通報の聞き違いの、唐突でありそうにない感じは、プラスチック恐怖症という飛躍したディテイルに共通するものがあります。
 続く「すべて順調」は、これまた口うるさい母親を、今度は息子がうとましく思っている話です。つきあっている女性を「いやしい生まれの女工」と言い放つ、傲岸な判事の未亡人(しかも、判事が生きてる時だって、これっぽっちも尊敬なんかしてなかったと言い放つ)なのです。このあたりの人間関係は、作り方もさることながら、それを伝えるのがまことに巧みです。そして、地獄のような暮らしから逃れるために、彼が母親を殺したのであろうことは、それと直接には書かれずに伝わり、そして、さらに、その結果が彼にもたらした、新しい地獄が、再び彼に凶器を取らせる。そのほのめかし方の巧妙さは、ジョイス・ハリントンが、エリン、ダール以来のアメリカのクライムストーリイの正当な後継者であることを示していました。
「緑の陥し穴」は、語り手のわたしが、一緒に暮らすエメリン(正確な間柄は不明)の声がうるさく感じられ、いつの間にか聞きたくなくなっていたという述懐から始ります。エメリンの口うるささの一方で、彼女には補聴器が必要になっていたのでした。エメリンにつけさせられた補聴器のスイッチを、しかし、彼女は時として切ってしまう。エメリンの声を聞いていたくないのでした。レンデルも十八番にしていた憎しみ合う同居人殺しの顛末を、ハリントン流に料理したものですが、ふたりの間のコミュニケイションツールであると同時に諍いの種子である補聴器が、最後まで話の鍵になっていました。
「夜這うもの」はヴァン・デ・ウェテリンクのアンソロジー『遠い国の犯罪』に採られましたが、どこともつかない場所ながら、これはアメリカの田舎ではないですかね。車椅子生活の父親(原因となった事故の補償金で、家の経済的実権を握っている。ただし、ときどき夜中に歩いている)は口うるさく、その世話に、生活の大半をとられている娘のミラベルは六フィートを超える大女です。たったひとりだけいた求婚者は、父親のあからさまな罵倒(つまらない金目当ての男)に恐れをなして、村から逃げ出したのでした。ミラベルは釣り人のためにミミズを育てて売っていますが、ミミズの世話は父親からの逃避でもあるのでした。黙々とミミズの世話をする大女(指にミミズを巻きつけたりする)、深夜徘徊する老人が行きつく洞窟、ヒロインが月光の下で佇む巨石と、ハリントン流の〈幻想と怪奇〉と思わせて、クライムストーリイになってからは一気の展開で、「紫色の屍衣」同様、ヒロインのひたむきさ一途さが出ていました。同居人とは少し異なりますが、「灰色の猫」は、どうやら孤児院にいるらしい主人公の女の子が、仲良しの娘に向かって、寮母らしきミス・スイスを殺してやりたいと、物騒です。ラジオはなくなるし、夜ごと窓辺に来ていた灰色の猫が、最近見かけない。きっと、ミス・スミスが捕まえて殺したに違いないというのです。この話のオチは、いささか作った感じがしますが、その発展型とも言えるのが「終のすみか」です。ニューヨークでひとり暮らしをする主人公は、デパートに勤めに出る途中、毎日バッグレディを目撃しています。にらみつけるような視線を、主人公はつい避けますが、気になっている事実は疑いようがない。やがて、彼女は老齢で、ひとり娘は結婚して西部で家庭を持っていて、汚い街から逃げ出せて(ニューヨークがどん底のころですね)せいせいしていることが、分かります。お母さんも一緒に住めばいいと誘ってくれていますが、娘が五歳のときに夫が亡くなり、初めて勤めに出たデパートでいまも勤務を続け、同じアパートで暮らし続けているばかりか、娘の部屋は手つかずに残しているのです。久しぶりの西部行きから帰ってきた主人公は、しかし、唐突に解雇と立ち退きに見舞われます。それまで、貧しくはあっても、懐かしくも美しかった主人公の周囲が、突然、古ぼけて色あせたものに一変するというのが、見事な展開で、以下、あれよあれよという間に、主人公が追い詰められていく。その変化は、ひとつの断層をいきなり超えたかのようで、ハイスミス的不条理に、彼女は呑み込まれていく。
 レンデルとハリントンに共通し、また頻出するのが、同居する者への憎悪と殺意です。その殺意の在りようと実行の経緯を微細に語ることで、浮かび上がってくる綾を見せる。「しがみつく女」の犯人の悲しさ、「紫色の屍衣」「夜這うもの」の犯人の一途さ、「終のすみか」の一変する主人公の姿などは見事なものでした。それは「ハエトリ草」「ああ、わが隣人!」のストーリイテリングとも異なるものでした。このふたりの作家によって、60年代に開花した短編ミステリは、クライムストーリイというひとつのジャンルを極限まで広げていったのでした。


※ EQMM年次コンテスト受賞作リスト(最終更新:2021年2月19日)



短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)
モーム、フォークナー他
東京創元社
2019-10-24


短編ミステリの二百年2 (創元推理文庫)
チャンドラー、アリンガム他
東京創元社
2020-03-19


短編ミステリの二百年3 (創元推理文庫)
マクロイ、エリン他
東京創元社
2020-08-24


短編ミステリの二百年4 (創元推理文庫)
リッチー、ブラッドベリ他
東京創元社
2020-12-21


短編ミステリの二百年5 (創元推理文庫)
グリーン、ヤッフェ他
東京創元社
2021-06-21