第12回創元SF短編賞の公募は2020年1月14日に開始しました。2021年1月12日の締切までに550編の応募があり、編集部5名による第一次選考で3月2日に66編を選出したのち、第二次選考で4月2日に次の7編を最終候補作と決定いたしました。
選評 堀 晃
選評 酉島 伝法
稲田 一声(いなだ ひとこえ)「サブスクを食べる幽霊たち」
中島 あおい(なかしま あおい)「はじまりのウィル」
能仲 謙次(のなか けんじ)「村人Aの奇行について」
中島 あおい(なかしま あおい)「はじまりのウィル」
能仲 謙次(のなか けんじ)「村人Aの奇行について」
松樹 凛(まつき りん)「夜の果て、凪の世界」(「夜の先、カムイの果て」より改題)
溝渕 久美子(みぞぶち くみこ)「神の豚」
矢野 アロウ(やの あろう)「大人になる」
渡邉 清文(わたなべ きよふみ)「ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分」
この段階で通過者に感想と指摘を伝え、約2週間の期間で一度改稿していただきました。編集部の総意として、細部の指摘はせず、大きく気になった点を順に伝えました。
最終選考会は、堀晃、酉島伝法、小浜徹也の三選考委員により4月27日、オンライン会議で行い、受賞作1編と優秀賞1編を次の通り決定いたしました。
受賞作 松樹 凛「夜の果て、凪の世界」
優秀賞 溝渕 久美子「神の豚」
この段階で通過者に感想と指摘を伝え、約2週間の期間で一度改稿していただきました。編集部の総意として、細部の指摘はせず、大きく気になった点を順に伝えました。
最終選考会は、堀晃、酉島伝法、小浜徹也の三選考委員により4月27日、オンライン会議で行い、受賞作1編と優秀賞1編を次の通り決定いたしました。
受賞作 松樹 凛「夜の果て、凪の世界」
優秀賞 溝渕 久美子「神の豚」
選評 堀 晃
今年も秀作が並んだ。最終候補の7編、いずれもたいへん面白く、楽しませていただいた。ただし役得はここまで。2度目は優劣をつけるために弱点を探しながら読むことになり、つらい作業でもあった。以下、7作品について、弱点についても述べるが、決してあら探しではなく、もっと面白くするためのアドバイスと思っていただきたい。
渡邉清文「ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分」は、19世紀のボヘミアを舞台とする人形劇団の物語。スチームパンクの変種というよりも、当時の雰囲気を忠実に描写しながら古典ロボットSFを成立させようという試みと読んだ。街並みや興行形態、パトロンなどの描写はうまいのだが、肝心の人形の細部がよくわからない。特に自我が芽生える一体については、もっともらしい部品をいかにもそれらしく描写してほしかった。それがないために、ラストの2行に唐突にカタカナの用語が出てくることになる。この部分は惜しい。
稲田一声「サブスクを食べる幽霊たち」の主人公はパートナーを亡くして落ち込んでいる作曲家。彼は遺品を持って、パートナーの前の配偶者との娘を訪ねる。そこで、故人がサブスクリプション(音楽配信その他)で利用していたアカウントを使うと、AIの判断で故人の「幽霊」と出会えるサービスがあると教えられる。これは、残された書斎に入ると故人の息遣いが感じられる……そんな感覚を拡張したようなものであろうか。新しいメディアに実感がわかないのは歳のせいだろう。すでに実用化されていても不思議でないサービスで、よく書けていると思うし、パートナーの遺児との関係も、いかにも現代風でいい。その幽霊の正体を作曲家は見破るわけだが(むろんその展開はいいのだが)、この場合、遺児はその正体を先に知っていて、作曲家を再起させるために仕組んだとした方がテーマに沿うのではないだろうか。
中島あおい「はじまりのウィル」は、なんと老人SFである。地球のいたるところで謎の小光球が群れをなして飛び交っている。80億年の時空を越えて飛来したらしいが、正体は不明。老人は海岸で、自分で改造したドローンを飛ばして光球の捕獲を試みる。世界に先駆けるという野心はなく、釣り感覚の娯楽で、捕獲できれば儲けもの程度の感覚である。そこに釣り人や子供たちが現れて話しかけてくる……。謎の光球の描写が(最終的に解明されなくても十分に)面白いが、それ以上に、この老人の心象が面白い。老人SFは、筒井康隆さんの長編、眉村卓さんの晩年の諸作くらいしか思い浮かばないが、案外これからの主流になるかもしれない。 高齢者の私としては、若い子供たちと老人を対比させるよりも、カバンから見守っている遺影?をもっと有効に生かすべきと思う。
能仲謙次「村人Aと企業戦士」は、近未来(2038年)のヴァーチャル・ゲームSF。上司の命令で、不思議な行動をとる人工知能イワンの調査を命じられたデバッガーは、ゲーム内に潜り込むが、イワンは進化していて、それを「保護」すべきか悩む。ゲーム内の行動と、現実のゲームメーカーの対比が面白いのだが、弱点がふたつあると思う。ひとつはメーカーのブラックぶりが物足りない。徹夜や飯抜きは今の会社でもざらだろうし、主人公は休暇もとっているから、普通の会社のように読める。ここは酉島作品を参考に。もうひとつ(こちらが肝心な点だが)作中の「AIの人権団体」が説明されていない。AIの人権をどんな基準で認めるのか。どんな人間?がどんな活動をしているのか。イワンは食べなくても眠らなくても平気なはずで、人権侵害に実感がわかない。
松樹凛「夜の果て、凪の世界」の中核アイデアは、意識の転送技術である。この技術が開発された近未来。耐熱性人工人体に転送されて地熱発電所の開発に従事していた5人の「空き家の人体」が盗まれる事件が起き、女性捜査員が派遣される。一方で意識を動物に転送する(これは違法)「動物乗り」という遊びが若者の間に流行していて、未来という少女はそのひとり。もうひとり、寝たきりの女性を守っている少女がいる。三視点で語られる背後に共通するのは、この地の伝承「凪狼」。寒冷地の描写、動物の疾駆など、いくつもの見せ場を経て、謎はしだいに絞られていく。見事な語り口である。
矢野アロウ「大人になる」の中核アイデアは、量子テレポーテーションともいうべき技術で、意識を4Dプリンターで再生させることで時空を移動できる。記憶を持ったまま生まれ変わるといっていい。冒頭の再生シーンの描写は見事だ。ポスト・シンギュラリティの世界で、主人公は私立探偵。赤ん坊を置き去りにして失踪した女の調査を引き受けるが、やがて背後にある陰謀に巻き込まれていく。これは見事に正統派ハードボイルドの展開である。女は自分の子宮で子供を生んだ。舞台はケニアからロスへ。ここで現れる女の姿にも意外性があって申し分ない。
溝渕久美子「神の豚」は、前記6作品とはまるで毛色が異なる。AIもクローンもゲームも意識も出てこない。「兄貴が豚になった」という冒頭のセリフに驚かされるが、じつは変身SFでもない。しいていうなら30年ほど未来の台湾を舞台にした豚料理小説。家畜が禁止された世界で、違法と知りつつ豚(兄貴?)を飼育し、一方で、伝統の祭事に供える豚を作る作業に熱中するお話である。こんな風に要約しても、この作品の躍動感は伝わらないだろう。現代SFの道具立てを意識的に使わず、まことに型破りな小説を作り出した。SFはこんな「はみだし小説」を受け入れる度量を持っていると思う。
「夜の果て……」「大人になる」「神の豚」は選考委員3人の評価が揃って高く、議論はこの3作に絞られたが、三つどもえ……というより三すくみ状態に陥ってしまった。そこでやむなく弱点を検討することになる。
「神の豚」は申し分なく面白いのだが、あまりにもSF味がなく、さすがにトップに推すには躊躇した。
「夜の果て……」と「大人になる」には、意識の転送・再生という共通点があり、その扱い方が、前者は限定的(動物乗りは違法とされている)、後者はある意味で万能。前者は、動物への転送についての考証が弱いのではないか。後者は、量子脳を万能コンピュータとしたため、最後の老人の語りが、夢オチとも解釈できる。私なりのアドバイスをすれば、量子脳は万能ではなく、オーバーロード(あるいはHAL9000)のような存在にした方が、結末に広がりが出たのではないかと思う。
その他、細々した議論を重ねた結果、表記の2作が受賞となった。矢野アロウさんは、まったくの僅差で惜しかったが、文章にも構成にも相当な力量が感じられるので、書き続けてくださることを願っている。
今回で私は選考委員交替となる。年齢による感覚の衰えが心配だったが、「最先端のSF」に接するまことに刺激的な2年間だった。応募者の方々に感謝申し上げたい。
選評 酉島 伝法
宮内悠介さんに続いて、今回から選考委員を2期務めることとなった。自身がデビューした賞であり、その時の選考委員だった堀晃さんとご一緒するというのは、時空が捻れ重なっているようで奇妙な緊張を覚えた。大森望さんと日下三蔵さんが選考委員として培ってきた、自分が応募したいと強い衝動に駆られた創元SF短編賞を次に繋げる気持ちで選考に挑んだ。
第11回からは、編集部の指摘を元に最終候補作を改稿していただいた上で、最終選考を行う形となっている。どう手が加えられるのかに興味があり、初稿も拝読した。
最終選考会では、最終候補の7作を一作ごとに取り上げ、選考委員がそれぞれに感想を述べた上で意見を交わした。わたしが述べたのは以下のような内容だった。
渡邉清文「ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分」は、19世紀のボヘミアを舞台にした、人形劇団からくり座の物語。田舎町の人形工房の作った自律して動く自動人形が人形劇団に買われ、これまでにない演目で人気を博し、やがて自我に目覚めて外の世界に出ていくまでが描かれる。
タイトルは最も印象的だった。舞台や道具立てには雰囲気があるし、丹念に書かれていたが、筋運びがやや単調で、自動人形に自我が芽生えるという帰結だけでは物足りなかった。『未來のイヴ』から『機巧のイヴ』まで様々な先行作がある中では、自動人形が当時のどういう仕掛けで作動し、どう知覚してどう思考するのかがぼかされているのは弱い。もっともらしく信じさせて欲しかった。
稲田一声「サブスクを食べる幽霊たち」。故人の使っていたサブスクリプションサービスのレコメンドリストを元にした、故人を感じられるサービスが流行り、やがて曲名や楽曲を言語とした故人との対話が可能となる。作曲家の語り手は、事故で亡くなった同性パートナーとの対話にのめりこむが、自身のアカウントとも故人と同様に対話できてしまうことに気づき――。
広告でハンドクリームを勧められるが手には遺品を持っている、という出だしはいいし、パートナーへの想いやその娘との関係もよく描けていたが、想定内に小さくまとまった感があり、SF的飛躍が欲しかった。話の中心となるサービスについては、レコメンドの精度が高くとも、遺品や記憶よりも故人を感じられるかどうかは疑問で、共感覚的な対話にはやや無理があるように思えた。そのサービスを介して現れる故人が、読み手にも強く感じられるほど描けていれば、また違ったかもしれない。
中島あおい「はじまりのウィル」。世界中の空に謎の発光現象が頻発する。それらが数億にも及ぶテニスボール大の飛行物体であることが判明し、ウィルと名付けられる。語り手の老人は、アシストフォンに搭載されたAIを相棒に、自ら改造したホビードローンでウィルの捕獲を試みる。
未知の飛行物体が大量に現れるという設定は魅力的で、それを追うホビードローンの描写にはスピード感と迫力があった。けれど、老人のまわりに釣り人や子供たちが現れだしてからは流れが停滞し、さらに彼らの正体がAIの分身であると判るのは、ウィルによる覚醒だったことを踏まえても拍子抜けした。ウィルの正体や、シンギュラリティの交わりによって生じる出来事に力点を置いた方がよかったかもしれない。
能仲謙次「村人Aと企業戦士」。バーチャルゲーム内の村に住むAIキャラクターのイワンが、村の平和のためにモンスターを排除する、という命令にない行動をとりはじめた。自我があると判れば人権団体に保護されてしまうため、デバッガーの語り手は、イワンに接触して持ち場に戻るよう諭すが、自らがゲーム世界にいることすら知らないイワンは言うことを聞かず――。
物語としてよく書けており、イワンの一途さも印象的で、好ましく思った。ただ、例えば映画『ニルヴァーナ』など、自我を持ったゲームキャラクターとクリエイターを描く先行作が頭に浮かぶだけに、もうすこし独自性が欲しい。バーチャルゲームなのに現在のゲームと変わらない印象なのも気になった。AIが命令に縛られていることから、人間も同じではないかと洞察するところが肝なので、もっと人間とゲームキャラクターの相似を強調してもよかったかもしれない。ゲームキャラクターの人権の在り方については、掘り下げが足りないと感じた。
矢野アロウ「大人になる」は、シンギュラリティを起こした量子脳に支配された世界が舞台で、人類は4Dプリンターから記憶を備えた大人として生まれ、自然分娩は行われなくなっている。主人公は誕生したばかりの私立探偵で、存在するはずのない赤ん坊の母親探しを依頼されて、アフリカやアメリカを転送で行き来しながら、量子脳に干渉されない世界を創ろうとする計画に行き着く。
設定の大胆さは随一で、冒頭、プールから生まれたばかりの探偵が服を着て車で出かけるまでの流れは出色。斬新なハードボイルドSFになりそうな気配と共に読ませるが、古典的なハードボイルドをなぞる形に留まったのは惜しかった。個々人が生まれ持つ記憶の来歴や、世界がこうなった経緯など、突き詰めると綻びそうな箇所も散見される。すべてが量子脳の書いた本だともとれるラストは、夢オチに近い印象を受けなくもない。
溝渕久美子「神の豚」の舞台は、伝染病のために家畜がいなくなった2049年の台湾。台北に住む語り手は、次兄から「兄貴が豚になった」と連絡を受け、故郷の三峡へ戻る。確かに長兄が消え、いるはずのない子豚がいた。その子豚を隠して育てながら、神豬という、肥育した豚を屠って飾り付ける祭を豚なしで行うために仲間たちと奮闘する。
その世界に生きる人々が肌で感じられる語り口に惹き込まれた。なにより子豚が愛らしい。兄貴が豚になった、という奇想が現実的な結末へと転じる流れもうまい。文章もこなれていて、最も安心して読めた。ガジェット的なSF要素は薄いが、豚が欠かせない祭を豚なしで行うための試行錯誤に、食肉という行い自体を顧みさせるSF的思弁性があり、今回最も評価した作品だった。ジャンルを超えた書き手となる可能性も感じさせる。ただ、初稿は過不足があってバランスが悪く、主要人物の関係性も異なっていた。編集部の指摘によって劇的に改善され、改稿力を高く評価できる一方で、最初からこの形に落とし込めていないことには懸念が残った。
松樹凛「夜の果て、凪の世界」。発電所の仕事のために人工身体に意識を転送していた5人の肉体が、密室から消える。その事件を調べていた捜査員は、現場近くで伝説の白い凪狼(カーム・ウルフ)を目撃し、この地域で孤立している凪狼の研究者に話を聞きにいく。一方、若者たちの間では動物に意識を転送する違法な動物乗り(ズーシフト)が流行っており、研究者の義理の娘がグレイハウンドで森を駆け回っていた。捜査官は捜査の途中でなにかに操られたような狼の群に襲われかけ、グレイハウンドに助けられ――ふたりの主人公の視点を交互に描きながら、5人の消失と凪狼の謎に迫っていく。
筆致は的確でリズムがあるし、構成は巧みで緩急があり、進むごとに生じる意外な展開に惹き込まれた。他者や動物への意識転送、においを介したコミュニケーションとコントロール、といったSF的な仕掛けも豊富で、物語としては申し分ない。ただ、動物の意識の定義や意識転送の設定など、根幹に関わるところで脳科学的な疑問を覚えた。この作品も初稿から大きく改善されている。
「大人になる」「神の豚」「夜の果て、凪の世界」については、各委員の事前評価が高く、議論の後もその印象が変わらなかったため、この中から受賞作を検討することとなった。3作とも趣向が大きく異なりそれぞれに一長一短がある、という見解が共通しており、しばし三竦みの状態が続いたが、今後の改稿によって解消できる瑕疵であるかどうかと、さらに面白くなる余地があるかどうかを考慮に入れることで、正賞は「夜の果て、凪の世界」に、優秀賞は「神の豚」に決まった。「大人になる」も評価が高く、僅差であったことは記しておきたい。
結果として受賞したのは、初稿への指摘に期待以上に応えて改稿された作品だった。書き上がった原稿に、一旦引いた視点で容赦なく手を加えられるかどうか。応募時点でそのレベルの改稿ができていればなおいい。
どの候補作も、次はどういうものを書かれるだろうと期待させる内容だった。さらなる驚きを目指して書き続けて欲しい。
選評 小浜 徹也
選評 小浜 徹也
応募総数550編は第4回以来の多さだった。東京創元社主催のミステリ新人賞2賞でも、最新回の総数は長編賞の鮎川哲也賞172編、短編賞のミステリーズ!新人賞608編で、どちらも過去最多。コロナ禍が影響した結果だと思う。
最終候補の7編はバラエティに富み、近年では最も豊作だった。
あまり伝える機会がないので最初に申し上げておくと、タイトルはとても大事。それも作品のうち、つまり著者の実力のうちで(たぶん3割ほど)、選考自体に直接は影響しないとはいえ、作品が世に出たときには決定的な差となる。応募者の方々も通過作リストを見て思うことだろうけれど、編集部内でも毎年、一次選考の段階から「このタイトルは面白そうだな」「これはないだろう」という会話が交わされる。なので応募するにあたっては、くれぐれも苦しまぎれのタイトルにならないようご留意を。
その点では渡邉清文の「ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分」というタイトルが今回最も目をひいた。舞台は19世紀中葉のチェコ。操り人形一座の主が、天才職人の作った自動人形2体を劇に加えようと思いつく。作中劇となる脚本も抜粋の形で盛り込まれており、哲学的なダイアログが魅力的だが、2体の人形の片方に顔がないという印象的な設定は作中劇のためだけに用意されたかのようで、作品そのものに効果を与えているかというと疑問だった。全体に作中劇に力がそそがれていて、背景となる人間社会とうまくつながっていないのではないか。また自動人形に自律的な視覚まで与えるなど、テクノロジーの加減に強引さも感じる。自動人形が自意識を獲得して町へ出ていく結末も平凡すぎないだろうか。チェコは独特の人形劇文化を持つ国で、実際に人形劇論がいろいろと考察されているので、そうしたものを外枠に導入できると膨らみが増したのではないか。
稲田一声「サブスクを食べる幽霊たち」。「サブスク」とは定額制会員用サービスのサブスクリプションの略称。同性婚をしていた男性が交通事故で亡くなり、彼が婚前に女性とのあいだにもうけていた一人娘が、父親のサブスク・アカウントを統合管理する専門サービスを利用しはじめる。死者のサブスクの管理は現実的な問題になっているし、導入も自然だが、「故人向けの推薦リスト」が示され故人を偲ぶところからSFに飛躍させる手つづきが強引ではないか。擬似的な存在同士を介して死者と生者を会話させるという後半部のアイデア自体はとても魅力的だが、それが成り立つほどの情報量がサブスクのデータ程度から導かれるのだろうか。語り口も好感を持てるし平明なだけに、そこを乗り越えられるだけの説得力がほしかった。
「村人Aと企業戦士」の能仲謙次は連続4度目の最終候補。昨年の「ミニーニャと私が見た地球」は地球破滅後の軌道上の衛星が舞台だったが、今回は一転して、近未来のゲーム開発企業の話。非正規社員の日常を中心にしていてまとまりもいいし、語り手が担当するゲーム内で自意識を発現させてしまったNPC(ノンプレイヤーキャラクター)に感情移入していく展開も無理がない。とはいえSFの核になるのは、会社が神経をとがらせる「AI人権保護団体」で、そのリアリティを欠いていると思う。保護団体がゲーム内のAIに対し「プログラムされた命令を解除し、完全な自由を獲得する」というが、具体的にどういう活動なのだろう。また、いきすぎた抗議団体に対して、この会社が困惑するばかりなのはある種のリアリティがあるとしても、それにまつわる議論が語り手の独白に終始していることも、背景となる社会事情を曖昧にさせてしまっていないだろうか。
中島あおい「はじまりのウィル」の「ウィル」とは、「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」の略で、作中では突如として地球に現れた不可解な光球の群れをそう呼んでいる。この現象を多くの研究機関が解明しようとするが、糸口をつかめないままだ。そうしたなか、引退した元技術者がひとり海辺でドローンを駆使して観測をつづけている。突然のファーストコンタクトを可能にしたのが、どうやらウィルに触発されて進化をとげたらしい、人類に行き渡ったサポート用ネットワーク・システムだった。ジュヴナイルにも似たSFの原初的な感動をもたらす作品で、数日間の物語のなかに、ウィルの80億年がかりの旅という宇宙的スケールがあっさりと提出されるのも好ましい。もっとも全体に説明過多で、主人公が他の登場人物と交わす会話も状況解説を兼ねているとはいえ、種明かしを知って再読すると無理があると感じた。著者はSFファンらしいセンスの持ち主なので、組み立て方の工夫次第ではさらにいい作品が書けると思う。
残る3作品が、受賞対象として議論された。
溝渕久美子「神の豚」は好感度が高く、全員の一致した評価を得た。このタイトルもハッタリがきいていると言えば言える。舞台は感染症の蔓延で食用動物がいなくなった近未来の台湾。ある日、実家で一人暮らししていた長兄が子豚に変わってしまったと、家を出て暮らしている次兄から末の20代の妹に連絡があった。彼女は台北での勤めを辞めて実家に戻り、このかわいい豚を隠して暮らすことになる。これも日常をベースにした話で、現状と同様の台湾の緊張した情勢を背景に、豚のいないなかで開かれる神猪祭という(実際にある)伝統行事に参加する展開になる。創元SF短編賞では(第1回佳作の高山羽根子さんを想起させる)新鮮な個性で、ほんのりした「IFの世界」性がうまく生かされた、愛される作品だ。まずこの作品を優秀賞に、というのが先に決まった。
最後の2編はともに力のこもった作品だった。正賞授賞議論は接戦となった。
矢野アロウ「大人になる」は、タイトルだけでは弱いが、これはつまり「人間は大人として生まれる世界になっている」という意味。未来のケニアを主舞台にしたサイバーパンク的ノワールである。SFドラマ『バトルスター・ギャラクティカ』で人間型サイロンが再生されたように、記憶を与えられた人間が生体用4Dプリンターによって30分で生み出される時代(同じシステムを利用して人間を遠隔地へ転送することもできる)。これが冒頭で示され強烈な印象をもたらす。この世界では人間から繁殖能力が失われており、そのなかで自然分娩で赤ん坊を産んだあと姿を消した女性を、語り手の私立探偵が追う。万能の量子脳が支配する時代に「古代より受け継がれてきた霊的つながり」を導入するなどセンスのよさを感じるが、言葉少なな語りのなかにケニアの人名や用語が頻出することもあり、読むにあたってはかなりの注意力を求められる。また、女性を探し当てたあととエピローグ部に、種明かしとテーマの開陳が集中していて重たい。そこまでのストーリーの起伏も含め、もっと紙幅が必要な内容なのではないかと思う。
「夜の果て、凪の世界」の松樹凜は昨年につづいての最終候補。こちらの舞台は北海道で、意識を人型AIに転送して行動できるようになっている。地熱発電所の工事中、作業用人型AIに意識を移して「空っぽ」になったままの5人の肉体が転送室内から消えた。この事件の調査を命じられた警察官の物語と並行して、同様の技術で動物に意識を転送できる禁断の「動物乗り」を娯楽として爽快感に酔いしれる無軌道な若者たちが鮮烈に描かれる。このふたつの話を、一人の自然保護活動家の女性と伝説の狼を軸に、嗅覚をテーマとして収斂させる展開も堂に入っており、長さに見合った収まりのよさがあった。昨年の「さよなら、スチールヘッド」が過不足ない出来とはいえ、どちらかといえば大人しい話だったのに比べ、今回は読後に若者らしい閉塞感と喪失感を残す印象的な作品である。もっとも「大人になる」とは逆に、動物乗りの技術的設定と社会背景の組み立てに物足りなさが残ったことは否めない。
正賞を「夜の果て……」と決定するまでには、主にこの作品で設定の不満を整えられるかどうかが検討された。また議論に際しては、松樹氏の昨年の最終候補作が惜しくも次点的評価だったことも加味された。小説家としての安定を感じたということでもある。
今回申し訳なくも無冠に終わった矢野氏の作品は、同氏の数年にわたる応募作のなかでも最高の出来だった。ぜひとも再度の挑戦を期待しています。