イーアン・ペアーズの『指差す標識の事例〈上下〉』(池央耿/東江一紀(あがりえかずき)/宮脇孝雄/日暮雅通 訳 創元推理文庫 上下各1260円+税)は、ほぼ間違いなく年度ベスト級の作品であり、かつ、時代ミステリとして歴史に名を残すレベルの作品である。事実、本国で1997年に刊行された本書は、既に高い評価を確立している。
1663年、清教徒革命で独裁者となったクロムウェルは既に亡く、王政復古によってチャールズ二世が即位したイングランドのオックスフォードで、大学教師の毒殺事件が発生する。本書はその事件を巡る、四つの手記――もちろん書き手はそれぞれに異なる――から構成されている。各手記は細切れに並べられるわけではなく、それぞれ一塊(ひとかたまり)で提示される。第一の手記が全て終わってから第二の手記が始まる。また、記述自体も前各手記を読み終わってから始まったと設定されている。このため、後続の手記には前掲の手記内容およびその著者に対する論評が頻繁に挟まる。
単純化して言えば、本書では、同じ事件、同じ人物が四回繰り返して語られることになる。ただし、書き手が違うので見ているものが異なり、新たに紹介されるエピソードも多数存在する。加えて思想や思い込みも各人ばらばらであり、同じ出来事であっても同じようには描かれない。そのバリエーションの豊かさと、それらの描写の濃度と密度には驚かされる。しかも17世紀の手記という設定を活かして、書き手の主観が地の文の大半を埋め尽くす(20世紀以降の文学作品の客観性は、ここにはない)上に、記述者全員が衒学(げんがく)的なので脱線を頻繁に起こし、この印象は助長される。
しかも四つの手記の味わい/読み口が異なることを、日本語訳にも反映するため(だと思うが)、それぞれ異なる翻訳者を割り当てている。出版社の英断が光る。しかもメンバーが豪華である。東江一紀氏にとってはこれが生前最後の訳業であったらしい。もちろん質は四者いずれも素晴らしく、17世紀の雰囲気と、各書き手の個性をしっかり弾き出している。
単純化して言えば、本書では、同じ事件、同じ人物が四回繰り返して語られることになる。ただし、書き手が違うので見ているものが異なり、新たに紹介されるエピソードも多数存在する。加えて思想や思い込みも各人ばらばらであり、同じ出来事であっても同じようには描かれない。そのバリエーションの豊かさと、それらの描写の濃度と密度には驚かされる。しかも17世紀の手記という設定を活かして、書き手の主観が地の文の大半を埋め尽くす(20世紀以降の文学作品の客観性は、ここにはない)上に、記述者全員が衒学(げんがく)的なので脱線を頻繁に起こし、この印象は助長される。
しかも四つの手記の味わい/読み口が異なることを、日本語訳にも反映するため(だと思うが)、それぞれ異なる翻訳者を割り当てている。出版社の英断が光る。しかもメンバーが豪華である。東江一紀氏にとってはこれが生前最後の訳業であったらしい。もちろん質は四者いずれも素晴らしく、17世紀の雰囲気と、各書き手の個性をしっかり弾き出している。
この作品の小説としての肝(きも)は、各手記の書き手が、自分にとって都合の悪いことを省略している、或(ある)いは歪めて書いている点にある。たとえば最初の書き手のヴェネツィア人コーラである。裕福な商人を父に持つ彼は、父のイギリスでの財産を守るため渡英してきたがトラブルがあってオックスフォードに流れて来た。彼はヴェネツィアで最新医学を齧(かじ)っており、それをベースに病人に医療(輸血のようであるが、血液型の概念がないので我々からは見るからに危険)を施(ほどこ)す。そして自分のことは、それなりに誠実で怜悧(れいり)であるかのように描く。そして読んでいる最中は、これらのことには疑念など浮かばない。立派な手記である。
しかし彼は後続の書き手から、虚偽、隠蔽(いんぺい)、歪曲を散々に指摘される。同じ時期に同じ場所にいた者にとって、その看破は容易だったらしい。そして、その意図も後続の書き手は推測している。
しかし彼は後続の書き手から、虚偽、隠蔽(いんぺい)、歪曲を散々に指摘される。同じ時期に同じ場所にいた者にとって、その看破は容易だったらしい。そして、その意図も後続の書き手は推測している。
他方、これら後続の書き手も、少なくとも第二・第三の者は省略をかなり行っており、後続の書き手から指摘を受けている。となれば、読者としては、最後の第四の書き手も同種の誤魔化(ごまか)しを行っていると邪推してしまうのが人情である。また、前各手記を否定的に捉えている箇所は、しかしそれ自体が何か目的あってのことではと疑いを持ってしまう。かくして手記の書き手はめでたく、全員が「信用できない語り手」となる。ミステリとしての成功は、この時点で約束されていたと思われる。
加えて、各手記最低でも一回は衝撃的な展開が生じる。四つの手記はいずれも書き方が荘重(そうちょう)であるが、このように展開が劇的であるため、読者に息をもつかせない。
他方、手記が進むにつれて、最初は背景程度だった時代(王政復古期のイングランドの混乱)が、じわじわ主筋に絡んでくる。物語のスケールが拡大し、17世紀の世相と風景が目の前にぶわっと広がっていく。これぞ歴史小説の醍醐味(だいごみ)!
計1000ページを超える大部だが、各記述者の個性が明確に刻印されていて読み飽きない。17世紀の風俗、習慣、常識、良識がしっかり描写され、21世紀に生きる我々との差も明確にわかり、それがまた面白い。小説が読者に違う人生を生きさせてくれるものとするなら、本書はその最高水準の体験をもたらす。そして最後に、詳しくは書けないが、《真相》も衝撃的であり、推理の起承転結が明確かつハイクオリティなのも特徴だ。これほど盛り沢山な小説も、またとはあるまい。