mysteryshort200


 1975年のWinter’s Crimes7の邦訳は『ポートワインを一杯』の題名で、1980年に出版されました。ウィンターズ・クライムの最初の邦訳書でした。惹句には「現代英ミステリの趨勢を伝える傑作シリーズ」とあります。全11編のうち、ディテクションの小説は、H・R・F・キーティングの「ゴーテ警部とイギリス人著名作家」、ジェイムズ・マクルーア「噂の殺人」のふたつだけです。このふたつにしても、推理や推論の面白さとか、探偵が活躍するという面白さではなく、異国(インドと南ア)での事件の、物珍しい面白さで読ませるものでした。それ以外の作品は、シリア・フレムリンの「空室あります」が、赤ちゃん誕生を目前に新居探しで追い詰められた若夫婦(口うるさい現在の大家に引っ越しを催促されている)の前に、好条件の物件が飛び込んできたところ、部屋には見知らぬ女の死体が隠されていて……というサスペンス小説だったのを除けば、すべてクライムストーリイでした。フレムリンの小説は、サスペンスストーリイではある――ヒロインが夫にまで不信感を抱くあたり、ウールリッチふうでもあります――ものの、筆致も結末も明るいもので、軽量級ながら楽しめる仕上がりでした。
 さて、それ以外のクライムストーリイです。
 デイヴィッド・フレッチャーの「コラベラ」は、アンファンテリブルものですが、継父殺しの残酷さが、短かい中にも粘っこく描かれていて、必ずしも新味があるとは言えない話をていねいに描くことで読ませてしまうという、このアンソロジーのひとつの典型的な行き方を示していました。表題作となった「ポートワインを一杯」は、昔なつかしいアンドリュウ・ガーヴの珍しい短編です。金満家の叔父殺しを目論む、不動産仲買人の主人公が思いついた完全なアリバイは、自宅と同じ間取りの物件が叔父の家近くにあることを用いて、客を自宅に招いたと見せかけて、その家を用いるというものでした。ディテクションの小説の種明かしとして使えば、単なる二番煎じに終わるものです。しかし、犯行計画の周到さとそれを描く細かさは、さすがにガーヴです。『メグストン計画』の前半を支えたのも、同種の巧みさでした。同様に完全犯罪が綻びていく様を、一気に描いていく終盤力も、また健在でした。スレッサーふうに、一言、一文でキメるのではなく、些細な突発事から、計画の瑕が露になり、それをカヴァーしようとして、さらに傷口が広がる。その顛末を前半の手厚さとは対照的にスピーディに展開していく。このドライヴがかかっていく感覚が、ガーヴ流というものでしょう。ルース・レンデルの「落し穴にご用心」は、「まさかと思うだろうが、こないだの月曜日、女房を殺そうとしたんだ」と始まる、この作家には珍しい陽気な男の一人称でした。ベストセラー作家の妻に食わせてもらっている、冴えない園芸コラムニストが、妻の秘書のひとりとデキて、身の程知らずにも殺人の計画を立てたものの、男の性格どおりの冴えない結果に終わった顛末を、勧められる酒のままに面白おかしく喋っている……とみせかけてという話は、この年「カーテンが降りて」でエドガーを獲ったレンデルが、年の瀬に軽く遊んでみせた、さながら新春スター隠し芸大会(中年のころの堺正章みたいなものですかね)のような一編でした。
 こうしたクライムストーリイの佳品の中でも、読み応えがあったのが、テッド・ウィリスの「白い山から来た男」でした。クレタ島に生まれた主人公が幼いころに体験したのは、自分に親切にしてくれた男が、姦通を犯し、相手の女は石を投げられて追放され、男も去勢された上に殺される(寝取った相手が親戚だったため、なお罪が重いとされ、去勢だけでは済まなかった)というものでした。それが誇りを守るための唯一の方法であると。青年期に対独のパルチザンに身を投じて、戦士として鍛えられた彼は、戦いの中で知り合ったオーストラリア人兵士の勧めで、戦後オーストラリアに渡り、身を立てます。事業家として成功し、13歳年下の弟を呼び寄せる。力こそが誇りを守り、金こそが力と信じて疑わない彼は、年若い美人の妻を得る一方、自分の脛をかじるしか能のない弟を作ってしまう。そして、齢の近いふたりが接近するのは当然のことのように読者には見えてくる。文明社会の中で、なお自らの誇りを守るため完全犯罪を企図する男の悲劇と破滅を、悠然と語って、イギリスの小説の最大の武器が、こうした物語性であることを無言で示した秀作でした。

 1976年のWinter’s Crimes8『ある魔術師の物語』は、ヒラリイ・ワトスンが編者となって、10編を収録していました。
 ここでも、ディテクションの小説は少数派で、しかも、ジョン・バクストン・ヒルトンの「ベラミーのバス」、デズモンド・バグリイの「ジェイスン・Dの秘密」といったディテクションの小説といっても、いささか破格のものが目立ちます。まっとうなディテクションの小説は、三毛猫ホームズの先行作といった風情の、エリス・ピーターズ「教会の猫」くらいではないでしょうか。
「ベラミーのバス」は、改造して動く語学教室に仕立てたバスが、村のまわりを走っているうちに溝に突っ込んでしまいます。バスの中は毒ガスが充満し、運転手でバスの主のベラミー以下全員が死んでいる。バスの中では、ドイツ語の教材テープが流れ(ここを左にまがると、どこに出ますか?なんてドイツ語が流れるのです)、乗っている生徒もドイツ語で答える。時限装置で毒ガスを発生する仕組みが残されていて、犯行方法は分かります。さらに、車内をモニターしていた音声テープも残っていて、担当の刑事がそれを聞くことで、毒ガス発生の瞬間までの車内の音声が再現されていきます。凝ってはいますが、あまり驚きはなく、犯行動機もいささか説得力に欠けるように思います。むしろ、意外なことにデズモンド・バグリイが書いたディテクションの小説「ジェイスン・Dの秘密」が、ダイイングメッセイジをあつかっていました。もっとも、金に困った叔父が、危険な相場師である甥に金を借りているという、定石とは反対の設定で、しかし、大勝負に負けて破滅寸前の甥が、期限までまだ猶予があるはずの借金の返済を頼みにくるという始まりです。直後に叔父が死んで、甥の行動はあたかもアリバイ工作をしているかのように、わざと人目につこうとしているかのようでした。しかも、死の直前に被害者はジェイスンDと、甥の名を書き残している。このメッセイジの、容疑者による解釈の言葉遊びに淫したところ、エラリイ・クイーンのパロディの趣きさえあります。こんなふうに、謎解きミステリのクリシェを組み合わせながら、いかにも粘り強くカンと経験に頼る警部に、金融や投資に詳しい刑事を配するといったように、伯父甥の関係同様、巧みに定石をはずしてもみせる。警察小説にして変化球という珍品を、冒険小説の雄が書いて見せた、これまた、かくし芸のような一編でした。
 もっとも、この短編集に関しては、クライムストーリイに、あまり収穫がありません。キリル・ボンフィグリオリの「風邪を引かないで」は、語り手のユーモアがわざとらしく、訳文もそれを助長するものでした。メアリイ・ケリイの「死の影なる生」は、逢引きのために、人目につかない場所を探している、ティーンエイジャーのカップル――出来れば、最後までいきたいのです――が、巻き込まれる犯罪の顛末です。カップル、とくに女の子の好奇心と自己正当化が巧みに描かれていて、ゆっくりした展開から、起きる事件も説得力充分です。ただし、クリスチアナ・ブランドの「もう山査子摘みもおしまい」と比べると、主人公たちをとりまく人々の人物像、描写が物足りないうらみがある。そうした、小説全体の持つ厚みが違っているのです。P・D・ジェイムズの「豪華美邸売ります」は、「たいして重要でもない検察側証人をつとめた」という男が語り手です。サディスティックな夫と従順な妻との間に起きた殺人が実は……という、ヒッチコックマガジン流が、イギリスの風土に植えられると、こうなるというようなアイデアストーリイです。ウィリアム・ハガードは60年代の中堅スパイ小説家です。題名の「ティメオ・ダナオス」はラテン語で「ギリシャ人を恐れよ」で「贈り物を持ってきても」と続く成句です。どうやらクレタ島らしい、ギリシャ人とトルコ人がギリシャ人優位でせめぎ合っている島が舞台です。ヒロインはイギリス貴族を夫に持つオランダ人ですが、あからさまにトルコ人びいきで、ギリシャ人からはもちろん、イギリス人社会からも浮いている。ある日、警察から呼び出され、出頭途中を狙撃されます。しかも、スパイ容疑がかかっていて国外退去を命じられる。しかし、シリアスなタッチではありません。夫は事業に成功した貴族で金も地位も充分。おまけに、彼女の実家も太い(娘を妊娠させたイギリス貴族に「失墜させることはできないまでも何年間か出世をおくらせることならできた」ので、ショットガン結婚式を迫ったのです)ので、国外退去もそれほど怖くない。ハガードは、もともと異郷でコミュニティを作るイギリス人を描くことが多く、そのユーモラスな一編でした。楽しく読める昨品ですが、グリーンやアンブラーがとうにやったことと言ってしまえば、それまでです。

 そして、1977年のWinter’s Crimes9『またあの夜明けがくる』です。編者がジョージ・ハーディングに戻りました。そして、この短編集が、ウィンターズ・クライムのひとつの画期となった――少なくとも、日本においては――と、私は考えます。邦訳書が出たのこそ1982年ですが、それ以前に紹介された作品群が、ウィンターズ・クライムというアンソロジーにミステリファンの目を引きつけたと思われるからです。
 まず、初登場のコリン・デクスター「エヴァンズ、初級ドイツ語を試みる」です。なうての脱獄常習犯のエヴァンズが、刑務所でドイツ語の講座を取り、資格試験を受けるその日、刑務所長以下、誰もエヴァンズが本当にドイツ語に関心があるとは思っていません。どこかで脱獄のチャンスを窺っているに違いないのです。長編のデクスターとは異なり、脱獄するか否かのサスペンスと、脱獄(するのです)後の攻防で読ませるクライムストーリイでした。P・B・ユイルの「ヘイゼル、借金取立てをうけおう」は、金に困って借金取立ての仕事を紹介された、そんな仕事には不向きな主人公の話でした。この二編は、ユーモラスなクライムストーリイとして一読させますが、それほど驚くようなものではありません。
 パトリシア・ハイスミスの「またあの夜明けがくる」は、ハイスミスの個人短編集でも読みましたが、幼児虐待の救いのなさと無力感をあますところなく描き出して、ヒロインの感覚が鈍磨していくところまで、読者に伝えてしまうのが、さすがでした。マーガレット・ヨークの「解放者」は、語り手である主人公のオールドミスが、ツアー旅行でイタリアへ来ています。ツアー客の中に、他人にNOと言えない物静かな婦人がいて、傍若無人で自分の眼からでしかものを見ることの出来ない男に、つきまとわれている。男は親切心からかもしれないけれど、食事から何から件の婦人につきまとい、他人の迷惑を省みない。ひとり旅同士なので、ホテルやレストランもいつのまにか、カップルのように扱い始めて、他のツアー客は、端から敬して遠ざけています。明らかに婦人は迷惑顔です。そんな些細な人間関係の綾に、急速に翳がさすのは、主人公が戦争中にフランスで対独レジスタンス活動をしていて、武器もあつかえれば、人も殺せる人間だと分かってからでした。主人公は秘かに男を殺し、その結果、箍がはずれたかのように、迷惑な人々を殺めていくようになります。ルース・レンデルの「運命の皮肉」「生まれついての犠牲者」)は、「解放者」と対照的に、あけすけなまでに自分の男出入りを自慢する女が登場します。郊外のコミュニティでは敬遠されるタイプですが、人のいい主人公とその妻は、なんとなく、彼女と近所付き合いを始めてしまう。おとなしい奥さんは、親しい人がいなかったのか、彼女との付き合いにのめり込んでいきます。主人公はうんざりし、彼女の体験談ははったりではないかと疑い始め、それとなく、彼女に話の水を向ける。そして、彼女が男に縁がないと分かったところで、主人公は、彼の妻が付き合いにのめり込んでいたのではなく、女の方が妻を離さないのだと気づきます。妻をからめとられたと感じた主人公は、女を殺すことを決意します。
 そして、この短編集の白眉は、ジェイムズ・マクルーアの「パパの番だ」でしょう。離婚して三人の子どもとは別居している主人公には、再婚を考えている女性がいます。今日は、定期的にやってくる子どもたちと過ごす日です。ピクニックに連れていく予定ですが、主人公は彼女に一緒に来るよう頼みます。子どもたちも、会いたがっているからと。危ない場所には行かせないでと、母親が頼むという伏線があって、しかし、行く先には断崖があります。五人の関係はさしたるぎごちなさもありません。むしろ友好的な部類に見えます。それでも、彼も彼女も心に屈託が生じるのを抑えられない。そして、彼女の心には希望の持ちようがなくなっていき、それを避けることが出来ません。結末までは一気呵成。最後の一文は苦いものでした。
 これらの短編は、人間関係のちょっとした綾や、生活する上での生きづらさから、巧妙にクライムストーリイを組み立ててみせてくれました。レンデルはEQMMに短編が載りますから、本邦初訳はEQでしたが、あとはミステリマガジンがウィンターズ・クライムに目をつけたことで、掲載したものでした。


※ EQMM年次コンテスト受賞作リスト(最終更新:2021年2月19日)



短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)
モーム、フォークナー他
東京創元社
2019-10-24


短編ミステリの二百年2 (創元推理文庫)
チャンドラー、アリンガム他
東京創元社
2020-03-19


短編ミステリの二百年3 (創元推理文庫)
マクロイ、エリン他
東京創元社
2020-08-24


短編ミステリの二百年4 (創元推理文庫)
リッチー、ブラッドベリ他
東京創元社
2020-12-21