イタリア発、21世紀の〈87分署〉再び
――美しくも信頼できないナポリの五月は、なにが起きても不思議ではない

川出正樹 Masaki Kawade 




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  「スティーヴ・キャレラがぞっとするようなものが二つあるとすれば、その二つとは、
  大金持ちのからんでいる事件と、子供にかかわりのある事件だった」
                         エド・マクベイン『キングの身代金』

  「悲観主義者なのに(あるいは、逆に、悲観主義者だからこそ)、イタリア人は自分の
  人生や社会をたえず変えようとする」
                  ファビオ・ランベッリ『イタリア的 「南」の魅力』

 あの七人が帰ってきた! ナポリで最も治安の悪い地区の一つを管轄する小規模ながらも戦略的に重要なピッツォファルコーネ署に勤める、一癖も二癖もある愛すべき七人の警官たちが。“イタリア発、21世紀の〈87分署〉”と謳われたマウリツィオ・デ・ジョバンニによる人気警察小説シリーズの第一作『P分署捜査班 集結』の刊行から一年、早くも第二作『P分署捜査班 誘拐』の登場だ。まずは前作の内容を簡単に紹介すると――、
 コカイン密売容疑で逮捕された捜査班の欠員を補充するために各分署から送り込まれたロヤコーノ警部を始めとする四人の刑事。有能だが元の職場で厄介者扱いされていた彼らは、汚職事件とは無関係だった古参の二人とともに、情が深く統率力があり熱意溢れる若手の新任署長パルマのもとで急造チームを結成する。前任者が起こした不祥事のせいで、ほかの警察官からは“ピッツォファルコーネ署のろくでなし刑事”と白い目で見られ、上層部からは一挙一動を注視される中、各人各様の欲望と悩みと欠点を抱えた孤独な刑事たちが、分署存続を懸けて少女監禁事件とスノードームという奇妙な兇器による公証人の妻殺害事件の真相を追う。
 さて、そんないわく付きな成り立ちだけに当初はギクシャクしていたものの、初陣を飾ってチームとしての連帯感も生まれた〈P分署捜査班〉の面々が次に立ち向かうのは、奇妙な空き巣事件と狡猾(こうかつ)な児童誘拐事件だ。
 ナポリの街がひときわ美しくなる五月のとある日の早朝、マンションに泥棒が入ったという通報を受けて、早出をしていたロヤコーノ警部は、市民の安全を守れなかったという後ろめたさを感じつつディ・ナルド巡査長補とともに現場に向かう。被害に遭ったのはスポーツジムを経営する夫妻。週末旅行に出かけているあいだに、金庫を破られ中身を盗まれてしまったというのだ。だが、よくある空き巣事件とは明らかに様子が異なっていた。開け放たれた玄関ドアにはこじ開けた形跡がなく、複数の防犯カメラを備えた警報装置のスイッチは、妻が入れ忘れていた。しかも床やテーブルの上に、陶器や絵画、財布等の貴重な品々がまるで展示するみたいに整然と置かれていたのだ。壊れたものは一つもなく、金目の品がなにも盗まれていない。混乱のなかに細心の注意と秩序がある奇妙な犯行現場に違和感を覚えたロヤコーノ警部は、保険金詐欺を狙った自作自演を疑うものの、保険には未加入だという。その上、金庫を管理していた夫は、中にはたいしたものは入れてなかったと主張。なぜ彼は、明らかな出任せを言うのだろうか。
 一方その頃、ピッツォファルコーネ署では、オッタヴィア副巡査部長が応対した電話の内容に署長以下全員が凍りついていた。美術館に見学に来ていた私立学校の十歳になる男子生徒ドドことエドアルドが連れ去られたというのだ。現場に急行したロマーノ巡査長とアラゴーナ一等巡査は、一緒にいたクラスメイトから、金髪の女性が、彼女に気づいて手を振ったドドに手招きをしたという証言を得る。二人の様子から顔見知りの可能性も高く、誘拐と断定できない中、姿を消した少年がナポリでも指折りの資産家の唯一の孫だと判明し、にわかに空気が張り詰める。そして翌日、ついに犯人からの電話が鳴った。
 辻褄が合わないことだらけの異様な窃盗事件と入念に仕組まれた児童誘拐監禁事件。前者は被害者の証言が信頼できない点が、後者は第九章で早々に明かされるように実行犯と計画者とが異なる点がミソだ。どちらの事件も、不測の事態が発生したせいで犯人の思惑通りにことは進んで行かない。とりわけ誘拐事件の方は、真犯人が周到に巡らした措置故(ゆえ)に状況が大きく変化し、終盤、一気に緊張感が高まる。
 この二つの難事件に加えて、本書にはもう一本太い柱がある。最古参のピザネッリ副署長が、ここ数年、独自に調査し続けている一連の自殺案件だ。過去十年間に同じような自殺――全員が孤独な失意の人で、署名のない簡潔な書き置きだけを残している――が管内で何件も起きていることに不審の念を抱いたピザネッリ。この管区で生まれ育ち、自他共に認める地区の生き字引である老齢の警官が、悲劇の裏で暗躍する人物がいるはずだと確信するも同僚から賛同を得られず、本来の職務とは別に時間外に一人で追いかけている様は、前作『P分署捜査班 集結』でも大きく筆を割かれていた。妻の身に起きた不幸な出来事をきっかけに親友となったレオナルド神父も、ピザネッリの仮説には否定的で、進展のないまま貴重な時が過ぎていくのだが、今回、新たな局面を迎えることになる。
 同時進行する独立した複数の事件に立ち向かう刑事たちの姿を、公私両面から情緒豊かに活写していく手法は、まさにエド・マクベインが〈87分署〉シリーズで確立した警察捜査小説のスタイルを継ぐものだ。実際、イタリアのエンターテインメント総合サイトComingsoonに掲載されたインタビューの中で、子供の頃から〈87分署〉シリーズを愛読し、複数の主人公を作品ごとに切り替えて起用するチームによる集団捜査という革新的な発想に夢中になり、ミステリを読み漁っていた父親にも勧めたと語っているように、マウリツィオ・デ・ジョバンニは、このシリーズに対して強い敬意を抱いており、そこかしこに影響が見て取れる。
 例えばキャラクター面では、本シリーズの中心人物であり東洋的な風貌から“中国人(チネーゼ)”とあだ名される堅実で論理的な思考をするロヤコーノ警部は、〈87分署〉のトップ・スターでイタリア系二世のスティーヴ・キャレラ二等刑事を彷彿とさせるし、テレビドラマのタフガイ刑事の外見を真似ている傍若無人ながらどこか憎めない若者アラゴーナ一等巡査は、ダイヤモンドの原石のような才能を秘めているが、同シリーズのバイ・プレイヤー、オリー・ウィークス一等刑事に通じる無自覚な差別と偏見の持ち主だ。
 また、季節や自然現象を擬人化して、街そのものとそこに暮らす人々の悲喜交々(こもごも)を印象的かつ鮮烈に描き出す技法も、明らかにエド・マクベインに倣(なら)ったものだろう。「五月を信用してはならない。五月はすぐに裏切る」という幻想的なフレーズに始まる第十八章の幕間で、冷徹な筆致で人の世の有為転変を素描する様は、〈87分署〉シリーズの代表作の一つ『電話魔』の「四月は淑女のようにやってきた」という蠱惑的な一文に続く幕開けを思い起こさせる。
 ちなみに本シリーズの中心人物であるジュゼッペ・ロヤコーノ警部が初登場するIl metodo del coccodrillo(2012)は、2006年の長編デビュー以来書き続けている代表作〈リチャルディ警視〉シリーズ同様、探偵役である主人公の単独視点で書かれており、警察捜査小説の体裁をとっていない。マフィアの一員が情報提供者として名指ししたという真偽不明の汚点がついたために、故郷シチリアからナポリに左遷されてきた余所者のロヤコーノが、土地勘も情報源もない中、論理的思考を武器に連続殺人犯“クロコダイル”の正体を突き止めるこの作品で、マウリツィオ・デ・ジョバンニは、同年イタリアを代表するミステリ賞のジョルジョ・シェルバネンコ賞に輝いた。そして翌2013年、自分でも〈87分署〉スタイルの小説が書けることに気づいたデ・ジョバンニは、ロヤコーノを再起用するに当たって従来のスタイルを捨てて、同作の脇役パルマ警視と新たに創造した個性豊かな五人の警官を加えた警察捜査小説へと思い切って方向を転換する。かくて、事件ごとに捜査に当たる刑事の組み合わせが変わるという集団捜査ものの特性を活かして、メンバー同士がお互いに抱いている印象や感情をより深く描き、流動的で毎回新鮮な発見のあるシリーズとして本格的にスタートすることに成功したのだ。
 さて、第一作『P分署捜査班 集結』の幕切れにも結構意表を突かれたが、今回のラストシーンは前作を遙かに上回る。次作Gelo(2014)でこの点に関してフォローされるのか否か、気になって仕方がない。シリーズが順調に翻訳されることを願いつつ筆を擱(お)きたい。



■川出正樹(かわで・まさき)
書評家。著書に『ミステリ・ベスト10』『ミステリ絶対名作201』『ミステリ・ ベスト201 日本篇』(すべて共著)がある。

集結 P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2020-05-29


誘拐: P分署捜査班 (創元推理文庫)
マウリツィオ・デ・ジョバンニ
東京創元社
2021-05-10