本書はロバート・シルヴァーバーグOne of Our Asteroids Is Missingの翻訳である。英語の原題は邦訳すれば「われらが小惑星、目下ひとつ行方不明」――一九六四年、エース・ダブルブックの半分として上梓された。こう書いてもいまひとつピンと来ない読者がまだまだおられると思うので、すこし説明しておこう。
 この叢書エース・ブックスは一九五二年、同名の出版社設立と同時に誕生。二冊の本を背中合わせにしたダブルブック形式というユニークな造本で名を売り、翌年、古くからのSFファン、ドナルド・A・ウォルハイム Donald A. Wollheimを編集長にSF路線に乗りだした。
 判型はふつうのペーパーバックより上下にすこし寸詰まり。わが国の文庫本と似たかたちで、はじめはウエスタンやミステリも出ていたようだが、なかでもSFの売れゆきが断トツによかったのだろう、他のジャンル作品はしだいに影を薄くし、エース・ダブルの消滅とともにウォルハイムの頭文字を冠したSFおよびファンタジイ専門のDAW(ドウ)ブックスとして再出発した。
 エース・ダブルの価格は、二十五セントが普通の五〇年代初頭ですこし高めの三十五セントから出発したが、たとえばヴァン・ヴォ―クト『非(ナル)Aの世界』と同『宇宙製造者』、ロバート・E・ハワード『征服王コナン』とリイ・ブラケット『リアノンの魔剣』が合本でお得感があり、路線が定まった。その後、諸物価高騰のあおりをくって、作品の総ページ数はしだいに少なくなり、本書『小惑星ハイジャック』の原書が出版される六〇年代なかばには、ダブルブック合わせて普通のペーパーバックより多少お得感のあるページ数に落ち着いた。したがって、そのダブルブック半分の邦訳自体も通常のペーパーバックの翻訳よりすこし薄めとなっている(ちなみに原書の裏側はヴァン・ヴォークトの中編三作をおさめた未訳の作品集The Twisted Men)。

 さてシルヴァーバーグとのつきあいは、ぼく自身ずいぶん長い。高校時代、英語の勉強と称して辞書を引き引きペーパーバックを読んでいく過程で、英文が平易で読みやすく、すぐに物語に入っていけたのが、このシルヴァーバーグだった(平易で読みやすいといえば彼より二十年先輩のエドモンド・ハミルトンがいるが、第二次大戦をはさんでSFの書き方がずいぶん変わってしまうので、そういう作家とは別に考えたい)。
 なにしろ原書ではじめて読みおえた長編が彼のRecalled to Life『生命への回帰』の題名で邦訳されている)。これは邦題からも知れるとおり、生きとし生けるものにとって永遠の壁――死への挑戦がテーマで、テーマの重さの割に読後の印象は軽かったが、最初期の作品らしく作者の意気込みが感じられて面白かった。それから幾星霜、彼の小説はずいぶん読んできたが、これだけ多作で、似たような題材でもテーマの重複を感じさせない作風はあっぱれというほかない。

 さて本書『小惑星ハイジャック』はロバート・シルヴァーバーグの作と冒頭で紹介したが、アメリカではその名前で出版されたわけではない。作者名はキャルヴィン・М・ノックス Calvin M. Knoxで、当時シルヴァーバーグがSF執筆のさい使っていたペンネームのひとつである。
 シルヴァーバーグの作風にいちばん近い作家をわが国でさがすとすれば栗本薫(中島梓)だろうか、二人とも他の作家の追随を許さぬ多作で知られ、著作リストは厖大なものとなる。栗本は後期になって《グイン・サーガ》という長大なシリーズに集中したが、シルヴァーバーグはそのキャリア全体にわたって単発ものに力を注ぎ、犯罪小説、ウェスタン、ジュヴナイル、ポルノ、ノンフィクションなどなど、著書は数百点にのぼる。
 シルヴァーバーグと長編の合作もあるランドル・ギャレットが面白いエピソードを紹介している。ギャレット自身はすでに故人だが、あるとき二人で打ち合わせをし、終わって部屋を出ようとしたところ、ドアを閉めるか閉めないかのうちに、タイプライターをたたく淀みない音が始まったという。ふつうの人間なら、打ち合わせのあと考えをあらためて整理する時間を取るのに、そういう道草は一切なし。
 また作家にはwriter's blockといって、書けなくなる時期(わが国では「スランプ」と訳されている)があるのに対し、シルヴァーバーグの旺盛な執筆ぶりを見て、あなたにはそうしたスランプ時期はないのかと質問した人間がいたという。
 するとシルヴァーバーグ答えて曰く、「あるとき十五分ばかりまったく書けなかったことがある」  
 じっさいペーパーバック作家のなかで金持ちになった珍しい例といわれ、サンフランシスコ郊外に位置する彼の自宅は、ぼくが一九七九年に雑誌〈SF宝石〉の企画でインタビューしたときには、住みやすそうな広々とした豪邸だった。

 『小惑星ハイジャック』の物語の舞台は、二十三世紀の小惑星帯(アステロイド・ベルト)である。その時代、宇宙船は値がはる以外、自家用車並みに誰 でも操縦できるようになり、人びとは小惑星に眠る希少金属を求め、先を争ってベルトに進出している。ベルトに浮かぶ小惑星の数は四十万個といわれ、大きなものは現在ほとんど登録されているようだが、本作が書かれた六〇年代なかばにはまだまだ未知の領域で、そちらに出かけさえすれば誰でも唾を付けることができた。最近わが国の〈はやぶさ2〉が到達した小惑星〈りゅうぐう〉は、地球に接近しうる軌道をもつ地球近傍惑星とよばれ、ベルト本体から離れた軌道を運行する天体らしい。この作品では、大企業ユニヴァーサル探鉱カルテル(UМC)が資金に物をいわせて主人公を圧迫するが、世界全体の描写が少ないのをさいわい、UМCを中国と置きかえると、ほとんど無理なく現代から二十三世紀へと通じるリアルな世界情勢が描きだされる。そこからどんな物語が展開されるかは、本文を読んでのお楽しみ。