「真夜中に書いたラブレターは翌朝見直すこと」
 そんな言葉を耳にしたことが、きっとあるのではないでしょうか。真夜中は理性の力をいささか弱めてしまうようですので、あるいは一理あるかもしれません。けれども、ぼくは反対したい。ラブレターこそ、真夜中の気持ちで書かれるべきだと思うからです。恥ずかしいくらいロマンティックだったっていいじゃないですか。それが恋というものです。

 第8回創元SF短編賞を受賞した「七十四秒の旋律と孤独」を、ぼくは恋愛小説として書きました。一人称の語りですから、ほとんどラブレターみたいなものです。当時の仕事の関係でほとんどの文章を真夜中に書いたのですが、やはり朝になって見直すと恥ずかしくなるくだりもありました。けれども、頬を赤くした分だけ美しいラブレターになるのだと信じて書きました。
 賞をいただけたのは、そんなぼくの(紅葉の)想いが届いたということなのかもしれません。審査員のみなさま、読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。愛していますよ。

 しかし、ロマンティックなことばかりが続くわけではありません。受賞はよくも悪くもぼくの人生を大きく変えました。受賞後第一作「一万年の午後」を発表して間もなく、ぼくは心身に不調をきたしてしまいました。昼の仕事を続けることもできなくなって、しばらく休養をとることになりました。抗うつ薬を飲みながら、それでも少しずつ少しずつ書いたのが「一万年の午後」の続きとなる〈マ・フ クロニクル〉です。
 〈マ・フ クロニクル〉の執筆は、ナサニエルがたどる旅路に似て(といってもあれほど過酷ではありませんが)苦難の連続でした。ずいぶん長い時間がかかってしまいましたし、つらくてくじけそうになることもありました。
 それでも旅を終わらせることができたのは、ぼくを理解し支えてくれた妻と、いつも側にいてくれた猫のおやつくん、そして続きを読みたいと言ってくださった読者のみなさまのおかげです。第五話のタイトル「巡礼の終わりに」は自分に向けた言葉でもあります。

 そのようにして、ぼくはその時々の自分を投影するように小説を書いてきました。それが小説にとっていいことなのか悪いことなのかわかりません。でも、ラブレターを含む手紙のようなものだと思えば、なかなか悪くないことなんじゃないかと最近は思えるようになってきました。苦難の道行きでもいいじゃないですか。それが人生というものです。そこには希望だってあります。

 第四話「恵まれ号 II」の初稿を書き終えた日、東京に虹が出ました。どうかみなさまの新しい旅に希望の風が吹きますように。

 最後に「七十四秒の旋律と孤独」の物語を刊行まで導いてくださった東京創元社のみなさま(とりわけ担当してくださった笠原沙耶香さん)、とびきり素晴らしい装画を描いてくださった最上さちこさん、センスあふれる装幀にしてくださった長﨑綾さん、もったいないほど素敵な解説を書いてくださった牧眞司さん、印刷や流通に関わってくださったみなさま、ゲラを読んでいち早く感想をくださった書店員のみなさま、そしてこれから「七十四秒の旋律と孤独」を手にとってくれるかもしれないすべてのみなさまに感謝を捧げます。本当にありがとうございます。愛していますよ。

P.S.本あとがきも真夜中に書きました。