まりは専門学校時代に出会った光一と結婚、不動産鑑定士の彼の秘書として自宅で勤務している。だが、二人の仲は冷えきった状態。友人に誘われて訪れた料理教室の講師、実日子(みかこ)は一年前に夫を亡くし、今でもやや精神的に不安定なところがある。少しずつ関わりを持っていく二人。ある時、まりは実日子に言う。「どっちがかわいそうなのかな。先生とあたし」。
個人的に興味深いのは、まりの内面。嫌いなのに夫と別れないのは「そこにいない人とは別れられない」から。自分に無関心な夫は、そこにいないも同然だということだ。端(はた)からみれば、この人は夫に構ってほしいのだと分かるのだが、とにかく彼女の行動が危なっかしくてハラハラしてしまう。
料理教室というモチーフも効いていて(出てくる料理が美味(おい)しそう、かつ、日常の料理のヒントになる)、日々の食事を一緒に楽しんでくれる相手がいない孤独が、両者それぞれに伝わってくる。まりの場合、凝ったものを作っても光一が興味を示さないという状況で、これまた残酷だ。
二人それぞれの心理状況が鋭く丁寧(ていねい)に描写され、読み手の心も揺さぶってくる。さすがの筆致である。
食べ物といえば彩瀬まるの短篇集『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』(祥伝社 1400円+税)。こちらも美味しそうな料理が多数登場するが、描かれるシチュエーションは複雑だ。たとえば、「かなしい食べもの」では、恋人と一緒に暮らし始めた料理上手な男が、彼女から「たまに作ってほしい」と枝豆チーズパンのレシピを渡される。ある時彼女の実家での親戚の集まりに参加した彼は、枝豆チーズパンの意外なエピソードを知り、深く傷ついてしまう……。
はっとしたのは「ポタージュスープの海を越えて」。温泉地を訪れた女性二人が不思議な体験をする話だが、ここで二人の会話が「母親の好きな料理を知らない」という内容に。考えてみれば、自分も実家にいた頃母親が作ってくれたのは、いつも他の家族の好物か手早くできるものなので、彼女自身の好物という感じではなかった。母の本当に好きな食べ物ってなんだろう? と考えても何も思いつかない自分に気づいてしまった。
他の短篇も、美味しい料理を食べて幸せになる、という単純な話ではない。何を作るか、何を食べるかには、その人のその時の状況が現れる、と思い知らされる。生きていく以上、人は何かを食べなければいけない。それは時に(味覚ではなく心理的な)苦みをともなうが、だが、そうやって人は生きていくしかない。
新人の作品からは鯨井あめの『晴れ、時々くらげを呼ぶ』(講談社 1300円+税)を。大学在学中の著者による小説現代長編新人賞受賞作。幼い時に父親を亡くしてから心を閉ざしてきた高校生の越前亨は、現在図書委員。当番日が同じで放課後図書室で一緒に過ごす後輩の小崎優子(こさきゆこ)は、屋上で「クラゲ! 降ってこい!」とクラゲ乞いをする“不思議ちゃん”。ある日、小崎が購入予約をした本のタイトルを見て、彼は愕然(がくぜん)とする。なぜなら、それは――。
古典から最近のものまで、数多くの実在の作家名や作品名が登場、書物に対する愛あふれる青春小説。越前と小崎だけでなく、周囲の人間の心の機微も丁寧に描かれ、物語運びもうまい。プロフィールによると「執筆歴11年」で、いい意味での“書きなれている感”にも納得。すでに次作も雑誌に発表しており、意欲的な活動を期待。