――先だって訳者の田中鼎さんにお話を伺いました。あれこれ面白いことを教えてくださいましたよ。
きっと、担当者にさんざん無体なことを言われた、とかでしょう。まったくもう、その通りですよ。
――まあまあ、とっかかりに筆名の由来を聞きました。名付け親だそうですね。
はあ。なんで『夜鳥』の訳者にかこつけたのか、他の候補があったのか、とんと記憶にございません。後づけですけど、左右対称の名前は験がいいというでしょ。中井英夫さんもそうだと聞いた気がします。田中早苗さんも、さなえと音が近い鼎にも当てはまる! なんてね。
――苦節15年の労作ということで。
それを言われると……穴があったら入りたい。生まれたばかりの子供が中学を卒業するまでと考えたら、途方もない歳月です。どちらかが死んでいたかもしれない。実際病気もやってるし、どうにか辿り着いてほっとしています。
――だから、長いあとがきを止められなかった?
調べ物が大変だと折々に聞いていたので、後日のために書いておけばと軽い気持ちで勧めたんです。そしたら、ぎょっとする量が来て。解説より長いのはいくら何でもあかんやろと思うんですけど。
例えば、253ページにある詩はたった20文字ですが、頭韻や脚韻を考え語呂をよくするために、とんでもない労力がかかっているはずです。そういう積年の想いがこもっているわけですから、無下にはできなくて。
法月綸太郎さんが、『競作 五十円玉二十枚の謎』の解答編用に考えた洒落を無駄にしたくなかったというようなことを言っておられたと思います。訳者も物書きで、書いた以上は公表したい、それは当然ですよね。
――「訳者あとがき」に続いて「解説」という流れが一般的かもしれません。
校正の方からも御指摘いただきました。分量からいってどうにも据わりが悪いので、あとがきが後ろになりました(順序が逆とはいえ『ライノクス殺人事件』ほどではないでしょう)。原稿段階で追加された部分があり、実はこれをやるための長い長い序詞なのかという思いもよぎって。それはともかく、訳者が多方面に目配りしていたことは伝わるんじゃないでしょうか。色々なものを読んでいるんだろうなあ、とも感じます。『六の宮の姫君』や『ななつのこ』をさらっと織り込まれて、一本取られました。
――そういえば、訳者は夏目漱石の愛読者だとか。
岩波の全集を買って読破したそうです。『吾輩は猫である』と「放心家組合」の関係についても知っていて、こちらが教わったくらい。両作の関係については、解説で日暮雅通さんが纏めてくださっています。なかなかに興味深いので御一読ください。
漱石は当て字の名人。訳者はその精神にのっとり、柴田天馬訳『聊斎志異』や泉鏡花、ひょっとしたら弓館芳夫訳『西遊記』なども参考にして訳しています。辞書を総動員しても調べがつかなくて、途方に暮れたこともありました。それでも大意はわかるんですから、漢字は便利。
訳者あとがきで「晦渋を極める翻訳者泣かせの作品」とされた、「編集者泣かせの翻訳作品」であり、「翻訳家泣かせの編集者」だった……ということは、翻訳家は本当に気の毒ですね。あらら参ったな、申し訳ございません。
――泉下のロバート・バーが「ご苦労さん」と言ってくれていますよ、きっと。
訳者は「衒学的原文が浅学的訳文によって損なわれていないことを祈る」と書いています。あの世で会ったら、頸飾りに始まり頸飾りで閉じるあなたのムッシュ・ヴァルモン譚を、田中鼎さんは一生懸命訳しましたと報告しましょう。
――『ヴァルモンの功績』が末永く版を重ねることを祈って。本日はどうもありがとうございました。
※「第二のインタビュー」はノンフィクションです。実在の人物、事件と無関係なことは少ししかありません。
インタビューの第一回はこちらです。
インタビューの第一回はこちらです。