警察小説、企業小説、スポーツ小説……。
幅広い作品で読者を魅了し続けている堂場先生の最新作は、警察小説です。
 一般企業であれ、スポーツの世界であれ、若手は、壁にぶち当たっては、挫折し、悩む。伸び悩み、立ち止まり、袋小路に追い込まれ、逃げ出したくなり、思いなおし原点に立ち返り、成長していく。
 経験の浅い若手が、そんなふうに仕事上の袋小路からいかにして抜け出すかは、どこの世界でも常に問題になるわけですが、それは、もちろん警察官の世界でも同様です。

 ある所轄署の刑事課係長としで将来を嘱望されながら、行き詰まっている女性警察官、益山瞳の元に警視庁本部から向井光太郎という人物が送り込まれます。
 向井は瞳と行動を共にし、的確なアドバイスを与えるのです。
 人事二課所属の人間がなぜ? 向井とは何者なのでしょう?

 取り調べ担当を目指しているのだが、ある芸能人の取り調べで行き詰まっていた所貴之、
尾行に失敗し、くさっていた大柄な(尾行向きではないですね)西条猛樹、彼らもまた謎の男、向井光太郎のアドバイスを受けることになります。
 
 その後、時を経て本部に戻った三人は、ある女子大生殺害事件の捜査にあたることになるのですが、それぞれが向井との経験を語り合います。
 向井はなぜ、人事二課に所属しているのか? 彼の過去には何があったのか?
 彼は元は刑事課の人間だったのか、刑事であったなら、なぜ現在は人事二課にいるのか?と、三人はあれこれ思いをめぐらせます。そして、女子大生殺害事件と向井の過去が交錯し……。

 謎めいた男、向井の秘密が読みどころなのはもちろんなのですが、若手が行き詰まり、悩み、壁を乗り越えていくその過程を読むのは、読者の皆さんが仕事上の悩みで立ち止まってしまった時に、大いに力を与えてくれるのではないでしょうか? 昔風な、黙って先輩の指示に従ってさえいればいい、つまらんことでくよくよするんじゃない、さっさと動け、身体を動かしていればいいのだ……的な指導が通用しなくなっている現代の警察社会の一面を見事に切り取った、心に沁みる傑作です。

「向井さんって、いったい何なんですか? 何者なんですか、あの人」
「人事二課の人だよ」春川がさらりと言った。
「今回、正式な異動じゃなかったんですか?」
「お前みたいな新入りは、知らないか」春川が訳知り顔でうなずいた。「警視庁の教育方法にはいろいろあるんだ。お前みたいな若い奴は、基本的に所轄で働きながらやり方を学ぶ――ただ、外部からの刺激が必要な時もあるんだな」
「その刺激が向井さんなんですか?」
「そういうことだ」春川がうなずく。「出張講師のようなものですか?」
「そんな感じだな。特別講師と言ってもいいけど」
「向井さん、元々刑事なんですか? 刑事課の仕事は、当然分かってるんですよね」
「もちろん」
「じゃあ、どうして人事二課にいるんですか?」もちろん人事の仕事も大事だが、「元刑事」がそういう部署にいるのが理解できない。身体を壊したとか、過程の問題とか、何か特別な事情があるのかもしれないが……。
「いろいろあるんだよ」
「教えて下さいよ」西条は食い下がった。
「駄目だ」
「どうしてですか?」
「別に、知らなくても問題ないだろう」
「だけど、気になるんです」
「知りたければ自分で調べるんだな」春川がピシャリと言った。「刑事なんだから、疑問に思ったら自分で調べるのが筋だ。何でも人に聞けば、教えてもらえると思うなよ」
本文第一部三章より

決断の刻
堂場 瞬一
東京創元社
2019-07-30


穢れた手 (創元推理文庫)
堂場 瞬一
東京創元社
2016-04-21