さて『あの本は読まれているか』は、出版契約の額が200万ドルだったという。私は「通俗的で薄っぺらい話なんだろうなあ」との予断を持ってしまったのだが、実際には全然違ったわけで、謝罪の意と満腔(まんこう)の敬意を表したい。その点、全米で200万部を売り上げたディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(友広純訳 早川書房 1900円+税)もまた、スノビズム溢れる私の偏見を粉々に打ち砕いた。
 ノース・カロライナの湿地で、若い男性の死体が発見される。保安官を含め、人々は、若い女性カイアに疑いの目を向けた。彼女は幼い頃に家族に見捨てられ、湿地の小屋で一人暮らしを続け「湿地の少女」と呼ばれて村人に等閑視(とうかんし)されていた。学校にも通っていないカイアは、読み書きをテイト少年に詩を通じて教えてもらっていた。二人は恋をしていたが、彼は大学進学を機にカイアのもとを去った。そして地元のプレイボーイにカイアが粉をかけられていた頃に、事件は起きたのである。

 筆致があまりにも美しく、正直なところここでそれ以外の何を書いても、何も伝わらないタイプの小説である。湿地帯の自然の美しさと、かけがえのなさ。カイアの寂しさと静けさ。カイトの切なさ、後ろ暗さ。いち読者として、全てが愛おしい。またしんみりした場面のみではなく、大いに笑わせてくれる台詞(せりふ)もたくさんあった。

 作者は69歳の、功成り名を遂げた動物学者で、ノンフィクションの著作は既に複数ある。『ザリガニの鳴くところ』は彼女の初めての小説ということだが、老年に差し掛かった人は、酸いも甘いも噛み分けた素晴らしい文章を、らくらくと紡ぎ出すことがある。本書はまさしくそれに該当し、得も言われぬ味わいを醸(かも)し出した。

 最後に紹介するJ・D・バーカー『嗤(わら)う猿』(富永和子訳 ハーパーBOOKS 1236円+税)は、シカゴの刑事サム・ポーターを主人公に据え、殺人鬼《四猿(4MK)》を追うシリーズの第2作である。前作『悪の猿』から4か月、公園で見つかった少女の死体には、不自然な点が多々見られた。やがて似たような他殺体が発見され、世間は《4MK》の再来と騒ぎ始める。


 ポーターらの懸命の捜査、前作の犯人《4MK》の手記、《4MK》を追うFBI捜査官のパートなどが忙しなく交錯する中で、ストーリーは常に躍動している。それもスピーディーに。事態の急変、主役級に迫る危険、犯人サイドの不気味な企みの蠢動(しゅんどう)、そしてそれまでの前提が覆(くつがえ)されるどんでん返し……。手に汗握る展開の果てに、衝撃の真相が明かされる。ストーリーに身を委ねて翻弄される快感をたっぷり味わえる。この点でバーカーに比肩し得る作家は、現役だとジェフリー・ディーヴァー唯(ただ)一人だろう。なおシリーズは次作“The Sixth Wicked Child”で完結する。翻訳も予定されており、今から楽しみである。