9月25日に発売となる、末國善己編/城昌幸『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖ミステリ傑作選』。発売に先駆けて、末國善己氏の編者解説を一部無料公開いたします。各短編についてふれる後半部分については、ぜひ現物の書籍にてお楽しみ下さい。
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編者解説
末國善己
江戸川乱歩は自身が編纂した『日本探偵小説傑作集』(春秋社、1935年9月)の「はしがき」の中で、城昌幸を「彼は探偵小説を一つも書いていない。探偵小説の親類筋にあたる怪奇と幻想の文学のみによって、われわれの仲間入りをしているのだ」と紹介している。
確かに、城昌幸の代表作として多くの人が真っ先に挙げるのは、「怪奇の創造」(「新青年」1925年9月号。後に「怪奇製造人」に改題)、「ジャマイカ氏の実験」(「新青年」1928年3月号)などの怪奇幻想の短篇、掌篇で、『死者の殺人』(桃源社、1960年1月)といった本格ミステリを書いたことを知っているのは、かなりのマニアだけではないだろうか。
その意味で、乱歩の「探偵小説を一つも書いていない」という城昌幸評は的確といえるが、『若さま侍捕物手帖』を始めとする捕物帳を考慮にいれると、“城昌幸の本格ミステリは、捕物帳に集約されている”という別の評価軸も浮かび上がってくる。
捕物帳の歴史は岡本綺堂『半七捕物帳』から始まり、佐々木味津三『右門捕物帖』、野村胡堂『銭形平次捕物控』、横溝正史『人形佐七捕物帳』、そして『若さま侍捕物手帖』を加えた五作は、質量を兼ね備えた“五大捕物帳”とされている。綺堂はコナン・ドイルの〈シャーロック・ホームズ〉シリーズから着想を得て捕物帳を作り、やはりホームズものを愛読していた味津三は探偵とワトソン役の図式を捕物帳に持ち込むなど、捕物帳の歴史は『半七捕物帳』を発展させる形で紡がれてきた。その中にあって『若さま侍捕物手帖』だけは、異質なシリーズなのだ。
探偵役の若さまは、いつも船宿喜仙の奥まった一間に陣取り、日がな一日、喜仙の一人娘おいとに酌をさせている、姓名も職業も不明の謎の青年である。容姿と立ち居振る舞いには品があり、並の武士であれば居住まいを正させる威厳を持っているが、伝法な口調でしゃべり、身分の差など気にしない鷹揚さもある。若さまは、南町奉行所与力の佐々島俊蔵や、御用聞きの遠州屋小吉が難事件を持ち込むと出馬し、たちどころに解決してしまうのである。
こうした『若さま侍捕物手帖』の形式が、オルツィの〈隅の老人〉シリーズの影響を受けたと最初に指摘したのは、おそらく『大衆文学事典』(青蛙房、1967年11月)を書いた真鍋元之である。確かに、ロンドンのノーフォーク街にある喫茶店ABCショップでいつもケーキを食べ、ミルクを飲んでいるだけで、名前、年齢、経歴、職業が一切不明でただ「隅の老人」と呼ばれている謎の人物が、女性記者から聞いた話だけで事件を解決する安楽椅子探偵ものの〈隅の老人〉シリーズは、『若さま侍捕物手帖』との共通点も多い。初出誌から訳出した作品を編年体で並べた『隅の老人【完全版】』(平山雄一訳。作品社、2014年1月)の登場で、「隅の老人」が必ずしも安楽椅子探偵ではないことも明らかになったので、事件現場で検証を行ったり、関係者から話を聞いたりする若さまは、より「隅の老人」との類似性が強まったといえる。
城昌幸は、『若さま侍捕物手帖』に先駆けて連載した『べらんめえ十万石』(「新青年」1936年10月号~12月号)でも「殿さま」とだけ呼ばれる謎の男を探偵役に起用し、『商山老かくれ捕物』(「新青年」1937年1月号~4月号)では、紐の切れ端を結んだり解いたりしている「隅の老人」の向こうを張って、根付にした珊瑚を磨く癖がある「裏の御隠居」を創出しているので、若さまも「隅の老人」に連なる名探偵なのは間違いあるまい。
『若さま侍捕物手帖』の特殊性の一つは、ホームズ譚ではなく、そのライバルとして登場した〈隅の老人〉シリーズを発展させたことにある。もう一つは、こと短篇に限っては、登場人物の過去、季節を彩る風物詩といった捕物帳では定番の叙情性を極限まで削ったことである。
『若さま侍捕物手帖』の短篇の多くは、若さまに事件が持ち込まれる→捜査する→真相を指摘するという構成になっており、(例外的なホワイダニットを除けば)トリックを暴くと自然に明らかになるとして、動機は重視されていない。城昌幸がこだわったのがフーダニットとハウダニットであることは、謎を解き明かした若さまが、それまで書かれていないような情報で取って付けたように動機を解説する作品が少なくないことからもうかがえる。
つまり『若さま侍捕物手帖』は、人間を描かない点も、トリックを重視した点も含め、黄金期の本格ミステリを思わせる世界観になっているのだ。これは同じように、クリスティなど英米本格のテイストを捕物帳に取り入れながら、ストーリーテリングにもこだわった横溝の『人形佐七捕物帳』とは対照的であり、ここには城昌幸の本格ミステリへの情熱が感じられる。
本書『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖ミステリ傑作選』は、1939年4月1日号の「週刊朝日春季特別号」に発表された第一話「舞扇三十一文字」(後に「舞扇の謎」と改題)から1960年代半ばまで書き継がれた短篇約250作の中から傑作25作をセレクトした。
畠中恵〈しゃばけ〉シリーズの探偵役の一太郎がいつも「若だんな」と呼ばれているのは『若さま侍捕物手帖』の影響を感じさせるし、都筑道夫『なめくじ長屋捕物さわぎ』にホワイダニットものが多いのは『若さま侍捕物手帖』への返答だった可能性があるなど、本書は新たなミステリ史の構築にも役立つと考えている。
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◆末國善己(すえくに・よしみ)
文芸評論家。時代小説やミステリを中心に、文芸評論を数多く執筆している。主な著書に『時代小説で読む日本史』『夜の日本史』『読み出したら止まらない!時代小説マストリード100』がある。また、『花嫁首 眠狂四郎ミステリ傑作選』『国枝史郎歴史小説傑作選』『山本周五郎探偵小説全集』『岡本綺堂探偵小説全集』などの、アンソロジーや全集の編者としても活躍している。