この頃、ジャン=ジャック・ニャン吉がお仕事ばかりしていて遊んでくれないニャ。何をしているのかニャ? このあいだは大きな『ライフ・アフター・ライフ』っていう本の下敷きになっていて、「ワッ、ジャン=ジャック・ニャン吉さん、大丈夫?」と飛んでいったら。「読んでたんだよ、くらりくん」と、まるで自動車整備をしていた人が車の下から出てくるみたいに、開いた『ライフ・アフター・ライフ』の下から出てきたニャ。
「すごかった……これはくらりくんも読むべきだよ。人生について考えさせられるよ」だって。だけど、ぼくたちの場合も「人生」というのかニャ?
だから『ライフ・アフター・ライフ』を読んだニャ。デジャヴュについてジャン=ジャック・ニャン吉(J=J・N)とお話ししたいニャって思ったんだニャ。で、さがしに行くと、また、大きなゲラの厚い束と格闘していたニャ。
「また厚い本だ……。とうぶん遊んでもらえにゃいのかニャ? それにゃんて本?」
「これはね、『言語の七番目の機能』っていう、フランスの作家ローラン・ビネの小説だよ」
「むずかしそうなタイトルだニャ」
「タイトルはね。でもね、けっこうドタバタのミステリで、パリの町中での『007』みたいなカーチェイスもあったりして面白いんだよ、くらりくん」
「ほんと? どんなお話か知りたいニャ」
J=J・Nは、にやりとしました。
「ねえねえ、七番目の機能っていうからには、1から7まで機能があるということかニャ?」
「いい質問だね、くらりくん」
というわけで言語の機能についてちょっとした講義がはじまっちゃったニャ。
ロシアの言語学者、ロマン・ヤコブソンが提唱した言語の六つの機能(六つです!)というのがあるんだよ、くらりくん。
まず、情動的機能(誰かに「わっ!」とか「えっ?」とか、驚いたときなどに言葉を発して伝えようとする送り手側に関わる機能)、次が能動的機能(「坐れ」、「休め」とかの、話し手が相手に何かしてほしいときに働きかけるのに使う言葉が持つ機能――命令や要請、勧誘、禁止等々の表現だね)、以下、指示的機能(ある文脈や、状況下における事柄や出来事をただ伝える――「くらりくんが居眠りをしている」とか)、交話的機能(誰かと接触する場面で挨拶したり言葉を交わしたりするときの機能)、メタ言語的機能(何かの言葉を別の言葉で言い換えて説明的に話す――「くらりくん、即ち白いウサ耳帽子のニルをかぶった黒猫」といったふうな――ときの機能)、詩的機能(比喩を使うなどして表現に工夫をする――「君は可愛い、まるでくらりくんのように可愛い」とか――機能)。
これが、ヤコブソンの言う言語の六つの機能というものだそうだよ。
「ふぅうーーーん」みんなわかったかニャ。くらりは、これからじっくり考えてみるニャ。
「こういう六つの機能があると、ヤコブソンは言っている」というのは、ただ事実を伝えているだけの指示的な機能だね。でもね、べつにこんなことは知らなくても大丈夫なんだ、くらりくん。
この小説はね、フランスの哲学者で記号学者のロラン・バルトが交通事故で亡くなったんだけど、実はそれが事故ではなく殺人事件だった!というとんでもない内容なんだ。
ロラン・バルトは実はそのとき、国家の存亡にも関わる文書を持っていて、それで何者かに襲われてその文書が盗まれたということなんだ。それが、実は言語の七番目の機能に関わるものらしい……というんだよ。
「記号学……シニフィアン、シニフィエ……とか?」
くらりくん! すごいじゃないか!
「ぼくはリーディング・キャットだニャ」」
現実と虚構
「人生は小説ではない」
これはこの小説の冒頭の一文なんだ、くらりくん。
「それは、そうだニャ。ぼくたちの人生が小説だったら、ぼくたちは小説の登場人物になっちゃうニャ」
ふふふ、そうだよね、くらりくん。
*
1980年2月、フランスの記号学者、哲学者のロラン・バルトが、クリーニング店の車にはねられて病院に運ばれ、ひと月後に死亡した。これは事実なんだ。
そのとき、バルトは当時大統領候補だったフランソワ・ミッテラン(その後大統領になったんだ)との会食の後だった。これも事実なんだ。そして、事故に遭い病院に運ばれたとき、彼の財布も家の鍵も身分証明書の類までもがなくなっていた。これも事実なんだそうだ。こういった事実がビネの創作欲に火をつけたというわけなんだ。
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*ロラン・バルト Roland Barthes ―― 1915-80 フランスの哲学者、記号学者。コレージュ・ド・フランス教授。『零度のエクリチュール』『神話作用』『物語の構造分析』(「作者の死」はこれに収録されている)『表徴の帝国』(これは日本についての分析)『恋愛のディスクール・断章』等々。
*ロラン・バルト Roland Barthes ―― 1915-80 フランスの哲学者、記号学者。コレージュ・ド・フランス教授。『零度のエクリチュール』『神話作用』『物語の構造分析』(「作者の死」はこれに収録されている)『表徴の帝国』(これは日本についての分析)『恋愛のディスクール・断章』等々。
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◆J=J・Nによるミニ情報
本書中、映画監督のアンドレ・テシネやイザベル・アジャーニ等の映画人が出てくるのですが、実はバルトはテシネ監督の『ブロンテ姉妹』(1979年)という映画に作家のサッカレー役で出演しています。1時間50分頃のオペラ座の場面、本書中に言及されている、フィリプ・ノワレのような声で多少の台詞を言っているんだ。
ロラン・バルトか……と、なつかしくなってぼくは『恋愛のディスクール・断章』(みすず書房 1980)を引っ張り出して読み返したら、訳者の三好郁朗先生のあとがきに、「突然の、としか言いようのないバルトの死を聞いた日、わたしの机には、この訳書の校正刷りが拡げられていた。朱の入った小さな活字の群れが一斉にその輪郭を失い、再び語ることのないひとつの声を追って逃れ去ろうとしていた」(1980年5月という日付の入った訳者あとがきより)とあったんだ。『プラハの墓地』の日本版刊行の数日前にウンベルト・エーコの訃報が届いたときのことを思い出してしまったよ。
ところで、バルトが亡くなった同じ1980年には、老マルクス主義哲学者、ルイ・アルチュセールが、妻エレーヌを絞殺したという事件が世界中を驚かせたんだけど(精神鑑定で免訴)が、この小説内では、この事件がしっかり組み込まれているんだ。
また当時は、1978年にロンドンで起きた、ブルガリアの秘密警察がこうもり傘の先端に仕込んだリシンを塗った毒針で亡命したジャーナリストを暗殺した事件のニュースが世界を駆け巡り、「まるでスパイ映画そのものだ……」とみんなで語り合ったことがまだ記憶に新しかったんだけど、本書内でもこのこうもり傘を持ったブルガリアの秘密警察が暗躍するんだよ。そして、主要登場人物のひとり、ジュリア・クリステヴァはブルガリア人なんだ。彼女とブルガリア秘密警察との関係が一時期、実際に取り沙汰されたりしたこともあるんだよ。もちろんこれは否定されたんだけれど。
こんなふうに、この小説は現実、歴史的事実をしっかり織り込んでいるんだ。「虚構と現実」、このテーマはローラン・ビネが『HHhH――プラハ、1942年』でも追求していたものだったね。
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*ジュリア・クリステヴァ Julia Kristeva ――1941年生まれ。ブルガリア出身の著述家、哲学者。パリ第七大学名誉教授。ミハイル・バフチンのフランスへの紹介者としても知られる。『中国の女たち』『ことば、この未知なるもの――記号論への招待』『セメイオチケ――記号の解体学』『テクストとしての小説』『ハンナ・アーレント講義』などの著作多数。
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「こんな小説を書いて大丈夫なの?
J=J・Nは、初めて読んだとき、ええーっ?! 実在の人物たちを実名で小説にあんなふうに登場させて、訴えられたりしないの?と、心配したんだって。なんだかめちゃくちゃしてるらしいニャ」
*
そうなんだ。編集の人に、こんなやり過ぎ小説の版権を取って出すの? ちょっとよく考えたほうがいいんじゃないのかなあ? などと忠告してしまったよ。今は、もう僕もすっかり面白がっているし、感心もしているけどね。
カナダのトロントで活動する、旧ユーゴのモンテネグロ出身のジャーナリストがあるインタビューで、そのことをしっかりビネさんに質問していたよ。
「訴えられないかと考えたりしませんでしたか? 英語版の版元は、まずそこを心配したのではないかと思うけれど……」
「僕はそんなことは考えませんでした。でも正直なところ、フランスの版元との話でも、その可能性について話題にはなりました。彼らは弁護士二人に相談して大丈夫と確信したんです。アメリカではどうなのか知らないけれど、フランスでは、小説はかなり守られていんですよ。ことに僕のこの小説は、フィクションもフィクション。バルトが殺されたなどと考える人間はどこにもいませんからね。だから、つゆほども心配しませんでした。
でも、そういえば、本が出たあと、フィリップ・ソレルスがげっそりしていたと誰かから聞きましたっけ。でもソレルスは自分自身も作家で、小説、文学の自由ということを擁護する立場を明らかにしている人ですからね……」だって。
そうソレルスは、おっそろしくひどい書き方をされているんだ。ちなみにソレルスはクリステヴァのパートナーなんだよ、くらりくん。
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*フィリップ・ソレルス Philippe Sollers ――1936年生まれ。フランスの作家、批評家、映像作家。雑誌「テル・ケル」を主催。『情事』『公園』『女たち』等の小説や評論『例外の理論』、美術評論『フランシス・ベイコンのパッション』、伝記『神秘のモーツァルト』などがある。クリステヴァのパートナーとしても有名。
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シャーロック・ホームズとジャック・バウアー
このロラン・バルト殺害事件の謎に挑むのは、時の大統領、ジスカール・デスタンに任命された、情報局付き警視ジャック・バイヤールJacques Bayardと、若き記号学者シモン・エルゾグ Simon Herzog の二人。何しろバイヤール警視は、アカデミックな世界とはまるで無縁で、記号学だのなんだのがチンプンカンプン、そこで、記号学の若い学者をいわば通訳のような助手として頼み、二人で捜査するという話なんだ。わくわくするでしょう、くらりくん。
シモン・エルゾグのイニシャルは S・H、ジャック・バイヤールのイニシャルは J・B、この二人は、シャーロック・ホームズ(S・H 言わずと知れた名探偵)とジャック・バウワー(J・B アメリカのTVシリーズ《24 : トウェンティフォー》の主人公である政府機関の有能な捜査官)を暗示しているんだって。
「ものすごい遊び心だニャ」
ウンベルト・エーコ+『ファイト・クラブ』
『ファイト・クラブ』というのは、チャック・バラニュークの同名の小説の映画化。1999年、アメリカ映画。監督は デヴィッド・フィンチャー 主演がエドワード・ノートン(僕)とブラッド・ピット(タイラー)
大勢の男たちが集まる1対1の「ファイト(喧嘩)」を行なう秘密クラブ、ファイト・クラブ。ボスはタイラー。
公開時は、大成功にはほど遠かった映画なんだけれど、その後口コミで広まり、映画雑誌『エンパイア』が2008年に行なった”歴代最高の映画”アンケートで10位に。IMDb でもつねにトップ10くらいの位置をしめているカルト映画となっているんだよ。
「それがどう関係するのかニャ?」
この映画と、ウンベルト・エーコのミステリを合わせたようなものを書きたかったと、ローラン・ビネはあちこちで言っているんだよ、くらりくん。
〈ファイト・クラブ〉の殴り合いに代わるものが〈ロゴス・クラブ〉のディベート。言葉の戦いというわけなんだ。
ロゴスとは言葉とか言語という意味のギリシャ語だよ、くらりくん。
「それ、知ってるニャ! 僕はリーディング・キャットだっていったでしょ! 言葉にはちょっとうるさいニャ」
さすがだね、くらりくん!
ファイト・クラブならぬロゴス・クラブ
「『ファイト・クラブ』は観たけど、すごい殴り合いだったニャ」怖かったニャ。
そうだよね、くらりくんには怖すぎたかもしれないね。
「〈ロゴス・クラブ〉は、言葉の戦いをするっていったけど、そういう場面は出てくるのかニャ?」
もちろん。ディヴェート場面は実に面白いんだ。だけど、恐ろしいことに、ランクの下の人間が上位の相手に挑むときは、あるものを賭けなくてはいけないという決まりがあるんだよ。
「なにを賭けるのかニャ?」
それは、読まなくちゃね……。
舞台はパリだけではない。
事件が起きたのは、パリのサンジェルマン・デ・プレ界隈だけれど、そのあと、イタリアのボローニャ(エーコ先生のお膝元の大学町)、アメリカはニューヨーク州のイサカ(コーネル大学がある)、ヴェネツィア、ナポリと世界を飛び回るんだ。ジェームズ・ボンドっぽいよね、くらりくん。
「楽しそうだニャ」
とこんなふうに、J=J・Nの話は、くらりを『言語の七番目の機能』の世界へと引きずり込む混むのでした。
そういえば、日本には《シニフィアンシニフィエ》というパン屋さんがあるね。くらりくんは知ってる? ソシュール以降、バルトたちに夢中になっていた時代の人が始めたんだよ、きっと……。