「単行本と同じく、ジョン・ディクスン・カーの記念イヤーに文庫化を……」と考えておりましたため、お届けが大変遅くなってしまいましたが、その間に創元推理文庫〈名作新訳プロジェクト〉によるカー作品の新訳も順調に進み、その衰えぬ人気に支えられ、デビュー長編発表より90年になる2020年、満を持しての文庫化となりました。
さっそく全七編の収録作をご紹介いたします。
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「ジョン・ディクスン・カー氏、ギデオン・フェル博士に会う」
芦辺拓
BBC製作による自作のラジオドラマ収録に立ち会うジョン・ディクスン・カー。だが、演者の一人がスタジオから行方不明となり……? 冒頭の一作は、なんとカーその人が主役となって活躍します。
「少年バンコラン! 夜歩く犬」
桜庭一樹
続くは予審判事アンリ・バンコランが少年時代に遭遇した人面犬の謎。怪奇色あふれる展開のなかに、幼さの残るバンコランの純真さや生きるために踊り続けるムーラン・ルージュの少女たちの姿が鮮烈な印象を残します。
「忠臣蔵の密室」
田中啓文
そして時代と場所はがらりと変わり、時は元禄、本所吉良邸に討ち入ろうとする四十七人の志士たち――彼らは仇敵が「閉じたる場」にて殺害されているのを発見する。はい、ここから先はぜひ現物でお確かめください。
「鉄路に消えた断頭吏」
加賀美雅之
「走る密室」と化した列車内で発見された首なし死体。このアクロバティックな三重密室に挑むフェル博士は、乗客のなかに一人の怪しい人物がいることに気が付く。カーにふさわしい不可能趣味が横溢する贅沢な一作です。
「ロイス殺し」
小林泰三
異様に賭け事に執着するならず者ロイス。愛するマリーを奴に奪われた俺は、復讐のためある賭けを提案したんだ――。オカルト趣味をまとった本格ミステリ『火刑法廷』に登場するエピソードを見事にアレンジした異色短編です。
「幽霊トンネルの怪」
鳥飼否宇
現代日本。綾鹿警察署の交通課が誇る名物女性警官三人組が、トンネルの中で幽霊のように突如現れては消えるベンツの謎に挑む。不可能犯罪に特化した捜査班D三課所属のマーチ大佐トリビュート作品。
「亡霊館の殺人」
二階堂黎人
そして掉尾を飾るのはまさに正統派パスティーシュ。H・M卿ことヘンリ・メリヴェールを主役に、かつて衆人環視下で刺殺事件が起きた館での謎めいた密室殺人を描く。降霊術、恐喝者、足跡のない殺人とまさに「カーづくし」!
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また、2006年刊行の単行本版に収録されていた柄刀一「ジョン・D・カーの最終定理」は大幅改稿により長編化、創元推理文庫オリジナル作品として9月上旬に刊行されます。
そしてカーの新訳企画も。昨年2月に刊行された、アンリ・バンコランシリーズの掉尾を飾る『四つの凶器』(創元推理文庫初収録!)に続き、奇抜なトリックでマニアからも人気の高い『死者はよみがえる』の新訳が同じく9月に刊行予定。
カーの長編デビュー作『夜歩く』発表から90年となる本年はもとより、来年もうれしいお知らせがお届けできる予定です。どうぞお見逃しなく。
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さて、掲題に惹かれてこの記事を開かれた皆さん、大変お待たせいたしました。宣伝が長くて申し訳ありません。田中啓文先生の幻のショート・ショートをお届けします。
カーと忠臣蔵という奇跡のマリアージュを本作で披露した氏の才気が遺憾なく発揮された一作です。広い心でお楽しみください。
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ディクスン・カー王国
田中啓文
「こんにちは。えらいいっぱい花が咲いてますな」
「ああ、おまはんかいな。こっち入り。今、ちょうどカーの作品を読み返しとったとこや」
「カーて何でんねん」
「おまはん、カー知らんか。本格推理小説の巨匠やがな」
「おもろいんでっか」
「おもろいでー。儂は、小学校のときからカーの大ファンでな、『カー王国』いうファンクラブにも入っとるし、翻訳されたものは全部読んでるで」
「カー・マニアちゅうやつですな」
「はじめて読んだのは、『魔女の隠れ家』のジュブナイル化したやつや。そのときはとくに面白いとは思わなんだけど、友だちにエラリイ・クイーンの国名シリーズのファンがおってな、そいつと対抗するために、儂のほうはカーにのめり込んだんや。クイーンやクリスティは誰でも読んどるが、ほんまのミステリ通はカーを読む、ちゅうてな」
「通といえばカー、ですな」
「カーがどれぐらい偉い作家かというとやな、ディクスン・カーとカーター・ディクスンに代表される複数のペンネームを使い分けて、膨大な数の小説を発表したが、そのどれもが一級品なんや。おまはんは知ってるか知らんか知らんけれども、本格ミステリいうのはトリックをきちんと考えなあかんから書くのにすごい時間がかかる。それを、あれだけぎょうさん書くのはさぞかしたいへんやったと思うわ」
「当時はワープロもパソコンもないから肩も凝ったでしょうな。カーさん、お肩を叩きましょう」
「しょうもない洒落を言うな」
「徹夜で書くこともあったでしょうな。カーさんが夜なべをして……」
「もう、ええちゅうねん。とにかく相当数の作品を、文字通り、スン・カーを惜しんで書きまくった」
「あんたも洒落言うてまんがな」
「おまえにあわせとるんや。カーが偉いのはそれだけやない。密室ものにこだわって、ほとんどの作品は密室トリックが使われとるんや。今の目から見たら古くさいものもあるけどな、しかし、その古くささをうまくカバーしとるのが、カー特有のオカルト趣味とユーモア感覚や。カーの作品の多くは、ネタとして超自然現象が扱われとる。『夜歩く』には人狼伝説、『三つの棺』には吸血鬼と早すぎた埋葬、『火刑法廷』には不死の人間、『曲った蝶番』には魔女集会と自動人形、『連続殺人事件』には古城に伝わる死の伝説、『プレーグ・コートの殺人』には降霊術、『赤後家の殺人』には部屋が人を殺す伝説、『囁く影』には吸血鬼伝説……という具合や。しかも、そのオカルト考証や蘊蓄が今日のホラー的にみても意外なほどしっかりしとる。こういったオカルトっぽい設定で怖い雰囲気が盛りあがったとこに、それをぶち壊すような、賑やかであほな探偵が登場する、というのがパターンやな。ヘンリー・メルヴェール卿とギデオン・フェル教授いうのが二枚看板の探偵役でな、これがまた、どっちもあほなんや。でも、言うとくけど、ギャグとかいうても、軽々しい小説やないで。どっちかいうと、ヘビー級、重量級の、ずっしりした手応えのあるやつが多いな」
「ヘビー・相撲・カーですな」
「何で相撲やねん」
「関取は重いさかい。--なるほど、あんたが好きそうな小説ですなあ。あんたはオカルト好きやし、ギャグ好きやから、カーちゅう人はあんたにぴったりやがな」
「わかってくれたか。そうなんや。カーはまさに儂のためにあるような作家やな。白状するとな、儂は密室トリックとかどうでもええねん。ややこしいトリックの説明なんかは、全部、飛ばし読みしとるねん。儂が好きなんは、カーのオカルトっぽいところとギャグやから、それ以外はいらんねん」
「あの……それミステリマガジンには書かんほうがええんとちゃいまっか」
「じゃかあしい。ほんまのことやからしゃあないやろ。--まあ、とにかく、これでカーがどれだけ偉いかということがわかったやろ。カーの前にカーなく、カーの前にカーなし、というぐらいの、ワン・アンド・オンリーの巨匠なんや」
「ワンマン・カーですな」
「ええかげんに駄洒落はやめ。カーの作品には、ミステリの古典(ルビ・クラシック)といわれるような傑作も多いで。それを紹介したろ」
「クラシック・カーですな」
「やめ言うとるやろが。まず、輝かしいデビュー作は『夜歩く』や」
「夜歩くのは、アルーク・スカイウォーカーですか」
「『ユダの窓』、『死者はよみがえる』、『火刑法廷』、『皇帝のかぎ煙草入れ』『曲がった蝶番』……この『曲がった蝶番』を儂はごく最近まで『曲がったちょうばん』と読んどったいうのは内緒やで。『ちょうばんて何やろなー』と思いながら何の違和感もなく読んどったんや」
「あんたほんまに作家か」
「『帽子収集狂事件』、『魔女の隠れ家』、『盲目の理髪師』、『剣の八』、『プレーグ・コートの殺人』、『三つの棺』に命令だ、やーっ」
「何言うとるんや。で、その中で一番好きな作品はどれですねん」
「うーん、それはむずかしいな。どれもこれも愛着があって捨てがたい」
「それを思い切って捨てなはれ。カー・ステちゅうぐらいやから」
「まあ、『囁く影』かな。『火刑法廷』もええけど、ギャグがないさかいなあ」
「あんた、選ぶ基準おかしいわ」
「最後にこれだけは言うておきたい。ディクスン・カーはエドガー・アラン・ポーと並ぶ古典ミステリの二大巨匠なんや。そのことを証明する歌もあるで」
「歌? どんな歌です?」
「カーとなったらかっかっか、ポーッといったらぽっぽっぽ」
「あんたも古いですなあ。今時の読者は知りまへんで。でも、その説はあながちでたらめでもおまへんな」
「そうか?」
「ポーの代表作に『大鴉』ておましたやろ。鴉の鳴き声はカー、カーやから」
「なるほど。よう言うた。これでおまえも晴れて『カー王国』の国民や。その印にこの花を贈ろう」
「カー・ネーションでっしゃろ」
「先言うな!」
(初出「ミステリマガジン」2001年4月号)