このコラム、かたちのうえでは「ここだけのあとがき」に分類されるのかもしれませんが、そうしたタイトルを使うのは内容から言ってあまり気が進まないので、別タイトルにしました。「あとがき」は宮脇さんが書かれたもので必要十分ですし。
 本書『指差す標識の事例』については、翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイトにある「月替わり翻訳者エッセイ」に一度書きました。2012年の3月。そのときは「今何訳してる?」というタイトルの連載エッセイだったので、いったん脱稿した自分の分を改稿していることや、本書のレジュメらしきもの、それに4人で訳しているがまだまだ時間がかかりそうなことを書いたのでした(あらすじなどについても書いています)。
 あれから8年半。4人プラス編集者による最初(で最後)の打合せが1998年7月ですから、丸22年。これほどの長期間かかった翻訳は、めったにないのではと思います。しかも、普通の出版社ならここまで契約延長をしてはくれないでしょう。東京創元社さんには感謝の言葉もありません。
 その22年間でいちばんショックだったのは、4人のうちのひとりである東江一紀さんが2014年に亡くなったことです。東江さんとは同じ翻訳家養成学校で教えていたものの、日常的な付き合いはなく、年に何度か業界の会合で会うくらいでした。しかし、ある時期の数年間は、会うたびに彼が僕に「あれ(本書)はどうなってるんでしょうね」と言い、僕が「どうなってるんでしょうね」と返すのが、合い言葉のようになっていました。さまざまな理由により、まだ4人の原稿が揃わず、東江さんの脱稿を追うように僕が脱稿してから、少しあとのころのことでした。
 僕も何十年か翻訳をやってきているので、「あの人の生前に見せたかった」という本は、これまでに何冊かあります。でも、今回ほどそれを痛切に感じた仕事はありませんでした。刊行時期が決まって訳者校正をしているときも、その気持ちを胸に抱いていましたが、それは「負い目」というようなものでなく、「渡されたバトンはきっとゴールまで持っていきます」という、誓いのようなものだったのです。

 本書に関しては、翻訳作業のほかにもさまざまな思い出があります。なにせ20年以上かかっているわけだから(笑)というせいでもありませんが。
 たとえば、僕の手元にずっととってある、岩波書店のPR誌『図書』の切り抜き。確か1999年9月号だと思いますが、「四面の『真実』」と題して、進化生物学者の長谷川眞理子氏が本書を紹介しているコラムです。なぜ1999年9月号「だと思う」のかというと、切り抜きの余白にボールペンで“「図書」(岩波)9月号”とだけ書かれているからです。そしてそのメモは、2005年に亡くなった翻訳家・大村美根子さんの、紛う事なき筆跡。大村さんのプロフィールは東京創元社のサイトにもあると思いますが、本書の翻訳をスタートしたころ、同業者として親しくしてくれていた彼女が、わざわざ切り抜きを郵送してくれたのでした。彼女もまた、本書の刊行を楽しみにしてくれていて、生前に見せることのできなかったひとりなのです。

 あらためて今回の仕事を振り返ってみると、かかった年数はともかく、非常に貴重な経験であったと思います。なにせ、4人のベテラン訳者が互いに訳文をすり合わせたり相手に合わせたりすることなく、いきなりお互いのゲラを見て、なおかつ(語句以外の)統一はほとんどしなかったのですから。これは別に、訳者同士が非協力的とかいうことでなく、本書の構成を考えればそのほうが効果的という理由によります。作品内の4人も、まったくお互いの手記(告白)に関与せず、勝手に書いているのですから。
 22年かかった本書が、20年30年読み続けてもらえることを祈りつつ……。