本書の大きなテーマは
タイムトラベラーたちの
心の動きにある。


時間旅行者のキャンディボックス


 タイムトラベルが可能になった世界で、人は世界の仕組みをどう受け止めるだろうか? 自分や家族、友人たちの運命が決まってしまっているという事実に、どう対応するのだろう? 本書は、そんな問いかけを大きなテーマとして取り上げ、英米で話題となったThe Psychology of Time Travel(2018)の全訳である。
 物語はイギリスを舞台に、一九六七年のタイムマシン開発成功から始まる。この物語の世界は我々の世界と少し歴史が違い、六〇年代後半からタイムトラベルが可能となっているのだ。この世界ではタイムマシンの発明に続いてそれを管理する機関「コンクレーヴ」が発足、多くの職員たちが過去や未来へと旅行するようになる。
 そして物語は、それから約半世紀後の二〇一八年、謎の変死体が発見される前後の時間を行きつ戻りつしながら、その謎を追っていくミステリ仕立ての展開をとる。死んだのは誰なのか。死因は何なのか。他殺だとしたら犯人は誰なのか……。だが、本書の最も大きなテーマは事件そのものよりも、その謎を解明していく過程で見えてくる、タイムトラベラーたちの心の動きにある。

 タイムトラベルをテーマにした、いわゆる「時間SF」は、それこそH・G・ウェルズが『タイム・マシン』を、いやマーク・トウェインが『アーサー王宮廷のヤンキー』を書いた頃から現代に至るまで、数多存在する。多くの場合、それは未来や過去の世界がどうだったかや、タイムトラベルによって生じる歴史改変やタイムパラドックスをどうするのかといった「アイデア」がメインテーマとなっている。だがこの作品のユニークなところは、タイムトラベルそのものよりも、それを経験することによって人の心理にどのような影響が出るのかに焦点があてられていくことにある。
 よくよく考えてみれば、銃器や交通機関、発電機など、人々の生活を一変させてきたあらゆる発明品は、それを使う人々の心の有り様も大きく変えてきたのは間違いない。たとえば、携帯電話がこんなに普及する前と後とでは、コミュニケーションの取り方そのものが様変わりしてしまっていて、我々の心理もそれにあわせて変化してしまっている。昔と違って今の私たちはいつでも即座に離れた場所にいる人と連絡を取ることが当たり前になっていて、それができない状況に追い込まれると、大多数の人は不安や不満を感じるはずだ。同じように、SFに出てくるガジェットもまた、実際に使われるようになれば、それを使う人々の心理状態も大きく変えていくことは、容易に想像できるはずのことなのだ。
 ラリー・ニーヴンの有名な短編で、並行宇宙の存在を知ったために、自分が何をしようと無数の「もう一人の自分」がまったく違う選択を行うことを考えて絶望感に囚われてしまうという話がある。本書のタイムトラベラーたちの感覚の麻痺も、これに少し近いものがある。彼らは皆一様に、タイムトラベルを繰り返すうちに、自分も含めて人の死というものに対して無感動になっていき、中には精神に失調をきたす者も現れるというのである。そして本書は、タイムトラベルによって人はその心に強いストレスを受けるという考え方のもと、それが人によってどんな出方をするのか、さまざまな可能性を考察しつつ、人間にとって自分の運命を知ることは幸せなのか不幸なのか、さらには、人間にとって幸せな心理状態とは何なのかまで考えていこうとしている。繰り返すが、ここにこそ他の時間SFにはない、本書のユニークさがある。

 おもしろいのは、本書の主人公格の登場人物三人(バーバラ、ルビー、オデット)は皆、タイムトラベラーではないというところだ。
 バーバラは、六七年にタイムマシンを作り上げた四人の科学者の一人だが、タイムトラベルを繰り返すことで精神失調を起こし、コンクレーヴ発足前に組織を離れて普通の生活に戻ってしまった人物。ルビーはその孫で心理学者をしている人物。オデットは変死体を発見してそのトラウマに苦しみ、逆にその謎を解くことに執着して調査を進めていく人物。つまり、本人たちは誰一人コンクレーヴのタイムトラベラーとして活動していないのである(オデットは例外的に何度かタイムトラベルをするが)。
彼らは我々読者と同じ一般人の視点から物語を語ってくれているということも言えるが、タイムトラベルを行わない人たちを主人公格として、その視点から物語を描いているというのは、タイムトラベルという概念そのものに対して作者が否定的な見解を持っていることの表れなのかも知れない。
(老婆心ながら書き添えておくと、本作は多数の視点人物が時系列を前後させながら次々に登場するスタイルで書かれているため、読者は混乱してしまいそうになるが、この三人の行動を追いかけるように読んでいけば、すんなりと頭に入りやすい。)

 ちなみに、多くの時間SFはタイムトラベルによって過去を改変できるか否かで、大きく次のように分類できる。
  1.過去は改変できる(過去の出来事を変えることで未来の出来事も変わる)。
  2.過去は改変できない。
   2-1.過去にタイムトラベルして行った行為も織り込み済みで未来が確定している。
   2-2.過去にタイムトラベルして行った行為は、自動的に可能な限り修復されてしまう。
  3.過去を改変すると、別の時間線ができて分岐する(二つの世界に分かれる)。
 だが、先に書いたように本書はタイムトラベルの仕組みそのものはあまり重視していないため、過去改変可能性に関しては、あまりつっこんだ議論が為されていない。というより、そのあたりはぜひ本篇を読んで、この作品内におけるタイムトラベルのルールはどれなのか、読者の皆さんそれぞれに判断していただきたい。そこにも、本書のテーマを解く鍵が隠されているようにも思えるからだ。

 本書の作者、ケイト・マスカレナスは一九八〇年生まれのイギリス人。父はアイルランド人で母はセーシェル共和国出身のイギリス人という出自で、親戚がアイルランドとセーシェルにいる(本書の主要登場人物の一人であるルビーに自分の姿を投影しているらしい)。イギリスのオックスフォード大で英文学を、ダービー大で心理学を学んだ後、ウスター大学で文芸批評と心理学の博士号を取得した。卒業後は広告のコピーライターや製本、ドールハウス・メーカーなどの仕事をしていたが、二〇一七年からは臨床心理士として働いている。本書の時間SFテーマに対する心理学的なアプローチは、作者の本業に根ざしているということだろう。
 本書は彼女のデビュー作で、すでに次回作The Thief on the Winged Horseの出版も決定している。こちらは、魔法の人形とそれを守ってきた一族と泥棒との争いを描く現代ファンタジーだという。今度はファンタジーに対して本書同様の心理学的なアプローチを行うのか、それとも伝統的な手法のファンタジー小説を書いているのかは現時点ではわからないが、今後どんな作品を書いていくのか、大変興味深い作家なのは確かである。


■ 堺 三保(さかい・みつやす)
1963年大阪生まれ、関西大学卒。在学中はSF研究会に在籍。作家、翻訳家、評論家。SF、ミステリ、アメコミ、アメリカ映画、アメリカTVドラマの専門家。