石に宿り、主となった人間の気を受けて生まれる美しき精霊“玉妖”と主である少女駆妖師の絆をえがくファンタジイ『玉妖綺譚』。本編は少女駆妖師綾音を中心に展開しますが、玉妖を主人公にしたスピンオフ短編をWeb限定で公開します。
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人間というのは、色彩からさまざまな物を連想することがあるようだ。たとえば、白なら雲や雪、青ならば空や海というように。
私は竜卵(りゅうらん)石(せき)に宿る〝玉妖〟と呼ばれる存在だ。竜卵石はしずく形で、二寸から三寸のものが多く、たいてい外側が透明かもしくは乳白色というのは共通しているが、中心の色はひとつひとつ異なる。
私の石は朱色がかった紅だ。それが炎を思わせると、〝ほむら〟と名付けられた。
玉妖というものは、人の〝気〟を受けて生まれる。当然のように、その人間の影響を受けるわけだが、時折、ふと思うことがある。それとは別に、玉妖にも持って生まれた個性のようなものがあるのではないかと。そして、石の色はそれを示しているのではないだろうか、と。私には同じ主の許で生まれた仲間たちがいるが、各々が異なった性格を持つように思えるからだ。
今、私がいるのは皇国(こうこく)大和(やまと)という国で、人間たちの世界であるが、玉妖の母体ともいうべき竜卵石はもともと、まったく別の世界に属するものだった。人間たちは〝異界〟と呼ぶが、ふたつの世界は直接つながってはいない。だが〝はざま〟という、双方が重なり合う空間を通れば、行き来が可能だ。時折、異界の生物がこちらに入り込んでくることもあるようだが、彼らはこの世界の人間から見れば、得体の知れない妖(あやかし)であり、〝異界妖〟と呼称される。
私の石はいずこかの〝はざま〟にある地層から発見された後、難波俊之という人物の手
に渡った。彼は異界や妖の研究家であったが、世の役に立てるためというよりも、むしろ
自分の興味にしたがって調査や研究を行い、それを生業としているようだった。七つの竜
卵石を手に入れ、玉妖を育てたのも研究の一環だったのだろう。
七人の玉妖のうち、最も古くから存在していたのは翠(すい)嵐(らん)で、次いで紫(し)艶(えん)、蒼(そう)秀(しゅう)、陽景(ようけい)が生まれたそうだ。かぐや、私、くろがねの三人は、俊之様が結婚された後に誕生したこともあって、奥様であるさゆき様が名付け親だった。
教養を身に着けるため、学ぶべき書物を決定するのは俊之様だったが、私とくろがねが
より多くの時を共に過ごしたのは、さゆき様のほうだった。
のちに聞いたところによると、俊之様が我々ふたりの育成を全面的にさゆき様におまかせになったのは、彼女のたっての願いによるものだったらしい。
「おまえとくろがねが、生まれた時からそのようにたくましい体躯を持つのは、さゆきの願いを受けたからだろうね」
俊之様はよくそうおっしゃったものだ。たしかに翠嵐と紫艶、かぐやも女性の姿をしていたし、蒼秀は華奢な少年だった。陽景はどちらともつかない中性的な容姿で、あきらかに成人男性と言える外見であるのは私とくろがねだけだ。
さゆき様は谷(やつ)鹿(しか)流という拳法の師範だった。私たちは彼女から武術を習っていたので、よく庭で修練をした。
玉妖は人間の世界では実体を持たないから、主に拳法の型を習得することを目標とした。さゆき様に見本を示してもらい、それを真似て何度もくり返し練習する。〝はざま〟でなら玉妖も肉体を持つことができるので、訪れた際にはふたりで対戦して自らの上達の具合をはかった。
難波家は華族の家柄だったが、次男である俊之様はご結婚前から本家を出て、別邸に住まわれていた。御庭には〝はざま〟に出入りできる〝門〟がひんぱんに出現するため、時折、妖が入り込んでくることもあった。異界妖は特別に〝見える〟能力を持っていない限り、たいていの人間の目には映らないものだが、玉妖がその場にいれば、誰にでもはっきりと見えるようになってしまう。
〝はざま〟からやってくる妖で、最も多いのは〝木偶(でく)〟だろうか。全身が真っ白で、胴体に対して不釣り合いなほど手足の長いのっぺらぼうが、よく庭を歩いている。彼らは好奇心が強いうえに変幻自在に姿を変えることができるので、興味をひかれたものにすぐ化けるという厄介な性質がある。外出されたはずの俊之様やさゆき様をみつけて驚くことがあるが、それはたいてい彼らが変(へん)化(げ)したもので、私やくろがねもひんぱんに真似られている。言葉を持たないので意志の疎通はできないが、穏やかな種族で人間を襲ったりはしない。
だが、時折、危険な妖も姿を見せる。例えば、橙色の長い毛を炎のように逆立てた、四つ足の獣の姿をした〝火(か)炎(えん)獅(じ)子(し)〟は、だいたいが好戦的で、太い牙をむきだして襲ってくることもある。
異界妖もこちらの世界では実体を持たないから、人間が襲われても肉体が傷つくことはない。だが、それを理解しておらず、攻撃されたと思い込み、精神的な痛手を受けて寝ついてしまう者もいる。もし致命傷を受けたと感じれば、本当に命を落とすことさえあるのだ。
〝門〟はいきなり開いたり、閉じたりするので、〝はざま〟とつながっている間、俊之様は誰であれ、御庭に出ることを禁じられた。だが、くろがねと私が武術を身に着けたことで、妖を追い払うのは私たちの仕事になった。俊之様が外の〝はざま〟に行かれる時は、どちらかがお供をし、もう一方がお屋敷を守った。
その頃は、今思い出しても、幸せな日々だったと思う。幸福を感じていたのが私自身なのか、それとも俊之様やさゆき様の思いが伝わってきてそう思うようになったのかはわからない。ともあれ、私が毎日の生活に充足感を覚えていたことは確かだ。
だが、悲しむべきことに、そのような日々は長くは続かなかった。さゆき様が病に倒れられたのだ。くわしくは聞かせてもらえなかったが、俊之様の態度から病状が深刻なものであることは容易に察せられた。
さゆき様は入退院を繰り返すようになられたが、自宅に居られる時には、しばしば私たちの稽古の様子をご覧になった。
それは五月の半ばの、良く晴れた暖かい日のことだったと思う。くろがねと私はいつものように庭で修練をしていた。彼は黒い竜卵石の玉妖で、髪や目の色だけでなく、着ている物もすべて黒一色だった。
玉妖は容姿に自らの石の色を使いたがる。私もその例にもれず、髪を石と同じ紅にしていたが、瞳は金茶であるし、衣服に関してもできる限り淡い色を使うよう心掛けていた。たぶん、それはさまざまな書物や絵画を見るうちに、自分なりの美意識が出来上がったせいだと思う。だが、くろがねはそんな私のこだわりが理解できないようで、着るものなど何でも良いと、つねづね言っている。
彼は楽しいから習っているだけの私とは違い、武術を極めるということに関心を持っていた。そのため練習熱心で、〝はざま〟で戦ってみるとはるかに強い。
今も実体がないとはいえ、彼の動きのひとつひとつが私よりもずっと早いのは明らかだ。互いにふれられないのを承知で試しに対戦してみても、あっと言う間にこちらの攻撃がかわされ、目の前に拳を突きつけられたのでは参ったと言うしかない。
それでも何とか相手を務めていると、どこからともなく馬のいななきのようなものが聞こえてきた。くろがねも耳にしたらしく、警戒心をあらわにして周囲を見まわしている。
すると、庭を囲むように植えられた常緑樹の間から、ふたりの男女を乗せた馬が飛び出してきた。正確に言えば、馬によく似ているが背中に大きなこぶのある生き物で、乗っているふたりも、容姿からして明らかに大和の人間ではない。ふたりともまだ若く、ずいぶんと小柄だったが、青年のほうは白い胸当てをつけ、腰には剣を提げていた。
いきなり現れたところから見て、おそらく新しく開いた〝はざま〟の〝門〟をくぐってやってきたのだろう。
青年のほうが体勢を崩し、落馬すると、女もあわてたようにその背から降りた。私たちが名も知らぬこぶのある生き物は、重荷を下ろしたと言わんばかりに再び高くいななき、もと来た方向へと戻って行った。
すると、入れ違うように、数人の男たちが〝門〟から続々と現れた。彼らは兵士なのか、そろいの黒い鎧を身に着け、腰に剣を提げていたが、そのうちのひとりが剣を抜き、地面に倒れている男に突きつけた。女性が泣きながらかばおうとするが、別の男たちに取り押さえられてしまった。
ここで騒ぎを起こされるのは許せない。だが、彼らに向かおうとする私を、くろがねが止めた。
「ほうっておけ。よそ者たちのもめごとだ。我々には関係ない」
異界の者同士なら、こちらにいても元の世界と同じように、互いの体にふれることができる。つまり、相手を傷つけたり、死に至らしめることも可能だということだ。
私は特に彼らを心配したというわけではなかったが、たったふたりを大勢で追いつめるというやり方が気に入らなかった。
「忘れたのですか? 女性はか弱きもの。困っている方がいれば助けてあげなさいと、さゆき様がいつもおっしゃっていますよ」
くろがねを説き伏せるのは簡単だ。さゆき様の言葉を持ち出せば良い。彼は渋い顔をしたが、それ以上異議を唱えることもなく、私の後からついてきた。
近づいてきた私たちに、黒い鎧の男たちは不審と警戒のまなざしを向けた。
(おまえたちは何者だ?)
彼らの話す言葉は理解できなかったが、その意志が直接、頭の中に響くように伝わってきた。
私はあらためて彼らに興味を覚えた。今までにも何度か〝はざま〟で異界の妖と出くわしたが、ほとんどが獣のような動物ばかりで、意志の疎通がはかれる者に出会ったことがなかったからだ。
「それはこちらが聞きたいことだ。我が主の屋敷に入り込み、何をしているのだ?」
(我々は任務を果たしているだけだ。掟を破った者を捕らえにきた。用が済めばすぐに立ち去る。邪魔をしないでもらいたい)
剣を突きつけている男がそう言うと、かぶせるように女性の思念が伝わってきた。
(どうか、この人を助けてください。お願いです)
正直なところ、私は騒ぎを収めたかっただけで、この女性に同情したわけではなかった。だが、見るからにかぼそく、ひ弱そうな彼女が他の誰かをかばい、その人のために必死で助力を請う様が、私の心を動かした。
「私は助けを求める者に応える」
そう言った途端、鎧の男たちがいっせいに襲いかかってきた。
私たち玉妖は人間の世界にいる限り実体を持たないし、異界の者たちにふれることもできない。それゆえ体術を使うわけにも行かず、私は妖力を右の手のひらに集め、鎧に包まれていない太もものあたりを狙い、矢のようにして飛ばした。この攻撃は相手が人間であっても、異界妖であっても有効だ。兵士たちは皆、足をおさえてその場にうずくまった。
くろがねはさっさと終わらせたいらしく、両手を使い、金色に光る矢を連発している。射られてもひるまず向かってくる兵士たちをくろがねにまかせ、私は悲鳴を上げ続けている女性のほうへ向かった。
空高く飛んで、上方から光の矢を放つと、ついに兵士たちは次々と〝門〟から〝はざま〟へと逃げ出して行った。
「別の仲間を引き連れて戻って来るのではないか?」
「そうしたら、また戦うだけのことです」
冷静なくろがねの発言に、私はことさら軽い調子で答えた。
「それよりも、あちらのほうが心配です。俊之様にお知らせしてくれませんか」
「わかった」
くろがねが白い洋館に向かうのを見送って、私は残された男女のほうに近づいた。ついぞ見かけたことのないほど、美しいふたりだった。ともに金色の髪と濃い緑色の瞳の持ち主で、陽に当たったことがないのではと思うほどに肌が白かった。
青年は松の木の根元に横たわっていた。半ば目を閉じ、息が荒い。左の脇腹あたりに傷を負っているようで、白い上衣が真っ赤に染まっていた。
(トオリ、しっかりして)
女性のほうが半狂乱になって叫んでいる。おそらく彼の名前なのだろう。
私は青年の傍らに膝をつき、耳元でささやくように話しかけた。
「ここはあなた方の世界とは違います。こちらにいらした瞬間から、あなた方は肉体を失っています」
すると、彼がゆっくりと目を開いた。私は彼の腕にふれてみるも、そのまま通り抜けてしまう様をふたりに見せた。
「肉体がないのですから、もう痛みはないはずですよ」
これは本当ではなかった。彼の傷はおそらくこちらの世界へ来る前に受けたものだろう。実際に肉体が傷ついたのだから、いくら今は実体を持たないとはいえ、怪我自体をなかったことにはできない。ただ、肉体がなければ痛みもないはずだと思わせることで、苦痛を和らげることができるのではないかと考えたのだ。
それを信じたかどうかはわからない。だが、彼は大きく息を吐いた後、なんとか半身を起こし、女性に向かって手を伸ばした。
(大丈夫だ、ユウラ。心配しなくていいよ)
その手を取り、彼女は安堵したようだった。だが、それもつかのまのことで、すぐに顔をこわばらせた。
青年の体には驚くべき変化が起こっていた。長い袖に半ば隠されていた手が、指先から茶色に染まっていく。白くなめらかだった肌が、乾いて固くなっているようだ。
彼女は声も上げず、ただ茫然とその様を見守っていた。大粒の涙がとめどなくあふれ、両の頬を伝う。
そこへ、くろがねがさゆき様を連れて戻ってきた。
「俊之様は仕事で出かけられたそうだ。四、五日は戻られないらしい」
さゆき様は白いブラウスに、深い青のスカートを身に着けていた。いつものように背筋をまっすぐに伸ばし、しっかりした足取りで歩いていらしたが、退院されたばかりのせいか、あまり顔色が良くなかった。
「外に出られても大丈夫なのですか?」
「もちろんよ。ほむらは心配性ね」
さゆき様は私に微笑んでくださったが、男のほうがけがをしているようだと申し上げると、すぐにふたりのもとへ歩み寄った。
「敵が戻って来ないか心配だわ。〝はざま〟の様子を見て来てくれる?」
くろがねにそう頼むと、さゆき様はふたりのそばに座り、彼らに顔を交互に見ながら話しかけた。
「わたしはこの家の者で、難波さゆきといいます。けがをされたのですね。私たちの世界の薬が使えるかどうかわかりませんが、とりあえず〝はざま〟に行けば治療ができます。安全が確認できたら、いちど〝はざま〟に戻ったほうが良いですわ」
だが、男のほうがゆっくりと首を振った。
(助けていただいたことに感謝しています。ですが、この傷を受けた時点でもう、僕の運命は決まっていました)
(やめて)
女性があげる悲鳴のような声にも耳を貸さず、彼はさらに言った。
(ひとつだけお願いがあります。彼女を故郷の村まで送ってくれませんか?)
さゆき様でなくとも、それがかなり難しいということはわかる。〝はざま〟の〝門〟が、彼らの村につながったままだとは限らないからだ。しかし、さゆき様が口を開くより早く、彼女のほうがきっぱりとした口調で言った。
(いいえ、その必要はありません。わたしは彼といっしょにいますから)
さゆき様はため息をつき、ふたりのかたわらに座った。
「あなた方が我が家の庭にいらしたのも何かの縁でしょう。良ければ事情を聞かせてもらえない?」