フランシス・ハーディングの『影を吞んだ少女』をお届けします。
 本作は、『噓の木』で日本に紹介された英国のファンタジー作家ハーディングの邦訳三作目。原作は二〇一七年秋に刊行されたA Skinful of Shadows で、著者の作品としては『噓の木』の次の八作目にあたります。『噓の木』がコスタ賞全部門の最優秀作品に選ばれ一躍脚光を浴びた約一年半後、注目が集まるなかで発表された作品でした。もちろん、ファンの期待が裏切られることはなく、ファンタジー、YA作品の読者をおおいに喜ばせたことはいうまでもありません。『カッコーの歌』『噓の木』に引きつづき、英国の優れた児童文学に与えられるカーネギー賞の二〇一九年最終候補作になり、英語圏のSF・ファンタジー文学を対象としたローカス賞の二〇一八年YA部門最終候補にも選ばれました。
 
 舞台は十七世紀の英国、母を亡くした少女メイクピースが、内乱(ピューリタン革命)で騒然とする世の中を生き延びるために、ある特殊な能力を武器に奮闘します。この能力というのがじつに奇妙で不気味なものです。なんと、霊を自分のなかにとりこむ、いえ、霊にとりつかれる能力なのです。メイクピースの母は、娘の父親の一族に受け継がれるこの力をひどく恐れ、身重の身で逃げだして、遠くの町でひっそりと娘を育ててきました。墓場に置き去りにするという、子どもにとって苛酷な仕打ちをしたのも、娘にこの能力を御す力をつけさせるためでした。けれども、その苦労も虚しく、母は暴動に巻きこまれて亡くなり、メイクピースは父の一族に引きとられます。やがて、一族が邪な目的で自分を利用しようとしていることを知った彼女は、自由を求めて逃げだしました。
 そこからがじつに波瀾に満ちています。なにしろ、国を二分する動乱の最中のこと、大きな戦いはもちろん、あちこちで小競り合いが発生し、あいだを縫うように両軍のスパイが暗躍します。土地は荒れ、疫病がはやり、農民、商人、徒弟といった市井の人々が翻弄されています。そんななかを十五歳の少女がたったひとりで、追手をかわしながら生き延びようというのですから、相当の困難が待ちうけていることは容易に想像がつくでしょう。それでもメイクピースは、何度も絶対絶命のピンチに陥りながら、ときに慎重に、ときに大胆に、難局を切り抜けていくのです。
 
 ハーディングのほかの作品同様、本作も読む人によってさまざまに読みとれる作品です。主軸はメイクピースという少女の成長の旅ですが、イギリス内乱という時代を背景に据え、霊にとりつかれる力という仕掛けを加えたことで、歴史ファンタジーでもあり、幽霊が出てくるゴシックファンタジーでもある、多様に楽しめる物語にしあがっています。
 背景となるイギリスの内乱ピューリタン革命については、学校の歴史で習ってはいても、あまりなじみがないかもしれません。内戦が勃発するのは一六四二年ですが、その火だねとなる国王と議会の対立は、一七世紀初頭のジェームズ一世のころから息子のチャールズ一世の代へと受け継がれ、深刻さを増していました。一六二八年、議会が国王の権力を抑えようとして「権利の請願」を提出すると、翌年チャールズは議会を解散し、以後十一年間議会を開きませんでした。ところがスコットランドで国教会制度への反発から、一六三九年に反乱が起こり、イングランドはスコットランドと戦争状態に突入します。一六四〇年、チャールズはやむなく議会を招集しますが、議会から批判を浴びて、わずか三週間でふたたび解散。対立はさらに深まり、一六四二年初頭、議員を逮捕しようとして失敗したチャールズがロンドンを離れます。そうして、その年の夏にとうとう内乱がはじまりました。
 作品のあちこちにはさしはさまれた史実を照らしあわせると、本作は一六三八年から一六四三年のあいだのことだとわかります。第二章のロンドンでの暴動から、メイクピースがグライズヘイズに引きとられていったのが一六四〇年のことです。その後二年ほどで開戦、メイクピースがグライズヘイズを飛びだしたのは、その翌年、四三年の初夏でした。
 本作で描かれているのはそこまでですが、やがて司令官オリヴァー・クロムウェルを擁する議会軍が勝利をおさめ、一六四九年にチャールズは処刑されます。そして、その後の十年は、国王不在の共和政の時代になりました。
 著者のハーディングさんに、なぜこの時代を背景として選んだのかとお尋ねしてみました。すると、内乱の時代は英国史上一、二を争うほどの激動の時代であり、フェルモット家の伝統という古く強大なものにたちむかう主人公を描くのに、かつてない大きな変動があったこの時代がぴったりはまったのだ、というお答えをいただきました。
 古い時代を描くにあたっては、綿密な調査を重ねたようで、さまざまな史実、当時の思想、風物、慣習などが作中に盛りこまれています。主要な舞台となるグライズヘイズとその主、フェルモット家は架空の存在です。ですが、グライズヘイズの屋敷は、何年ものあいだに著者が訪れた数々の古い建物から発想を得て描かれています。主だった特徴を参考にしたのは、十二世紀ごろからダービシャーにあるハドンホール(Haddon Hall)、十七世紀初頭にロンドン近郊に建てられたハムハウス(Ham House)。やはりダービシャーにあるボルゾーヴァー城(Bolsover Castle)。ウィルトシャーに十四世紀ごろに建てられたウォーダー城(Wardour Castle)は、じっさいに内戦中に二度、包囲戦が行われたところです。
 議会派の拠点ホワイトハロウについては、オックスフォードシャーにあるチャスルトンハウス(Chastleton House)を部分的にモデルにしたそうです。十七世紀初頭に裕福な毛織物商人ウォルター・ジョーンズが建てた屋敷で、隠し部屋があり、じっさいに作中で伝わっていたようなエピソードがあったといわれています。王党派としてチャールズ二世のために戦っていたウォルターの孫のアーサーが、一六五一年のウスターの戦いでの敗戦後、クロムウェルの軍から逃げかえり、隠し部屋を使ったのです。以上の建物については、ナショナルトラスト(https://www.nationaltrust.org.uk)、イングリッシュ・ヘリテッジ(https://www.english-heritage.org.uk)などのサイトで、外観、内部、庭園のようすが出ていますので、ぜひご覧になって雰囲気を味わってみてください。
 建物だけではありません。実在の人物をモデルにした登場人物もいます。後半メイクピースと不思議なつながりをもつヘレンは、王党派のスパイだったジェーン・ホールウッドがモデルとなっています。スコットランド出身だったことや、「赤毛」「あばた」などの外見の特徴も共通していますが、なにより彼女はチャールズ一世のために働き、ひそかに資金を届けるなどの活動をしていました。内戦の後半には、囚われの身となった王の救出を計画したといわれています。計画は失敗に終わりましたが、ジェーン自身は戦後まで生き延びたということです。それから、ホワイトハロウの女予言者レディ・エレノアは、レディ・エレノア・デイヴィスという実在の人物がもとになっています。作品中のエレノアとよく似ていたようですが、彼女の予言はおおむねあたっていたとか。ただし、戦争の行方だけははずしたそうです。
 このふたり以外にも、当時は王党派、議会派にかかわらず、重要な役割を担っていた女性が多かったようです。包囲された城や館を守った女性もいれば、議会派のスパイとして暗躍した女性もいました。ハーディングはそのすべてを作品にとりいれることはできませんでしたが、ヘレンとレディ・エレノアによって時代の女性像を表現したようです。このように、実際のできごとや物や人物にヒントを得てふくらませ、物語に落としこんでいく著者の手腕はじつにみごとで、はるか昔の世界が、生き生きとあざやかに再現されています。

 本作はひとことでいえば、幽霊が出てくるファンタジーなのかもしれませんが、ただの怖い幽霊のお話で終わらないのは、「霊にとりつかれる力」というユニークな仕掛けゆえでしょう。「とりつかれる」場面は何度も登場し、物語の行方を左右します。霊が出てくる場面はおどろおどろしくて怖いかもしれません。でも、作品全体を考えたとき、「とりつく」「とりつかれる」には、もっと深い意味があるようにも思えます。とりつくのは霊ばかりではなく、人は、自分の内にある考え、思想、信念、悲しみなどに囚われている(とりつかれている)ことが多いものです。メイクピースも霊とともに、母への想い後悔や悲しみ、執着、なつかしさを抱えていました。霊をやみくもに恐れるのではなく、自分の意思でつきあえるようになってから、メイクピースは自身がとりつかれていた内なるものとむきあい、前に進めるようになりました。
 そういう意味での「とりつかれ」は、メイクピースだけでなく、作品に登場するほかの人々にも見られます。熱心なピューリタンは信仰に、フェルモット家の人々は古の伝統や過去にとりつかれ、極端ともいえる行動をとっています。古い時代の話を読むとき、現代のわれわれはそんなばかげたことがと思いがちですが、人間の根の部分は案外同じで、自分もなにかに囚われて執着しているのではと考えずにはいられません。とくに危機的状況においては、それが色濃く出るのではないかと。メイクピースは自らのなかにいる霊の後押しを得て、過去とむきあうことができましたが、霊のいないふつうの人間はどうしたらいいのか。ハーディングはあるインタビューで、頭のなかに聞こえる複数の声について、親や師の助言、批判など、人は影響を受けた周囲の声を内なる声として自分のなかに蓄積していて、それらがさまざまな機能を果たすのであり、内なる声のすべてが否定的なものではない、と語っています。この考えからいけば、霊の代わりに自らが蓄積した声が、ふとしたときにべつの視点をもたらして、囚われた心を解放してくれるのかもしれません。
 
 ちょうどこのあとがきを書いているいま、世界は新型コロナウィルスの猛威にさらされ、数か月前まで想像もしなかったような恐ろしい状況に陥っています。先日、ハーディングさんとメールのやりとりをしたときに、イギリス内乱の時代はかつてないほどの大変動の時代だったけれど、じつはいまもそうで、わたしたちはいままさに激動の時代を経験しているのではないか、という話になりました。本書が執筆されたときには予想もしていなかったことでしょうが、はるか昔の革命の時代を生き抜こうとする少女の物語には、いまのわたしたちにも通じるメッセージがこめられているようにも思います。
 最後になりましたが、ロックダウンのさなかに質問に丁寧に答えてくださった作者のフランシス・ハーディングさん、原文とのつきあわせをしてくださった中村久里子さん、編集を担当してくださった小林甘奈さんに、心から感謝いたします。
 一日も早い終息を祈りつつ。

 二〇二〇年四月

訳者紹介
児玉敦子(Atsuko Kodama)
東京都生まれ、国際基督教大学教養学部社会科学科卒、英米文学翻訳家。主な訳書にハーディング『嘘の木』『カッコーの歌』、マーティン&ニブリー『ベートーヴェンの真実』、エリス『エジソンと電球』、共訳書に〈アンドルー・ラング世界童話集〉、マーカス『アメリカ児童文学の歴史』などがある。


嘘の木
フランシス・ハーディング
東京創元社
2017-10-21


カッコーの歌
フランシス・ハーディング
東京創元社
2019-01-21