ひとつの事件や謎を複数の登場人物が推理し合う、いわゆる「多重解決」。アントニー・バークリー『毒入りチョコレート事件』(一九二九年)で開花したこの手法は、後続の作品に様々な影響を与えてきたが、深木章子(みきあきこ)『欺瞞(ぎまん)の殺意』(原書房 1800円+税)もまた、その試みを受け継ぐ作品だ。


 昭和41年の夏、資産家である楡(にれ)家の屋敷で事件は起きた。先代当主――楡伊一郎の三十五日法要を終えたティータイムの席で、長女の澤子が突如苦しみ出し、その晩、担当医に「助けて。殺される――」という言葉を残して息を引き取ってしまう。死因は急性ヒ素中毒。澤子が使ったカップからはヒ素が検出され、さらに楡家の幼い御曹司(おんんぞうし)――芳雄もヒ素が仕込まれたチョコを食べて命を落とす(まさに毒入りチョコレート事件!)。警察の捜査により、澤子の夫で婿(むこ)養子の弁護士――楡治重(はるしげ)の喪服の上着ポケットから毒入りチョコの銀紙の一部が発見され、後日、治重は警察署に出頭。結果、無期懲役の有罪判決が確定する。

 時は流れ、平成20年。仮釈放となった治重は、伊一郎の二女――橙子(とうこ)に書簡を送る。じつはふたりは、お互いに強く惹かれ合う間柄だったのだ。そこには自身の無実と、ある願いが綴(つづ)られていた……。

 こうして治重と橙子の往復書簡が始まり、毒殺事件の真相を紙上で推理し合うことになるのだが、そのスクラップ&ビルドとふたりの恋情の揺れが有機的に結びついて描かれている点がまず素晴らしい。長い年月逢うことが叶わなかった男女が人生の終盤に交わす、叙情的な大人の手紙小説としての魅力を発揮している。

 本作は「書簡による推理合戦を経て最後に浮かび上がる真相は?」という興味を強く掻き立て、読み手を牽引(けんいん)していく作りだが、では一番の読みどころがその“真相”にあるのかというと、そうとは限らないからまったく油断がならない。この多重解決の役割、そして終盤に待ち構えるまさかの展開と結末を予想できる読者は、まずいないだろう。2011年『鬼畜の家』(島田荘司選 第3回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞作)でのデビュー以降、質の高い作品を上梓(じょうし)してきた著者のキャリアのなかでもトップクラスの出来栄えだ。

 同じく福ミス出身作家である稲羽白菟(いなばはくと)の『仮名手本(かなでほん)殺人事件』(原書房 1800円+税)は、タイトルからわかる通り「歌舞伎」を題材にした作品だ。文楽を扱ったデビュー作『合邦(がっぽう)の密室』(同賞第9回準優秀作)に登場した三味線奏者の冨澤弦二郎とその友人で劇評家兼ライターの海神惣右介(わだつみそうすけ)が、今回も不可解極まりない事件に挑む。
 来春の取り壊しを控えた歌舞伎座で、劇場の閉幕行事と上方歌舞伎の名門――芳岡家による先代天之助の追善興行を兼ねた「仮名手本忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」が上演される。ところがその最中、人間国宝――芳岡仁右衛門が急死。さらに客席では終演後に、芳岡家と何やら因縁(いんねん)があるらしい男の死体が花道下の通り抜け通路で発見される。どちらも死因は同じ毒物。そして男がいた桟敷(さじき)の沓脱場(くつぬぎば)には三枚のかるたが落ちていた……。

 演出上客席への出入りができなくなる四段目『判官(はんがん)切腹の場』、その密室状態の舞台と客席で起きた歌舞伎座毒殺事件というすこぶる見栄えのよい謎にワクワクさせられる。死の直前、因縁の男が先代天之助の妻に告げた「29年前、この劇場であなたが私から奪ったものを返してもらいたい」という言葉も強い怨(うら)みとドロドロとした愛憎劇を予感させ、横溝作品的な香気が強く立ち昇るクラシカルな王道本格をものにせんとする著者の意欲と覚悟が、ページから痛いほど伝わってくる。

 血筋と継承のドラマは、現代で描くにはどうしても印象が希薄になってしまいそうだが、本作には横溝作品に負けない濃度と重みと根深さがしっかりと備わっており、一連の悲劇の起因となる狂気など、まさに「歌舞伎」を題材にしているからこそ、その禍々(まがまが)しさが際立ってくる。もちろん美点は雰囲気やドラマばかりでなく、本格作品としても考え抜かれており、よく識るからこそ盲点になってしまう巧妙な謎の設計には唸(うな)った。新人は二作目が勝負などといわれるが、著者は本作で見事勝ち星をあげたといえよう。