闇への誘い

若島 正
 Tadashi WAKASHIMA



『サスペリア』で知られるイタリアの映画監督ダリオ・アルジェントの自伝Paura(恐怖、二〇一四年)を英語版で読んでいたら、興味深い記述に出くわした。ダリオ・アルジェントが監督第一作『歓びの毒牙(きば)』(一九七〇年)を撮る前の話である。彼は脚本家仲間であるベルナルド・ベルトルッチの家に遊びに行ったとき、一九四九年に出たアメリカのスリラー小説が置いてあるのを見つけた。ベルトルッチの話では、それを映画化するというアイデアを持っていて、脚本も書いてみたが、どうもうまく行かなかったとのことだった。そこでダリオ・アルジェントはその本を借りて読んでみたところ、ベルトルッチが言っているように、思わずのめりこんでしまうほどおもしろかったが、それがなぜ映画にしにくいのかもわかった。ダリオ・アルジェントに言わせれば、それは心理小説であり、大きなスクリーンに投映するのが難しいのだという。そこで彼はしばらくその小説を映画にする案を棚上げにしていた。しかしあるとき、彼は悪夢を見た。それは、自分がガラスの檻に閉じ込められていて、ガラスの向こう側では若い女性が何者かに襲われて殺されそうになっているが、それを目撃している彼がいくらガラスを叩いても向こうの女性には聞こえないという夢だった。その夢に霊感を授かってから、彼は取り憑かれたように脚本を執筆したという。もう言わなくてもわかるだろうが、それが『歓びの毒牙』の脚本であり、その原作となったアメリカのスリラー小説とは、フレドリック・ブラウンの代表作の一つ『通り魔』だったわけだ。
 このエピソードには興味津々なところがいくつかある。まず、ベルトルッチがフレドリック・ブラウンの『通り魔』を先に読んでいたというところ。ベルトルッチはこの頃すでに映画監督としても頭角を現しつつあったが、話題作『ラストタンゴ・イン・パリ』(一九七二年)で国際的な評価を得るのはまだ先の話である。初期のベルトルッチは、デビュー作の『殺し』(一九六二年)も売春婦が殺害された事件の真相を追求するという筋書きで、『通り魔』のようなスリラーに関心を持ってもおかしくなかった。もしベルトルッチが『通り魔』を映画化していたら、いったいフレドリック・ブラウンの世評はどうなっていただろうか、と想像してみるのは楽しい。
 しかし、それよりももっとこちらの興味を惹くのは、ダリオ・アルジェントが『通り魔』を「心理小説」として読み、それが映像化の難しさにつながっていると考えたところだ。『通り魔』はダリオ・アルジェントが手がける前に、すでに一九五八年にアメリカでガード・オズワルドの手によって映画化されている。このときは、中心的な登場人物を最も美しい頃のアニタ・エクバーグが演じており、彼女の妖しい魅力だけが強烈な光を放つ作品になっているが、ダリオ・アルジェントに言わせれば、それでも凡作から救えなかったという。それで言うなら、『通り魔』という原作に戻って考えてみると、そこに描かれている問題の女性からアニタ・エクバーグを想像するのは難しい。というか、『通り魔』に限らず、フレドリック・ブラウンのどんな作品からも、そこに登場する人物のイメージを具体的に(たとえば、映画にしたときに誰がその役にぴたりとはまるのか、という意味で)思い浮かべてみることは難しい。それは、フレドリック・ブラウンの作品にはいわゆる「描写」が最小限しかないからだ。彼は、娯楽小説において、描写が物語のスピーディな進行を妨げることを知っていた、というのがひとつの解釈。あるいは、彼はもともと外面的な描写に興味がなかった、というのがもうひとつの解釈。おそらく、どちらの解釈も一理あるだろう。とにかく、フレドリック・ブラウンのストーリーテリングは描写を犠牲にして成立しているのであり、読者はたとえば登場人物が「美人」だと書かれていればそれでよく、頭の中でそこに勝手な塗り絵をすればいい。逆に言えば、フレドリック・ブラウンの作品には空白が多いわけで、その意味では映画化しやすいとも言えるはずだが、登場人物の心理の映像化は難しいとダリオ・アルジェントは直感したのである。
 ここでおもしろいエピソードを紹介しておく。猛烈な量の作品を書いていたフレドリック・ブラウンは、アイデアがなくなると、グレイハウンドバスに乗って数週間旅をしてまわることがつねであったという。それは決して、バスの窓から見た人々や風景を題材に使おうとしていたのではない。その逆で、彼はバスの後部座席に陣取り、外界の一切をシャットアウトして、ひたすら脳内の景色を見ていた。描写が最小限だという彼の作品群の特徴はそれと関係している。彼の小説世界は、登場人物の脳内の世界が中心的な位置を占めているのである。ダリオ・アルジェントが『通り魔』を「心理小説」だと言ったのはそういう意味だ。もう少し正確に言えば、その場合の心理とは「異常心理」であり、さらには「狂気」である。実際に、『通り魔』の主人公が連続殺人事件の犯人の目の中に読み取るのは、この「狂気」なのだ。それを考慮に入れてフレドリック・ブラウンの作品群を読み返せば、そうした狂気や、それを分析する精神科医が出てくる作品が多いことに驚かされる。タイトルに現れているものだけを拾ってみても、長篇の『発狂した宇宙』(一九四九年)や、本全集の第二巻に収録されている中篇「さあ、気ちがいになりなさい」(同)がその見本で、原題“Come and Go Mad”のgo madという言い方は、アメリカでは「怒り狂う」という意味合いで使われることの方がはるかに多いが、ここでは文字どおりに「発狂する」という意味になる。『現金(げんなま)を捜せ!』の邦題で知られている一九五二年の長篇は、原題Madballで、これはカーニバルの占いで使われる水晶球のこと。タイトルに出てこないが、「狂気」が扱われている作品はそれこそ枚挙にいとまがない。直接的ではなくても、物語が進行するにつれて登場人物の精神が次第に病んでいく、というのもひとつのパターンで、それに属するものとしては、奇想天外な結末で有名な短篇「うしろを見るな」が挙げられる。今の目で見れば、こうした作品群はいわゆる「サイコ」物に属するケースが多いが、実際にフレドリック・ブラウンは“PSYCHO”という言葉を長篇『3、1、2とノックせよ』の冒頭部分で使っている。発表されたのは一九五九年。その同じ年にロバート・ブロックが『サイコ』を書き、翌年にヒッチコックがそれを映画化して、この言葉はすっかり世間に定着した。『通り魔』をはじめとして、フレドリック・ブラウンが早くも四〇年代後半からこの分野を模索していたことには、先見の明を感じざるを得ない。
 フレドリック・ブラウンの作品群ではなぜこんなに狂気を扱ったものが多いのか。その理由としては、歴史的な要因と、作家本人の個人的な要因があるだろう。フレドリック・ブラウンの作家活動の最盛期は、エドガー賞新人賞を獲得して専業作家になるきっかけを作った、『シカゴ・ブルース』が発表された一九四七年から、持病の肺病で従来のように量産ができなくなった一九六〇年頃までと一般に考えられている。そして、この四〇年代後半から五〇年代にかけてという時期は、アメリカにおいてフロイト派の精神分析が広く流通し、精神分析医が家庭医のように身近な存在になっていった時期とぴったり符合するのだ。この時期に、それまでの心理学は次第に精神分析学に取って代わられるようになった。とりわけ注目を浴びたのは、異常心理であり、それと犯罪との結びつきだった。この領域にフレドリック・ブラウンが大きな関心を抱いたことは想像に難くない。そういう視点から見るとおもしろいのは、本全集の第四巻に収録予定の、最晩年に書かれた短篇「猫恐怖症」(既訳の題名では「猫ぎらい」)で、恐怖症につながった言語疾患という題材を扱いながら、最後にはいかにもフロイトという落ちがつく。これはフレドリック・ブラウンお得意の言語遊戯を充分に発揮しながら、彼がいかにフロイト派の精神分析を自家薬籠中のものにしていたかをうかがわせる、短いながらも絶好の見本である。
 それでは、フレドリック・ブラウン本人の個人的要因はどうだろうか。彼の心の闇を覗こうとするのは、まるでこちらが精神分析医になってしまうようで気が引けるが、彼自身がその闇を自ら明かしているからかまわないだろう。それは、一九二一年、彼が十五歳のときのこと。母親が癌で死にかけていたときに、教会に通っていた彼は、母親を助けてくれと必死になって神に祈った。しかしその祈りは叶えられず、そのとき以来、彼は徹底した無神論者になったという。そうした心の闇を抱えながらも、彼は不条理な世界という泥沼にどっぷりとはまり込むことはなかった。彼の生来のユーモアとロジック癖は、そういう闇に対して一定の距離を置くことを可能にした。フレドリック・ブラウンが異常心理や狂気の世界をあくまでも大衆娯楽小説の範囲で描いたのは、それが彼自身にとっても安全弁の役割を果たしていたからだろう。わたしたち読者は、それだからこそ、「さあ、気ちがいになりなさい」という作者の誘いに対して、心底から怖がることもなく、どんなに楽しい物語が待っているのだろうかと期待しながらページをめくることができるのだ。



【編集部付記:本稿は『フレドリック・ブラウンSF短編全集3』解説の転載です。】



■若島正(わかしま・ただし)
1952年生。京都大学卒業。英文学者、翻訳家。チェス・プロブレム、詰将棋にも造詣が深い。2002年、『乱視読者の帰還』で本格ミステリ大賞評論部門受賞。03年、『乱視読者の英米短篇講義』で読売文学賞随筆・紀行賞受賞。訳書にウラジミール・ナボコフ『ディフェンス』『ロリータ』『ナボコフ全短篇』(共訳)『透明な対象』(共訳)『記憶よ、語れ 自伝再訪』、リチャード・パワーズ 『ガラテイア2.2』、フレッド・ウェイツキン 『ボビー・フィッシャーを探して』ほか多数。