では、恋愛とは、家族とはなんだろう。そう考えさせるのが、高瀬隼子の『犬のかたちをしているもの』(集英社 1400円+税)。第43回すばる文学賞受賞作、つまり著者のデビュー作だ。
 30歳の間橋薫は、20代で子宮の手術をした経験がある。そのためではないが、恋人ができてもしばらくするとセックスが嫌になってしまう性格で、現在半同棲状態の郁也ともすでに関係はない。だが、彼もそれは承知済みのはずだった。だが、ある日、彼と金銭のやりとりをした上でセックスしたというミナシロと名乗る女性が、彼の子を妊娠したと言い出す。すわ、別れ話か……と思いきや、ミナシロはなんと、「自分は産むが子供は欲しくないので二人で育ててくれ」と言い出す。

 私だったら郁也と別れるな、と読みながら思ったが、薫は迷う。もちろん彼女には郁也への愛情があるし、手術をして子供を産むことが難しい彼女にとっては、子を持つ思いもよらないチャンスでもある。実家の両親や祖父母も喜ばせたい。ただ、彼女はそうしたメリットとデメリットの間で揺れるわけではない。そもそも、郁也に対する愛情とは何なのかという、かなり手前の出発点から思考を巡らせていく。つまり、突拍子もないシチュエーションではあるものの、薫が悩み思うところは普遍的で、かつ、とても難しいものなのだ。丁寧に状況を作りつつ、主人公の心の動きを描写していく筆力に心を持っていかれた。

 新人といえば現役大学生、北川樹の『ホームドアから離れてください』(幻冬舎 1400円+税)も、丁寧な描写で読ませる一作だった。中学時代に柔道部で辛い体験をし、友人を助けられなかったダイスケ。学校に通えなくなった彼がある日知ったのは、空色ポストという存在。新宿御苑(しんじゅくぎょえん)の奥にあるそのポストに撮った写真を投函すると、同じように投函された誰かの写真を送られてくるシステムだという。写真を撮るために外に出かけるようになった彼にはまた、新たな出会いが待ち受けていて……。


 学校に通えなくなるまでの、柔道部の人間模様の描き方が秀逸。単にいじめっ子がいたというわけではなく、親切だった先輩が心をねじらせていき、その結果何が起きるかを、緊張感を持って描いている。また、ダイスケが学校やその時の関係者とのやりとりの中で再生するのではなく、まったく別の場所で自分を取り戻していく展開が、とても納得がいく。再会も描かれるが、再会によって完全に立ち直るのではなく、彼はもう大丈夫だろうと読者に思わせる先に再会があるところがいい。本当に辛い人の気持ちに寄り添って書かれているという印象で、好感度大。

 話は戻って、常識が揺らぐ作品といえば高山羽根子の『如何様(イカサマ)』(朝日新聞出版 1300円+税)。青年画家の貫一が戦後に復員するが、容貌がまったくの別人。文筆を生業(なりわい)とする主人公の女性が、美術系の編集者から彼が本物か偽物か調べてほしいと頼まれる。貫一は現在出張中なので、彼女が訪ねるのは貫一の妻のタエほか、関係者たち。みな、言うことがそれぞれ違う。だが、際立ってくるのはタエの存在で、戦前の貫一にほとんど会っていなかったせいか、彼女は、彼が本人かどうかにこだわっていないのだ。次第に主人公も彼女に引き込まれていく。


 本物とは何か、偽物とは何かについても考えさせるが、それらに向き合う人間の態度にも興味を湧かせる。また、坂道の描写、終盤に舞い上がる紙幣など、ささやかなエピソードにも意味がこめられ、さまざまな読みができる作品。繰り返し読むたびに発見がある。