石に宿り、主となった人間の気を受けて生まれる美しき精霊“玉妖”と主である少女駆妖師の絆をえがくファンタジイ『玉妖綺譚』。本編は少女駆妖師綾音を中心に展開しますが、玉妖を主人公にしたスピンオフ短編をWeb限定で公開します。
かぐや~矜持~
皇国(こうこく)大和首都、櫂都(かいと)。
皇都(おうと)暦は開化(かいか)に改元されてより二十四年。つまり、皇国のほぼ中央に位置する央都(おうと)よりはるか東、明神湾に面したこの都市に、大和の首都機能が移されて二十四年目ということになる。
政府機関が集中する神名(かむな)区は別格としても、都内の二十一区は地区ごとにそれぞれ都市環境が大きく異なっている。中でも、櫂都のもっとも南に位置する白峰区は、通称「特区」
と呼ばれる特別区に指定されており、さまざまな制約が課されていた。
他の区では路面電車があたりまえに走り、一部の地域では自動車の使用も認められつつあるが、ここではその街並みや景観を守るために、馬車もしくは人力車以外はすべて禁止されている。しかも、馬車は二頭立てまでという条件つきだ。
白峰区の中でも、菅生(すごう)町は大きな商店が集まる地区で、都市計画にそって建てられた煉瓦造りの町並みに、石畳が敷かれた道路が四方に伸びている。
数軒の古書店が立ち並ぶ俊英(しゅんえい)通り。その裏手に、海景堂はひっそりと店を構えていた。二階建ての四角い建物には看板も出ていないが、ある分野においては、知る人ぞ知る有名店だ。
伊上(いがみ)亮輔(りょうすけ)は、木造の枠に硝子をはめ込んだ、重厚な扉の前に立っていた。まだ開店まで半時もあるというのに、この時間に来るよう、店主に呼び出されたのだ。
扉を開けると、店内は薄暗かった。目の前に白い布の掛かった円いテーブルがあり、その上には首飾りや腕輪など、色石を使った装飾品が置かれている。その華やかさとは対照的に、壁面の本棚には色あせた背表紙の古書がずらりと並んでいた。
海景堂(かいけいどう)はいちおう女性の装飾品を扱う店ということになっているが、店主が〝異界〟や〝妖(あやかし)〟の研究者で、それらに関する書物も取り扱っている。
一部の学者の間では、人間が暮らすこの世界とはまったく異なる、もうひとつ別の世界が存在するというのが定説となっていた。その世界のことを〝異界〟と言い、そこに住まうものたちを〝異界妖(いかいよう)〟と呼ぶ。
白峰区が特区とされているのは、こちらの世界と異界が重なり合う〝はざま〟と呼ばれる空間が出現するからだ。そこから異界妖がこちらの世界にやってくることもある。ただ、ほとんどの人間には異界妖の姿が見えない。そのため、政府は異界妖や〝はざま〟の存在を公式には認めていなかった。
とはいえ、実際にこちらの世界に来ている異界妖がいるわけで、それが〝見える〟人間に出会ってしまえば、当然のように騒動が起きる。 例えば〝木偶(でく)〟は全身が白ずくめで、異様に手足の長いのっぺらぼうだ。このような異形を見かければ、誰もが声をあげて逃げ出すだろう。木偶は人間を襲うことはないが、虎に獅子のたてがみをつけたような姿の〝凱雷(がいらい)〟などは、目が合っただけで鋭い爪を武器に飛びかかってくるおそれがある。
そういった異界や妖にからむ問題を扱うのが〝驅妖師(くようし)〟という職業で、亮輔もそのひとりだ。彼は探偵事務所を開いているが、そちらで依頼を受けるだけでなく、海景堂の紹介で仕事を請け負うことも多い。異界の研究者として店主の名が知られているために、問題を抱えた人々が海景堂へ駆け込んでくるのだ。
今日も依頼があると聞き、渋々ながらこのように早い時間にやってきたわけだが、店内に主の姿は見当たらなかった。
(人を呼びつけておいて、当の本人がいないとはどういうことだ?)
こういったことはしょっちゅうで、今さら不用心だなどと心配する気も起きない。ただ、朝早くから呼び出されたせいですこぶる機嫌が悪く、無性に腹が立つ。
「相変わらず、手前勝手な奴だよな」
亮輔はぶつくさ文句を言いながら、手近にある椅子に腰掛けた。
幸いなことに、さして待つほどのこともなく、紗のカーテンの陰から、灰色の紬を着た男が現れた。海景堂の主人である寺西(てらにし)要(かなめ)だ。
「ああ、来ましたね」
こちらは時間を守ったというのに、さも待たされたかのような雰囲気を漂わせているのが気にくわなかった。だが、不平を唱えたところで受け流されるに決まっている。無駄なことはしたくない。腹立ちをおさえつつ、亮輔は最小限の言葉でたずねた。
「どんな仕事だ?」
「人助けですよ」
負けず劣らず短く返され、亮輔の苛立ちは募った。長いつきあいで、互いの性格は知り尽くしているが、時折、冷静な要の顔を思いきり殴ってやりたい衝動に駆られる。
だが、彼はそんな亮輔の感情など斟酌せず、すぐさま本題に入った。
「神崎(かんざき)の水月楼(すいげつろう)に行ってもらいたいのです」
神崎は篠原と並び、櫂都で一、二を争う遊廓だ。白峰区の北東に位置し、ここからさほど遠くはない。
要は定期的に水月楼を訪れ、遊女たちを相手に装飾品を商っている。それだけでなく、店主の藤春にいくつか竜卵石を預け、玉妖たちに歌や踊りを教えてもらい、お座敷に出して場を盛り上げるといった試みもしているようだ。亮輔も嫌々ながら、何度か同行させられたことがある。
「前から言っていることだが、女性相手の商売ならおまえだけで十分だと思うぞ。だいいち、お供なら俺じゃなくても彩音(あやね)がいるだろう」
高崎(たかさき)彩音は海景堂に所属する驅妖師だ。一時、亮輔の探偵事務所で助手を勤めていたこともあるが、現在は再び海景堂の専属となっている。
「彩音さんには別の仕事をお願いしていますし、今回は品物を売りに行くわけではないので、私はご一緒しませんよ。正確に言えばあなたではなく、かぐやにお願いしたいのです。ですから、彼女を呼んでくれませんか」
訳のわからぬまま、亮輔は渋々、要の指示に従った。
「かぐや」
呼びかけに応えて現れたのは、二十歳前後の若い女性だった。
細い輪郭線の、卵形をした小さな顔。透き通るような白い肌に、金と緑の瞳の持ち主で、唇はほんのりと桜色に彩られている。腰まで流れる長い髪は白銀の色で、右側のひと房だけが金色に染まっていた。
身に着けているのは、白い紗の生地に黒と紫のぼかし染めの入った着物で、柳の枝と白鷺が描かれていた。帯も黒い紗で、こちらにも白鷺の姿が織り込まれている。まだ初夏であるが、季節を先取りしたようで、夏を感じさせる涼やかな装いだった。
大和の人間にはない髪と目の色を持つ彼女が着物を身にまとうと、まるでどこか知らない異国の装いのように感じられて神秘的だ。
だが、かぐやは皇国大和の住人でないどころか、人ですらない。竜卵(りゅうらん)石(せき)という石に宿る、〝玉妖(ぎょくよう)〟と呼ばれる精霊だ。人間の気を受けて生まれるが、この世界では実体を持たない。薄暗い店内で、彼女は輝かんばかりに美しかったが、それでもどこかはかなげな風情を漂わせながら、静かにたたずんでいた。
「素敵ですね。本当に、いつお会いしても見惚れてしまいますよ」
毒舌家の要が手ばなしでほめるなど、めったにないことだが、彼はかぐやに対してだけはいつも賛辞を惜しまない。
「ありがとうございます」
かぐやは微笑んでそれを受けた。だが、要は長々としたあいさつで時を無駄にするような男ではない。すぐに用件を切り出した。
「じつは、あなたにお願いがあるのですよ。水月楼に雪白(ゆきしろ)という太夫がいらっしゃるのですが、その方の体調がすぐれないのだそうです。医者に診せても、どこも何ともないとのことで、気鬱の病ではないかと。そこで、楼主の藤春(とうしゅん)さんが転地療養させるよう取り計らったのですが、あまり効果がなかったようです」
「それが、かぐやと何の関係があるんだ?」
亮輔が口をはさむと、要は自分のことは棚にあげ、顔をしかめながら言った。
「せっかちで困りますね、あなたは。それをこれから説明するんじゃありませんか。藤春さんから依頼があったんですよ。雪白太夫は以前から、かぐやに会いたがっていました。その願いを叶えてやれば、少しでも回復の助けになるのではないかと、そうおっしゃっているんです」
「どうして、かぐやに会いたいんだ?」
「有名な難波(なんば)コレクションで、もっとも美しいと言われている玉妖だからでしょう」
要はさもあたりまえのように言った。
〝難波コレクション〟とは、異界や玉妖の研究家であった難波俊之が所有していた七つの竜卵石のことだ。彼が十年以上の歳月をかけて育て上げた、七つの石に宿る玉妖は、現存するどの玉妖よりも美しいと言われ、収集家の間ではもはや伝説に近い存在となっている。
亮輔も要も、俊之の古くからの友人だった。数年前、亮輔は俊之からかぐやの竜卵石を譲られ、今では彼が主ということになっている。
「しかし、かぐやを会わせるだけで仕事になるのか?」
疑わしげに尋ねる亮輔に対し、要は堂々と答えた。
「報酬はきちんともらうつもりですから、立派な仕事です」
亮輔は肩をすくめ、隣にいるかぐやを見遣(みや)った。
「ということだが、どうする?」
「亮が決めて下さい。わたしは主(あるじ)の言(げん)に従います」
「おや、何も主らしいことなどしていなのに、かぐやはあなたを立ててくれるのですね」
ここぞとばかりに、要の毒舌が始まる。なれているので何とも思わないが、反論はしたくなるものだ。
「そんなこと、俺はべつに頼んでいないぞ」
「要様、わたしは今でも、亮の言動から学ぶことが多いのですよ」
「ほう」
かぐやの発言に要は目を細め、亮輔は不安になってたずねた。
「何をだ?」
だが、彼女は微笑んで、
「いろいろです」
と答えただけだ。
「忠告しておくが、あまり俺のやり方を取り入れないほうがいいぞ」
亮輔としては、肩をすくめてそう言うしかない。だが、学ぶなどと謙虚なことを言っているが、たとえ自分が何をしようと、かぐやはきっと変わらない。そんな確信があった。彼女はもう誰の言葉にも左右されることのない、強い個性を持っている。
「見世物として呼ばれるのは、気に障るんじゃないか?」
「いいえ」
かぐやは微笑みを浮かべたまま、柔らかな口調で答えた。
「わたしが装うのはどなたかの為ではありませんが、それでもわたしを見て喜んで下さる方がいらっしゃるなら、それはとてもうれしいことなのです」
「では、引き受けるとするか。今から行くのか?」
亮輔の問いに、要はうなずいた。
「ええ、早いほうが良いそうなので。ついでに妖(あやかし)よけの封印の具合も見て来て下さい」
「そっちは別料金だからな」
すかさず要に念を押すと、亮輔は店を出た。そこまで金にこだわっているわけではなかったが、すぐに報酬のことを言い出す彼への嫌みのつもりだった。
要は仕事の対価をきちんと受け取ることにこだわりがあるらしい。報酬についてはっきりさせてからでないと、どんな依頼も仕事として受けようとしないのだ。そうすることで、驅妖師という職業の価値を高めようとしているのだというのは理解できる。だが、何かにつけ金の話を持ち出されると、さすがにうんざりしてしまう。
神崎は神名区にある篠原と比べると規模は小さいが、歴史ははるかに古く、篠原に次いで政府の認可を受け、公営の遊廓となった。
花街の入り口である門をくぐると、思いのほか大勢の人々が往来を行き交っている。ほとんどが何がしかの荷を抱え、急ぎ足で歩いているところを見ると、この門の内で商売をしている人々だろう。
南北に延びる大通りの中央には、まっすぐ一列に街灯が立てられ、それをはさむようにして、両側に遊郭の張見世(はりみせ)が並んでいる。今時分には当然のごとく、格子越しに遊女の姿はない。
通りの東側の店は金の装飾を施し、極彩色を多用した派手な店構えだが、うってかわって西側は、黒を基調とした重厚な趣きの建物ばかりだ。
神崎では東側に位置する店は〝東風(とうふう)〟、西側は〝央風(おうふう)〟と定められている。
央風とは、かつて皇国大和の首都であった央都を中心とした文化で、東風は央都から見て東に位置する、この櫂都を中心とする文化のことだ。万事が派手好みで華やかな東風に比べ、央風では何よりも雅を大切にしている。
水月楼は西側に軒を連ねる店のひとつだが、神崎の中でもそれほど大きな店ではない。彩音が海景堂で仕事をするようになる前は、亮輔が装飾品を売りに行く要に同行させら
れていた。しかし、そうして何度か訪れたことはあるものの、主人の藤春に会うのは今回
が初めてだった。彼と話をするのはいつも要だけで、しかもそのために二階に行ってしま
うものだから、亮輔はたったひとり取り残されて、遊女たちにからかわれながら商売をし
なければならないというのが常だった。
それがとても苦痛だったせいで、この場所は苦手なのだが、幸いなことにまだ遊女たちは休んでいるようで、店の中も静かだった。遊女たちの集まる一階の座敷を素通りして、すぐに二階に案内されたので、亮輔はほっとした。
藤春はやせた小柄な男で、顔つきこそ柔和だったが、眼光は鋭かった。
「この度は、私どもの勝手な願いをお聞き入れ下さり、まことにありがとうございました。あなた様の玉妖が見世物でないことは重々承知いたしております。ただ、今回ばかりは弱った者を助けると思って、力をお貸しくださいませ」
「雪白太夫が病みつかれたそうですね」
「どうにも体に力が入らぬと申しております。舞うことはおろか、扇を持つことさえ大儀なようで、いつもは凛とした太夫が、起き上っている間もずっと脇息にもたれているような有り様でして」
「しかし、かぐやに会ったところで良くなるものですか?」
「気が晴れそうなことなら、何でもしてやりたいのでございますよ。もしよろしければ、太夫をかぐや様の〝郷〟につれていっていただけたらとも考えております」
玉妖たちは自らの石の中に、郷〟と呼ばれる空間を持っており、そこでは、彼らが思い描いた通りの世界を作り出すことができる。玉妖の手引きがあれば、誰でも訪れることが可能だが、水月楼では〝郷〟の存在そのものが秘密にされている。遊女たちが〝郷〟に逃げ込んでしまうおそれがあるからだ。
「よろしいのですか?」
亮輔が確認すると、藤春は大きくうなずいた。
「今回ばかりは特別です。何としても太夫に回復してもらわねば」
「ひとつ、おうかがいしたい。楼主がそこまでなさるのは、雪白太夫が〝玲華(れいか)〟だからですか?」
神崎や篠原といった公営の遊郭で、最高位の遊女は〝太夫〟と呼ばれる。水月楼には雪白と夕紅(ゆうべに)のふたりがいるが、〝玲華〟というのは、その店で最も人気の高い太夫のことだ。
「それだけではないのです」
藤春が憂え顔で言葉を継いだ。
「神崎には年に一度、三月の終りに行われる春宵祭(しゅんしょうさい)というものがございます。祭りには東西からひとりずつ遊女を出し、大勢のお客様の前で芸を披露することになっております。そのため、容姿だけでなく歌舞に優れた者が選ばれ、東の代表は桜花天(おうかてん)、西のほうは梅花天(ばいかてん)と呼ばれます。おかげさまで、うちの雪白はもう三年も続けて、梅花天の称号をいただいているのですよ」
「ああ、そうでしたね」
水月楼の暖簾(のれん)は年中同じ濃い紅色だが、それは紅梅の色を表すもので、梅花天の太夫を抱えている店の証だということを、以前、要に聞いた覚えがある。
「梅花天がおりますと、店全体の格が上がりますようで、ありがたいことに上客が増えました。さして大きくもない私どもの店が、こうしてにぎやかにさせていただいているのも、すべて雪白のおかげと言っても差し支えないかと。ですから、一日も早く元気になってもらいたいのです」
「わかりました」
かぐやが承知し、要が話を通してあるものに、もとより異議をさしはさむつもりもない。だいたいの事情がわかったところで、亮輔は立ち上がった。
店の二階に上がり、雪の中に立つ鶴が描かれたふすまの前で、藤春が声をかけた。
「太夫、伊上様がいらしてくださいましたよ」
「どうぞ」
思いのほか、はっきりした声で応えがあった。
藤春に続いて中に入ると、雪白太夫は薄紅色の敷物の上に、分厚い座布団を置いて座っていた。豊かな黒髪を結わえず背中に流し、白い着物に金色の半幅の帯を巻き、紅色の打掛を羽織っている。
亮輔は彼女とも初対面だったが、神崎でも一、二を争う美女だと話は聞いている。こうして相対してみると、噂に違わず、確かに美しい女性だと思った。化粧をしていないせいか、きめ細やかな肌がより際立って見える。切れ長の目は少し下がりぎみで、柔和な人柄を表しているようだ。だが、聞いていた通り体調がすぐれぬようで、顔色は青白く、唇にも血の気がない。
彼女はいかにもだるそうで、脇息にもたれかかっていたが、亮輔を見ると身を起こし、きちんと手をついて頭を下げた。
「わざわざお越しいただきまして、ありがとうございます」
「おかげんはいかがですか?」
「こうして起き上がれますから、たいしたことはございません」
そう言って、微笑む顔にも疲れたような翳りがある。
「ご要望の通り、かぐやをつれてきました」
亮輔は上着の内ポケットから黒革の小箱を取り出すと、ふたを開けた。そこには、二寸ほどの大きさの、しずく形をした石が収まっていた。外側は透明だが、中心は白というよりも白銀に近い色で、全体が淡く輝いて見える。さらに、石の中央を細い金色の線が縦にまっすぐ走っていて、時折、閃光(せんこう)のように強くきらめいている。
玉妖と契約を交わした者は、竜卵石がどこにあっても玉妖を呼び出すことができる。このように、わざわざ石を取り出す必要もないわけだが、亮輔は初対面の相手にはなるべく石を見せるようにしている。そのほうが、玉妖というものを理解しやすいように思うからだ。
「とてもきれいだわ」
「本当に、このような石は見たことがありません」
雪白と藤春がそろって、感嘆の声をあげる。さらに亮輔がかぐやを呼び出すと、ふたりはともに大きく目を見開いた。
かぐやは先程とは打って変わった、あざやかな色の着物姿であらわれた。夏空のような深い青の竪絽(たてろ)の地に、白と薄緑の楓の葉が流れるような線を描いて散っている。帯は白にうっすらと黄みがかかったような優しい色合いで、こちらにも濃緑と淡緑の楓の葉が織り込まれていた。そのようにはっきりした色合いの衣装を身にまとっているせいか、普段のどこかはかなげな風情はなりをひそめ、くっきりと空間に刻み込まれるような存在感があった。
雪白はじっとかぐやをみつめていたが、やがて深いため息をついた。
「本当に、玉妖というのは、ここまで美しくなれるものなのですね」
その口調には嫉妬や羨望の響きなど微塵も感じられなかったから、純粋な賛美から出た言葉なのかもしれない。だが、太夫の表情はどこか寂しげで、ただそれだけではないような気がした。亮輔はかぐやの反応をうかがったが、彼女は微かな笑みを浮かべ、いつものように静かにその場にたたずんでいる。
「白銀(しろがね)の髪に、深い青がよく似合っているわ。素敵なお召し物ね。よろしければ、もっとよく見せていただけませんか」
亮輔はかぐやが断るかもしれないと思ったのだが、彼女は素直に袖を広げ、ゆっくりとまわってみせた。
「ありがとう」
雪白は満足したようにうなずくと、途端に申し訳なさそうな顔になった。
「ごめんなさい、ずっと立たせたままでしたわね。どうぞお座り下さいな。あまりにおきれいだったから、我を忘れて見惚れてしまいましたわ」
かぐやが長い袖をひるがえし、亮輔の後ろに端座すると、その身のこなしを見て、雪白が尋ねた。
「あなたの動きは流れるように自然で、とても優雅ね。もしかして、何か舞踊をなさるのかしら?」
「いいえ、習ったことがありませんので」
かぐやは笑みをたたえたまま、小さく首を振った。
「何度か見せていただいたことはありますし、舞うことができれば素晴らしいと思うのですが、見よう見まねではなかなかうまくできませんでした」
「そう。あなたが舞えば、誰より美しいと思うのに」
太夫は残念そうに言ったが、しばしの間、視線を落として考え込んだ後で、ふと何かを思いついたように顔をあげた。
「けれど、舞に興味はあるのでしょう? うちの玉妖たちの舞を見ていってくださいな。とても上手なのよ。今なら、ちょうど稽古をしているところだわ」
かぐやが意向をうかがうように、亮輔のほうを見た。彼自身は舞にまったく関心がなかったが、かぐやは興味を持ったらしい。
「おまえが見たいのなら、見せてもらえばいい」
亮輔がそう言うと、かぐやはうれしげに笑い、太夫に向かって軽く頭をさげた。
「ぜひ、拝見させてくださいませ」
「では、鏡月(きょうげつ)の間に参りましょう」
雪白太夫は立ち上がったが、その動作はいかにも緩慢で、大儀そうだ。亮輔は心配になったが、先に立って歩き出したのを見ると、本人の言う通りそれほどひどくないのかもしれない。