国内では大著『中島河太郎著作集 上巻』(中島淑人編 論創社 6000円+税)が目をひきます。中島は推理小説史研究、また書誌研究の長年にわたる第一人者で、『探偵小説辞典』で第一回江戸川乱歩賞を受賞、『推理小説展望』で第19回日本推理作家協会賞を受賞しています。乱歩賞は第二回までは公募新人賞ではなく業績そのものを顕彰(けんしょう)する賞でしたし、協会賞も〈評論その他〉部門が分かれるより前に創作と同列に選考されたものですから、中島が特別な存在であることは一目瞭然です。ただその業績を俯瞰(ふかん)できる資料となると、これだというものが無い印象でした。


 上巻は『日本推理小説辞典』『海外推理作家事典』がまとめられ、中島の時代にどういう水準まで研究が進んだかをうかがい知ることができます。もちろん、現代の資料としてみると内容が古びていることはやむを得ないのですが。下巻にはエッセイ類が収録予定ということで、筆者としては時評がどれくらい読めるか期待しています。

 斯界(しかい)の長老飛鳥高が白寿をむかえることを記念して、論創社から記念出版の惹句(じゃっく)を掲げた2冊が出ています。まず飛鳥高『細い赤い糸』(論創社 2500円+税)は、日本探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞した長篇代表作です。


 水道公団職員の戸塚は、昨今の公務員汚職事件の取り締まり強化に戦々恐々としていました。資材納入業者から利益供与をうけて、資材の検査を目こぼししていたからです。戸塚は小心の佐々木係長に責任を被せたうえで、自殺と見せかけ殺害する計画をたてます。

 白地に〈細い赤い糸〉を抄(す)き込んだ紙を用いた瀟洒(しょうしゃ)な造本で、著者自筆の題字に味わいがあります。作品じたいは日本推理作家協会賞受賞作全集文庫版もあって入手しやすいですが、これは手元に置きたくなる理想的な記念出版本だと思います。内容のほうはミッシングリンクものとしてよく知られていて、〈細い赤い糸〉が現場に残される殺人事件を鍵に4つの挿話がからみ合います。それぞれの挿話で誰が被害者になるかの意外性とサスペンスは抜群ですね。謎解きを期待する読者には当てが外れるかもしれないのですが、結末を推測できる要因はしっかり提示されています。

 もう一冊は《論創ミステリ叢書》より『飛鳥高探偵小説選Ⅴ』(論創社 4000円+税)です。飛鳥は本業多忙のため創作からはなれた時期がありますが、筆を断つまでに書かれた最後の長篇『ガラスの檻(おり)』の復刊が目玉になります。これで五巻に至った飛鳥の傑作選ですが、もう一巻出れば単行本未収録作が網羅できるのではないでしょうか。ぜひ今後も続刊を期待したいところです。


《ミステリー・レガシー》企画からは、他ジャンルでの活躍を経て探偵小説に参入した戦前作家のつながりから『平林初之輔 佐左木俊郎』(山前譲編 光文社文庫 860円+税)が出ています。平林の唯一の長篇探偵小説『悪魔の戯(たわむ)れ』の初単行本化が嬉しいですね。


 京都の華族、羽鳥子爵の次男坊の親行に縁談が持ち込まれます。親行はかつて日本海沿いの漁師町で観た旅芸人のことが忘れられず気乗りがしません。しかし見合い相手の真知子にはひと目で恋に落ちてしまいます。真知子も、この縁談は父・昌造が政略結婚を目論(もくろ)むものだと知人から聞かされながら、親行への好意を隠せません。それぞれの思いが交錯する中、昌造が何者かに殺されて――「悪魔の戯れ」

 上流階級の若いカップルのロマンスを軸とした、わりあい通俗的な展開の小説です。傲岸不遜(ごうがんふそん)な貴族院議員をタイトルにいう「悪魔」と据えて、当時では異色であろう謎の解決に平林の思想的な背景がうかがえます。平林はこの作品の連載中に《新潮》に発表した「政治的価値と芸術的価値」で一大論争を巻き起こしているのですが、実作ではこういうものをさらっと書いているのは面白い。夭折(ようせつ)が惜しまれます。