例年新訳・復刊ともに年始は点数が少なくなりますね。翻訳は創元推理文庫〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉企画のみです。マーガレット・ミラー『鉄の門』(宮脇裕子訳 創元推理文庫 1040円+税)は、ニューロティック・サスペンスの名手ミラーの初期代表作です。


 医師アンドルーの妻ミルドレッドは十六年前に何者かに殺されました。その親友ルシールは、事件後の家族の世話を続けるうちアンドルーの後妻として迎えられます。しかし本当の家族になれていない感覚に苛(さいな)まれ続けていました。そしてある冬の日、不審な男が謎の荷物を届けてきたのを契機としてか、ルシールは突然失踪します。

「狩猟」「狐」「猟犬」の三部構成の序破急が見事で、特に第二部は冒頭「鉄の門」があらわれてから意外な幕引きまで徹底的に不穏な描写が続き、ミラーの持ち味が存分に発揮されています。そこから章題が示唆(しさ)する「狐」を狩ろうとするのは誰かを探る筋がきっちりまとめられるのですから、乱歩の絶賛にも同ずるほかありません。

 ドロシー・L・セイヤーズ『大忙しの蜜月旅行』(猪俣美江子訳 創元推理文庫 1400円+税)は、ピーター卿シリーズ最終長篇の新訳版です。今回の新訳で同シリーズの長篇がすべて創元推理文庫版で読めることになりました。


 ピーター卿の度重なるプロポーズをミステリ作家ハリエット・ヴェインがとうとう受け入れ、晴れて二人は結婚することになりました。ハネムーンにはロンドンを離れ、ハリエットの郷里近くの古い農家を買い取って、ピーター卿の従僕バンターとともにのんびり過ごす予定を立てます。ところが通称〈トールボーイズ〉と呼ばれるその家に着いてから厄介事が続き、結局二人は殺人事件に巻き込まれることになって……。

 ピーター卿とハリエットは出会ってから長い期間を経て結婚しますので、結婚式にはこれまでの作品の登場人物が再登場するなど、既刊を順に読んでいるほうが楽しめるかとは思います。ただ本書をピーター卿シリーズの入り口としてもまったく問題ないでしょう。まずは本書で軽快なジョークの応酬を楽しんでもらってから初期作に立ち返るというのが、これからセイヤーズ作品を読もうという方にはかえって向いているかもしれません。なお本書にはボーナストラックとして、夫婦に子供ができてから同地で休暇を過ごした際に、長男ブリードンが桃泥棒として疑われる小話「〈トールボーイズ〉余話」が併録されています。

 セイヤーズには夫婦のロンドンでの新婚生活を舞台とした長篇の構想があったといわれ、その構想のメモをもとにジル・ペイトン・ウォルシュが書き継いだ長篇が本国では出ています。記憶が確かならば創元推理文庫で紹介される企画が立ったこともあるはずで、機会があれば紹介されてほしいものです。ペイトン・ウォルシュはその後、完全なパスティーシュの域に至ったピーター卿シリーズの創作を続けています。