5月29日逸木裕さん『銀色の国』が刊行されます。逸木裕さんは2016年『虹を待つ彼女』で横溝正史ミステリ大賞を受賞し、デビューしたミステリ界の新鋭。「オンラインゲームと連動したドローンによる劇場型自殺事件」という衝撃の冒頭から始まるデビュー作は、人工知能という目新しい題材、先の読めないミステリとしての面白さ、存在感ある魅力的な登場人物などが相まって、ミステリ読者はもちろん、それ以外の読者にも好評をもって迎えられました。
以降、『少女は夜を綴らない』『星空の16進数』『電気じかけのクジラは歌う』と順調に作品を上梓してきた逸木さんですが、ミステリ作家としては珍しいことに、殺人事件をほとんど書いてこなかった、と語ります。
なぜか。
『銀色の国』刊行によせて、今作の成り立ちから作品にかける思いまで、大いに語っていただきました。
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ミステリ作家を自称しておりますが、これまで殺人事件というものをほとんど書いたことがありません。
殺す人の気持ちに、そこまで興味を持てないからなのかもしれません。もちろん、殺人者の心理を描いた傑作が数多存在することは言うまでもありませんし、私自身読者としてはそういったもろもろの作品に熱狂してきた体験はあります。ところが書く段になると、なぜかそこに視点が向かないのです。今後書き続けていく中で傾向が変わるかもしれませんが、私の本質が、困難に直面したときに、誰かを殺してまで事態を打開しようとする人間ではないからなのかもしれません。
では、代わりに私は何を書いてきたか。
それは、自殺でした。
『銀色の国』を最初に着想したのは、二〇一七年に〈ブルー・ホエール・チャレンジ〉という耳慣れない言葉をネットで目にしたときでした。ちょうど『虹を待つ彼女』という作品でデビューをし、二作目の執筆に苦悶していたころです。
通称〈青い鯨〉は、ロシアで流行したネット上の自殺ゲームです。登録をするとゲームマスターから「ホラー映像を見ろ」「身体を傷つけろ」といった指示が日々飛んできて、それに従っていくうちに知らぬ間に洗脳され、自殺に向かって突き進んでしまうという恐ろしいものでした。発覚したときにはすでに水面下でゲームが蔓延していて、ロシアだけでも百三十人の若者が亡くなったと言われています。
いくつかのことを思いました。
まず、段階を踏んで命令を出せば、オンライン上でのやりとりだけで人の心を操作して自殺に向かわせることができるのかという衝撃。こんなものが、自殺率が高くITの発達した日本で流行ったらどうなるのかという危惧。
そして、これを物語として書いてみたい。そういう書き手としての興味も湧きました。
私のデビュー作『虹を待つ彼女』は、とある女性が自殺をするところから幕を開けます。
二作目の『少女は夜を綴らない』、三作目の『星空の16進数』は、ともに内向的な少女が悩み、現実と折り合いをつけていくことが主眼の青春ミステリ。四作目の『電気じかけのクジラは歌う』は友人の自殺の謎をめぐる音楽ミステリです。作家になって以降一貫して、自我のゆらぎと、その延長線上にある自死というものを書いてきた意識があります。
これは私自身が、かなり自罰的で、生きづらさを抱えた人間であることと無関係ではないでしょう。周囲の人に迷惑をかけることも多いですし、ときにつらくなって果てしなく落ち込んでしまうこともあります。苦しい局面がきたとき、ある種ポジティブに、誰かを排除してまで現状を打開しようとするのか、それともネガティブに自ら破滅に向かおうとするのか。私が後者の人間だからこそ、私のミステリは「なぜ殺すのか」ではなく「なぜ自殺を選んでしまったのか」という謎をめぐるものが多いのだと、自分では考えています。
〈青い鯨〉を知って、それを小説の企画として起こしていくうちに、この題材はぜひ書いてみたい――いや、私が書くべき題材だという思いがどんどん強くなっていきました。
私は長年プログラマー業をやっていますので、普通の人よりも〈青い鯨〉の技術的なバックボーンを把握することはできるでしょう。オンライン上の洗脳は、エンターテインメントの素材としても興味深い。何より、それまで作品のエッセンスとして描いていた自殺というものを、一度物語の中心的なテーマに据えて書きたいと思っていたのです。〈青い鯨〉の物語ならば、それをするには充分です。
ただ、現実に起きた事例をそのままトレースするだけでは芸がありません。ここから私は「殺す側」の心理をなぞることになります。〈青い鯨〉を新たに作るとしたら、どんなものになるのか。どんな最新のテクノロジーを使い、どのように開発し、運用するか。どのようにすれば大勢の人を心理的に追い込むことができるのか。
『銀色の国』は自殺という、現実にある重たいテーマを取り扱った作品です。ただ、それと同時に、読みはじめたらやめられない、問答無用で面白いノンストップ・エンターテインメントを目指して書いた作品でもあります。自殺ゲームを追う者、作る者、プレイする者、仮想空間で繰り広げられる人間の交差は、疾走する物語の果てにどんな結末を迎えるのか――。
優しさと悪意に溢れる蜃気楼の中を、皆様もぜひ彷徨ってください。
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逸木さんは『銀色の国』の執筆あたり、自殺防止の最前線で働く方々に取材を重ね、現場の危機感と使命感に触れました。「死にたい」という言葉は、「生きたい」という言葉と同じ意味である……とは自殺対策の現場でよく言われるテーゼだそうです。自死へ向かう人は死の直前まで死ぬか生きるか迷っているものだ、と。
くるみをはじめ登場人物たちは、その魔の刻に〈銀色の国〉に背中を押されふっと自殺に心が傾いてしまいます。
〈銀色の国〉の存在に気がつき、生きて欲しいと懸命にもがく晃佑の手は、生と死の間で揺らぐ人々に届くのかーー。