イタリア発、21世紀の〈87分署〉シリーズ!!
個性豊かな刑事たちは急造チームを結成、ナポリの街で続発する難事件に挑む――
吉野仁 Jin Yoshino
イタリア人作家マウリツィオ・デ・ジョバンニによる警察小説シリーズの第一作『P分署捜査班 集結』の登場だ。〈P分署〉を略さずにいうと、〈ピッツォファルコーネ署〉。2013年に刊行されたこの作品はシリーズ化され、現在までのところ八作が発表されている。21世紀の〈87分署〉を意図して書かれたシリーズである。
長年の海外ミステリのファンであればご存じだろうが、〈87分署〉とは、アメリカ人作家エド・マクベインにより、1956年から2005年まで、およそ半世紀にわたって書き継がれた大河警察小説のことだ。ひとつの警察署を舞台に、多発する事件の捜査活動を丹念に追うと同時に、働く刑事たちの横顔やその人生を生き生きと描き出したシリーズである。世界中で人気を博し、警察小説のひとつの原型として確立され、そのスタイルを受け継いだ作品が数多く生まれた。スウェーデンの夫婦作家マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによる〈マルティン・ベック〉シリーズを筆頭として、影響下にある警察小説は枚挙にいとまがない。〈87分署〉は、ニューヨークをそのままモデルにしたアイソラという架空の街を舞台にしているが、Isolaとはイタリア語で島のこと。マクベイン自身、イタリア系アメリカ人だ。
その〈87分署〉スタイルによる警察小説が、ここではイタリアのナポリを舞台に展開していく。おそらく大半の日本人がイメージするのは、風光明媚な観光地としての港湾都市ナポリにちがいない。とくに世界遺産に登録された歴史地区は、大聖堂、教会、古城など、名だたる建造物がそびえたち、世界中から多くの人々が訪れている。海に面している一方で、丘へ登るケーブルカーが四線通っているなど、交通や地形の面でも興味深い。そのほかピザの発祥地であり、海の幸に恵まれていることなどあわせて、食文化も充実している街だ。まさに「ナポリを見てから死ね」である。
もちろん、多くの人たちが暮らす大都会でもある。ローマ、ミラノに次ぐイタリア第三の都市であるナポリは、南イタリアにおける政治と経済の中心地として中世から栄えてきた。現在、都市圏の人口は約300万人。とうぜん日々さまざまな犯罪や事件が起こっているだろう。また、イタリア四大犯罪組織のひとつ、カモッラがこの地を拠点に暗躍しており、ゴミ回収処理業を牛耳っていることなどで知られる。
本作に登場するピッツォファルコーネ署は、ナポリのもっとも治安の悪い地域を管轄としている分署である。警察署そのものは架空の存在だが、ナポリの旧市街には〈ピッツォファルコーネの丘〉と呼ばれる場所が実在する。ナポリ王宮の正面には、プレビシート広場を挟んでサン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂があり、その聖堂の裏手がピッツォファルコーネの丘なのだ。この分署が管轄しているのは、スペイン地区の一部から海岸通りまでだという。そこには大きく分けて四つの階層の人が暮らしている。貧困層、ホワイトカラーの中産階級、アッパーミドル、そして裕福な人たち。すなわちイタリアの都市に見られる階層社会の縮図がここに描き出されるということだ。おそらく治安の悪いスペイン地区あたりは貧しい人たちが多く、海岸通りになると富裕層が暮らす高級住宅が集まっているのだろう。
このシリーズ最大の特徴は、なによりも〈P分署捜査班〉の個性豊かな警察官たちで、いわゆるはみだし刑事が集められた形となっている。そもそもピッツォファルコーネ署の捜査班には四人の刑事がいたが、押収したコカインを横領し密売したことで逮捕されてしまい、その責任を問われて当時の署長は辞職に追い込まれ、署は閉鎖されようとしていた。だが、上層部は市内の大規模な四つの分署に要請し、新署長を招き入れたほか、捜査畑の捜査員を転任させることで分署を存続させようとした。そこで新たに着任したのが、ジュゼッペ・ロヤコーノ警部を筆頭に、フランチェスコ・ロマーノ巡査長、アレッサンドラ・ディ・ナルド巡査長補、マルコ・アラゴーナ一等巡査といった面々。それぞれに優れた警察官でありながら、みなかつて勤めていた署で問題児として知られた連中ばかりだった。さらに新署長となったルイージ・パルマに、長年、P分署に勤める古株のジョルジョ・ピザネッリ副署長と、コンピューターが得意なオッタヴィア・カラプレーゼ副巡査部長をあわせた七名が中心となって事件捜査を進めていく。
まず、ロヤコーノ警部は、『クロコダイル事件』での活躍で名をあげたものの、一方でマフィアに情報を流したという真偽不明の汚点を背負う刑事である。別居中の妻と娘がいる。あだ名が中国人【チネーゼ】なのは、普段からまったく表情を変えないため東洋人のように見える外見からきたものだ(容姿は〈87分署〉シリーズのキャレラ刑事を彷彿【ほうふつ】させる)。陰でハルクとあだ名されるロマーノ巡査長は、ひとたび激昂すると自制心を失い、暴力沙汰を起こすことが何度もあって問題視されていた。ディ・ナルド巡査長補は、無口で大人しい女性だが銃器を好み、射撃試験では最高点をたたき出すほどの腕前だ。しかし、前任の分署内で自分の銃を発砲し、騒ぎになった過去がある。アラゴーナ一等巡査は、かっこうつけた若造で車の運転が荒っぽいスピード狂、人工日焼けの肌を見せつけ、いつもサングラスをかけたりはずしたりしている。彼らは〈ピッツォファルコーネ署のろくでなし刑事〉たちと呼ばれることになる。
章ごとに視点人物は移り変わり、事件の捜査模様だけではなく、刑事それぞれの個人的な生活や悩みが次第に浮き彫りになっていく。そのうちシリーズの中心となっているのは、ロヤコーノ警部である。じつは本作のまえに発表されたIl metodo del coccodrillo(英題:The Crocodile)で初登場。作中で何度か語られる『クロコダイル事件』の物語だ。つまり本作『集結』は〈P分署捜査班〉シリーズとしては第一作だが、〈ロヤコーノ警部〉シリーズとしてみると第二作と数えることができる。Il metodo del coccodrilloは、ロヤコーノがP分署に赴任する以前の物語で、本作と共通する登場人物はロヤコーノのほかにラウラ・ピラース検事補とパルマ署長のみなので、いわば〈P分署捜査班〉シリーズにとって前日譚のような作品なのだ。
さて、問題児ばかりが集まった〈P分署捜査班〉が扱う最初の大きな事件は、公証人の妻殺しである。海岸通りにある超高級住宅街に住んでいた女性が遺体となって発見された。第一発見者はお手伝いで、殺人に使われた凶器は彼女が趣味で大量に集めていたスノードームのひとつだった。ロヤコーノ警部たちは、さっそく夫であるフェスタに伝えるため公証人事務所へ向かったが、そのとき本人はおらず連絡がとれなかった。カプリで行われた会合のため出張していたのだ。やがてフェスタが現れた。妻が殺された事件のことを伝えると、じつは行き先に関して嘘をついていたと告白する……。
異様な凶器、不審な夫婦関係など、捜査当初から事件の怪しげな面が現れてくる。そもそも本作は第一章の書き出しから風変わりだ。正体不明の人物から「あなた」にむけた詩的な告白であり、とても謎めいている内容である。ほかにも、自宅の窓から向かいの家を観察するのが趣味の老女による通報の場面をはじめ、さまざまな視点から語られていくのも本作の特徴といっていい。一連の警察捜査の行方を追いながら、都市に暮らす人たちのさまざまな問題――老い、孤独、自殺、格差、貧困といった負の側面が浮き彫りになっていくのだ。
また、スノードームという飾り物を物語のテーマとしているのも本作の興味深いところである。とてもロマンチックな要素が感じられる飾り物が凶器になることで、事件に独特な色合いが生まれる。「イタリアは愛と情熱の国」というのも単なる型どおりのイメージかもしれないが、このイタリア人による警察小説の背後には、独特の感性や歪んだ情熱が潜んでいるように思う。英米仏の作品とは趣の異なる感覚だ。もしかするとシリーズを追うごとにこうした特徴が明らかになっていくかもしれない。
作者のマウリツィオ・デ・ジョバンニは、1958年にナポリで生まれた。ナポリ銀行で副支店長まで務めた銀行員だったが、2005年に、ある文学コンテストで優勝したことがきかっけで作家となり、2006年Le lacrime del pagliaccio(別題:Il senso del dolore)で本格的にデビューを果たした。〈リチャルディ警視〉シリーズの第一作だ。これは、ムッソリーニ首相による独裁政治の時代、30年代初頭のナポリを舞台に、ナポリ王立警察本部の刑事リチャルディを主人公にしたものである。このシリーズは、現在まで十二作発表されている。その後、2012年に、現代ものの警察小説Il metodo del coccodrilloを発表し、この作品で同年ジョルジョ・シェルバネンコ賞を受賞している。シェルバネンコは1940年代から60年代にかけて活躍したイタリアを代表するミステリ作家である。そして2013年に本作を発表し、〈P分署捜査班〉シリーズを書き続けている。なお、〈P分署捜査班〉シリーズは2017年にイタリアのテレビ局Rai 1で連続ドラマ化され、今年2020年はシーズン3が制作中だ。
これまで現代イタリアのミステリが日本で紹介されることは少なかったが、近年はサンドローネ・ダツィエーリ『パードレはそこにいる』にはじまる三部作、もしくはロッコ・スキャヴォーネ副警察長を主人公にしたアントニオ・マンジーニ『汚れた雪』など、邦訳が続いている。本作も含めたこれらの作品は、英語やフランス語などにも訳され、世界中へ紹介されているようだ。まだ数は少ないが、一連の現代イタリア・ミステリを読むと、本作を含め、強烈な個性を放つ型破りな刑事が登場する作品が目立つ。そしてみな欠点や悩みを抱えた人間臭い連中ばかりだ。また、殺人事件の向こう側に横たわる複雑な人間模様、とくに愛憎劇の深さを感じさせられるのも共通するところなのかもしれない。
すでにシリーズの第二作、Buio(英題:Darkness)の邦訳も決まっているという。この先、〈P分署捜査班〉シリーズがいかなる変化を遂げていくのか、ろくでなし刑事たちがどのような事件を追い、彼らの人生がどうなっていくのか、愉しみにしたい。
■吉野仁(よしの・じん)
書評家。1958年生まれ。