ミステリ作家の太田忠司先生から不定期で頂戴している、ももクロのメンバーを題材にしたエッセイ。今回お届けする第5弾は〈玉井詩織編〉です。メンバー個々を取りあげたエッセイもついにラスト、最後を飾るのは自らの「推し」についての文章です。どうぞご一読ください。(編集部M)

【バックナンバー】
「高城れにの慈愛は衆生を救う」(2019年11月)


「僕は玉井詩織がわからない」
太田忠司   

「I Don't Know How to Love Him」はイエス・キリストの生涯を描いたミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)」の中の一曲だ。マグダラのマリアがイエスへの思慕に悩み戸惑うシーンで歌われるもので、イエスを救世主ではなくひとりの男性として愛してしまうことに苦しみ、自分の感情を抑えられない苦しさを吐露する、哀切なラブ・バラードである。
 この曲には邦題がある。
「私はイエスがわからない」
 歌詞にイエスの名は一切出てこないし「イエスとは意見が合わない」と言っているみたいな印象を与えるしで、この邦題、あまり評判はよろしくない。だが僕は、ここにマリアの深い苦悩を感じる。「イエスがわからない」とはつまり「そういう自分がわからない」ということなのだ。

 玉井詩織【註1】について考えるとき、いつも僕はこの曲を思い出す。そして心の中で呟く。
 僕は玉井詩織がわからない。

 そもそも、僕は自分がどうして玉井詩織を推し(グループ内で一番好きなメンバー)と認識したのか、わからない。
 顔? 声? スタイル? 全然違う。今はそのどれも尊いと思うが、きっかけはそれではない、と思う。
 もともと僕はアイドルというものに興味はなかった。同世代である花の中三トリオ(山口百恵、桜田淳子、森昌子)から天地真理、ピンク・レディー、キャンディーズ、松田聖子に至る女性アイドルをデビューからテレビで観ていながら、誰ひとりとして琴線に触れることがなかった。自分にはアイドルの受容体がないのだと思っていた(今でも思っている)。
 なのになぜ、ももクロ【註2】だけに反応したのか。そしてその中でもなぜ、推しが玉井詩織だったのか。
 きっかけを語ることはできる。2013年、たまたま眼にした「ももクロ春の一大事2012 ~横浜アリーナ まさかの2DAYS~」【註3】の映像で自分が思っているアイドルとはまったく違う姿――360度観客に囲まれ他には誰もいない円形ステージでメンバーのみが汗だくになって歌い踊る――を目の前にして、文字どおり雷に撃たれるような衝撃を受けた。それ以来CDを買いYouTubeで映像を追いかけ雑誌を買い、自分が受けた衝撃の理由を探ろうとした。
 そしてついに生で彼女たちを観ることになる。2014年3月16日、「ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会 ~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~」【註4】の二日目。文字どおり彼女たちが頂点に立った瞬間を眼にしたのだ。
 そのときのことを語ろうとすると今でも冷静ではいられなくなるし、ここで考究しようと思っていることとは少しずれてしまうので割愛するが、国立競技場に集まった55000人の観客のひとりとしてあの場所にいることができた幸福は、終生忘れない。
 それはそれとして、玉井詩織のことだ。
 そのときはまだ特定のメンバーに肩入れするという感覚もよくわかっていなかった。ももクロそのものがすごいんだから、誰かひとりを偏って好きになることって正しいのか、くらいに思っていた。でも推しを決めたほうがファン活動は楽しくなると先輩ファンに言われ、決められたら決めようかな、くらいの軽い気持ちでいた。
 あの日、生で彼女を眼にするまでは。

 あの日の気持ちを、ライブの翌日Twitterに書き込んだ僕自身のツイートから引用してみる。


 説明しておくと、ももクロは各メンバーにイメージカラーがある。百田夏菜子【註5】は赤、佐々木彩夏【註6】はピンク、高城れに【註7】は紫、そして玉井詩織は黄色だ。


 このゴーストというのは『攻殻機動隊』【註8】に登場する概念で、言い換えるなら「心の声」だ。
 今でもあのときのことを覚えている。僕は自分のゴーストの囁きを、たしかに聞いた。一瞬、戸惑った。玉井詩織のキャッチフレーズは当時「みんなの妹」というものだった。デビュー当時ほど幼くはないものの、かなり子供子供したイメージだったのだ。だから正直あまり印象は強くなかった。なのにライブで歌い踊っている彼女を見て、どうしようもなく惹きつけられた。
 僕はTwitterに続けてツイートしている。


 いろいろ言い訳をしているが、根本の「なぜ玉井詩織なのか」については書いていないし、書けなかった。ただ「輝いて見える」という、それだけなのだ。その理由はわからないまま、今に至っている。

 晴れて推し宣言したものの、彼女のことを「これは一筋縄ではいかないな」と最初に思ったのは、2014年に発売された雑誌「Quick Japan vol.114」【註9】の玉井詩織特集を読んだときだった。
 当時の「Quick Japan」は幾度か、ももいろクローバーZを採り上げていて、特にその頃はメンバーひとりひとりに焦点を当てた特集を組んでいた。ももクロのファンになって間もない僕は、この雑誌で彼女たちの人となりを教えてもらうことができた。
 しかしこの玉井詩織特集号では、それが叶わなかった。全部精読しても、彼女のことがよくわからなかったからだ。
 僕の読解力が乏しいからではないと思う。たとえばインタビューで、読者から「玉井詩織の謎を解明してください」という声が寄せられているという言葉に、
「私のことがわからないってこと? うーん、わからないと思うよ。だって、自分でも自分のことがわからないんだから」
 と言い、自分はアイドルに向いていると思うかと尋ねられると、
「もうそういうこと自体、考えたことないですもん」
 と答えている。最初ははぐらかしているのかと思ったが、どうやら本当に「わからない。考えたことない」らしい。これまで「あれが辛かった」みたいなことはなかったか、という問いにも、長く沈黙した後、
「……全然わかんない。なんで、こんなに出てこないのかな……」
 としか答えられない。
 この特集を担当したライターの小島和宏【註10】も、
「まっすぐな一本道を歩いているはずなのに、出口のない迷宮を徘徊しているような不思議な感覚。それが『玉井詩織について考える』ということなのだろう」と述懐している。
 このインタビューを読んでいて、もしかしたらこの子には内面というものがないのだろうかと疑ったりもした。でも、そういうことでもないらしい。
「私も失敗したときには『あー』って思うんだけど、私の場合、そこでリセットされるんですよね。そこからの延長線みたいなのが、あんまりないかもしれない」
「私はその場の“ひらめき”で考えちゃう」

 これらの言葉からすると、玉井詩織は常に「今」に存在しているのかもしれない。過去を引きずらず、その場の状況で判断し行動する。刹那主義、というのとも違う。その一瞬に自分を集中させるのだ。
 まるで、アスリートのようだ。陸上競技のような個人で記録に挑むようなものではなく、サッカーやテニスのように対戦相手がいて、瞬時に状況判断をした上で次の一手に集中するプレイヤーだ。
 でも、だとしたら、玉井詩織は誰と対戦しているのだろう?

 同じインタビューの中で、かつての自分はかなり自己主張が強かったと語っている。
「小学校のときなんて、もう自己主張ハンパなかったですよ」
「クラスの学級委員やりたいとか」

 それがももクロに加入したことで変わったかという問いに、
「たしかにそうかもしれない。チームワークを考えたんだな、たぶん。まぁ、それでいいと思う。自己主張が強かったところで、あんまりいいことないなって感じるから」
 と、答えている。
「チーム」という言葉が印象的だと思った。
 同じ号で他のメンバーに玉井詩織のことを訊く、というインタビューが載っているのだが、そこで有安杏果【註11】が、
「『本当にももクロが好きなんだな』というのは、すごく感じます」
 と、語っているのが心に残った。
 それと2014年3月の国立競技場におけるライブの最後の挨拶【註12】で玉井詩織自身が語っている、
「女性アイドルで、何十年っていう、ずっと、何十年も続いてるグループって見たことないじゃないですか。その道のりは険しいかもしれないけど、こうやってみんなで見えない道を作って、モノノフ【註13】さんと私たちで新しい道を作って、ずーっと、ももクロを存在させ続けましょう!」
 という言葉を思い返してみると、わかってくるものがある。
 玉井詩織は、ももクロというチームのために戦っているのだ。ずっとももクロでいるために、戦っている。対戦相手などいない。でもチームの勝利のために今そのときに集中している。
 あえて言うなら、彼女の戦っている相手は自分をももクロでなくさせてしまうものすべてだ。それは内にも外にも存在する。何よりも自分自身がももクロ存続の弱点になるかもしれない。そうならないために彼女は努力する。しかし集中するがゆえに、その努力の跡さえ自分では意識できない。
 自分がエースプレイヤーである必要もない。エースなら百田夏菜子がいる。常に先頭を走り、周囲の者たちの「運命」を変えるほどの光をもたらす存在だ。
 アイドルとしてなら佐々木彩夏がいる。華麗な「圧」で世界を制覇できる。
 親しみやすさなら高城れにがいる。その「慈愛」は人々の心に沁み入る。
 玉井詩織はいつも、そんな三人の傍らにいる。絶妙なパスで彼女たちを輝かせる。
 人は、玉井詩織のことを「スーパーサブ」と呼ぶ。それこそが、彼女の求めているポジションなのだろう。

 以前、ももクロのライブ後の感想戦――ライブの感想を肴に飲む会で、親しいももクロのファンに自分の懸念を話したことがある。
「玉井さんって、ももクロに依存しすぎてませんかね?」
 彼女の行動がすべてももクロ中心になっているような気がしていたからこその言葉だったのが、そのひとも同じように感じていたと知った。
 2008年に12歳でももクロに加入して以来現在まで、彼女はももクロの玉井詩織として存在してきた。この先もももクロとして存在し続けようとしている。でも、それで大丈夫なのだろうか。そんな不安がふと過(よぎ)る。
 その不安を2018年の有安杏果ももクロ卒業という出来事に直面したとき、特に強く感じた。もしもこの先ももクロが存在できなくなったら、彼女はどうするだろう、と。
 でも、そんな「余計なお世話」など、まったく無用なのかもしれない。たとえば2017年に出版された「玉井詩織 Birthday BOOK 22」【註14】に収録されているインタビューで、彼女はこんなことを言っている。
「ダメだったときは、そのときに考えるぐらいが性に合ってるかな。まぁ、道を外れたら外れたで、それはそれで楽しめちゃうタイプなんだけど(笑)」
 もしももクロが存在できなくなるような事態となったら、玉井詩織は基盤を失う。でもそれは「芸能界における基盤」でしかない。彼女はあっさりとこの業界を去り、別の道を歩きだすだろう。これまでどおり、一点一点に集中しながら。

 と、ここまで書いてみても、これが本当に玉井詩織のことなのかどうか、確信は持てない。本人に「えー、全然違うよ」と言われるかもしれない(面と向かってそう言われる機会があったら、それこそ天国なんだろうけど)。
 僕はやっぱり、玉井詩織のことがわからないままなのだ。

 ところで、先程引用した当時のツイートの最後に、僕はこんなことを書いていた。


 今、僕の箪笥の引き出しのひとつは黄色いTシャツで埋めつくされている。キャップもタオルもスーツケースも、真っ黄色だ。
 人は変わるのだ。




【註釈】※文責:東京創元社編集部M

【註1】玉井詩織:たまい・しおり。1995年生まれ。ももいろクローバー結成時からのオリジナルメンバー。メンバーカラーは黄色。楽器演奏やトーク司会なども見事にこなすオールラウンダーにして、加山雄三じきじきにお墨つきをもらった「ももクロの若大将」。
【註2】ももクロ:ももくろ。4人組女性アイドルグループ、ももいろクローバーZの通称。2008年5月「ももいろクローバー」として結成、2010年メジャーデビュー。2012年に紅白歌合戦初出場、2014年には女性グループ初となる旧・国立競技場でのライブを実現するなど、数々の記録と記憶に残る活動をしてきた。2020年は2月に横浜アリーナで恒例のバレンタインライブ2daysを成功させた以降は、新型コロナウィルスの影響でライブ活動の自粛・延期を余儀なくされている。直近では元メンバーで女優の早見あかりとの10年ぶりの共演が話題となった。8月に夏の大箱ライブ「ももクロ夏のバカ騒ぎ2020」を埼玉メットライフドームで開催予定。
【註3】「ももクロ春の一大事2012 ~横浜アリーナ まさかの2DAYS~」:2012年4月21日と22日に横浜アリーナで初めて開催された単独ライブ。内容は一日目と二日目でまったく異なり、360度円形ステージを用いたのは二日目の「見渡せば大パノラマ地獄」公演。
【註4】「ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会 ~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~」:2014年3月15日と16日に旧・国立競技場でおこなわれた単独ライブ。 前述のとおり女性グループ史上初となる国立競技場公演で、二日間で合計11万人を動員した。
【註5】百田夏菜子:ももた・かなこ。1994年生まれ。ももクロ結成時からのオリジナルメンバーで現リーダー(二代目)。メンバーカラーは赤。感動エピソードにもポンコツエピソードにも事欠かない愛されキャラ。ももクロでは不動のセンターとして大活躍するほか、ソロで俳優や声優としての仕事も多い。2020年秋公開予定のアニメ映画『魔女見習いをさがして』では初の主演声優を務める。
【註6】佐々木彩夏:ささき・あやか。1996年生まれ。2008年11月にももクロへ加入。メンバーカラーはピンク。愛称は「あーりん」「あーちゃん」。ファンから「佐々木プロ」と称されるほどアイドル活動に対する意識が高く、アイドルとしての圧も強い。近年はライブ演出や曲選びにも積極的で、その結晶ともいえるのが2016年から開催しているソロコンサート「AYAKA NATION(アヤカネーション)」である。
【註7】高城れに:たかぎ・れに。1993年生まれ。ももクロ結成時からのオリジナルメンバーで初代リーダー。メンバーカラーは紫色。愛称は「れにちゃん」「高さん」など。グループ1のいじられキャラだが、ももクロに関する思い入れと、ファン想いであることにかけては誰にも負けない慈愛の象徴。メンバーで初めてソロコンサートを2015年3月におこない、以後毎年3月に定期開催している。
【註8】『攻殻機動隊』:こうかくきどうたい。士郎正宗のマンガ、およびそれを原作とした一連のアニメ、実写作品。各作品はさまざまな設定が微妙に異なるが、「ゴースト」の概念はどの作品でもほぼ共通したものが登場する。最新作となるアニメ「攻殻機動隊SAC_2045」が2020年4月から定額動画配信サイトNetflixで配信中。
【註9】Quick Japan:くいっく・じゃぱん。太田出版より発行されている雑誌。隔月刊。活動初期からももクロに着目していたメディアのひとつで、2011年に初めて表紙&巻頭特集に起用して以降、何回も特集を組んでいる。玉井詩織が表紙&巻頭特集のvol.114は2014年6月発売号。
【註10】小島和宏:こじま・かずひろ。1968年生まれ。雑誌〈週刊プロレス〉で名物記者として活躍後、フリーライターに転身。2010年頃からアイドル記事・評論を執筆するようになり、〈Quick Japan〉や〈BUBKA〉などの雑誌媒体で積極的にももクロを取りあげたことをきっかけに、現在では公式レポート記者やインタビュアーを担当している。
【註11】有安杏果:ありやす・ももか。1995年生まれ。2009年7月にももクロへ加入、2018年1月に卒業。歌・ダンスにおけるストイックさと高い技倆でグループのパフォーマンス面をひっぱった「小さな巨人」。在籍時のメンバーカラーは緑色。現在はソロアーティストとして活動中。
【註12】最後の挨拶:ライブ二日目の最後、旧・国立競技場の聖火台にて当時のメンバー5人がひとりずつ語ったもの。「笑顔の天下」の名言が飛び出した百田夏菜子を筆頭に、ももクロ史上に残る名MCとして知られる。〈Quick Japan〉同様ももクロに活動初期から注目してきた音楽情報サイト「音楽ナタリー」のレポートに書き起こしの全文が掲載されている。
https://natalie.mu/music/news/112182
【註13】モノノフ:もののふ。ももクロのファンの公称。漢字で書くと「武士」。
【註14】『玉井詩織 Birthday BOOK 22』:たまいしおり ばーすでーぶっく とぅえんてぃつー。2017年に22歳の誕生日を祝して出版されたソロ写真集。この年は生誕グッズのひとつとして、当時のメンバー5人それぞれ一冊バースデーブックが刊行された。発行元はHUSTLE PRESS。




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太田忠司(おおた・ただし) 1959年愛知県生まれ。名古屋工業大学卒業。81年、「帰郷」が「星新一ショートショート・コンテスト」で優秀作に選ばれる。『僕の殺人』に始まる〈殺人三部作〉などで新本格の旗手として活躍。2004年発表の『黄金蝶ひとり』で第21回うつのみやこども賞受賞。〈少年探偵・狩野俊介〉〈探偵・藤森涼子〉〈ミステリなふたり〉など多くのシリーズ作品のほか、『奇談蒐集家』『星町の物語』『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』など多数の著作がある。 東京創元社での最新刊は『ミステリなふたり あなたにお茶と音楽を』(文庫版)。6月には続けて『遺品博物館』を刊行する。