2012年3月15日、ぼくは会社からの指示で、ある講習会に参加していた。その午後の講義の途中、まったく唐突にミステリの筋を思いついた。学生時代ミステリにのめり込み、何本かの短編を公募の賞に投稿したこともあったが、作家になる夢はとうに諦(あきら)めていたはずだった。それなのに、帰宅したその夜からパソコンに向かって小説を書きはじめ、2週間後、書きあげた短編を、第9回のミステリーズ!新人賞に応募した。その作品は、最終選考には残らなかった。しかし、ひとつ手前の3次選考まで進んだことで、もう一度挑戦する気になった。
当時ぼくは岩手県に住んでおり、2011年に起きた震災と原発事故後の混沌とした状況に疲れていた。震災からおよそ1年が過ぎたその日に、ぼくが突然ミステリを書こうと思ったのは、失われてしまった日常を、過去から手繰(たぐ)り寄せてとり戻そうとする抵抗の試みであり、過去からとり寄せた種を、未来に向けて蒔(ま)いておく試みだったのかもしれない。
翌年、幸運にも第10回のミステリーズ!新人賞を受賞したという報(しら)せを、ぼくは会社をやめて引っ越してきたばかりの北海道で受けた。
選評で指摘されたように、応募作の雰囲気は、愛してやまない泡坂妻夫(あわさかつまお)の亜愛一郎(ああいいちろう)を意識した。質の悪い物真似と判定されれば大きな減点だが、とぼけたセリフの応酬に真相への伏線を上手(うま)く配置することができれば、雰囲気自体がひとつのトリックとなって、ちょっとした意外性を与えられるかもしれないと考えた。当時のぼくは、ふざけた文章を書くことに自信があったのだ。
自分にとってのど真ん中に投げた球は、見逃されることなくきれいに打ち返されてスタンドに飛び込み、いまこうして、あとがきを書く機会を与えられている。
もう20年も前になるだろうか、山手線の車内で、泡坂さんにお会いしたことがある。車内は空(す)いていたが、ぼくはドアの近くに立っていた。ある駅で、反対側のドアから泡坂さんが乗り込んできて、シートの端に腰掛けた。ぼくは数駅分の逡巡(しゅんじゅん)ののち、近づいて握手を求めた。泡坂さんは快く応じてくださり、何事かと訝(いぶか)しんでいる隣席の若い女性に、「売れない作家をやっていましてね」と、照れくさそうに説明した。
おそらく泡坂さんは、少しお酒を飲んでいて、ぼくのほうに向きなおると、笑顔でペンを動かす仕草をみせた。(サインをしましょうか?)と、訊いてくれているのだ。しかしぼくは、紙もペンももっていなかった。そう告げると、泡坂さんは、自分からサインを申しでたことに大いに恥じ入った様子で、身を小さくしてしまった。
すると、このやりとりを聞いていた隣席の女性が、「これならありますけど……」といって、メモ帳とペンをさしだしてくれた。それはまさしく救いの瞬間だった。そうして「泡坂妻夫」のサインは、『セサミストリート』の陽気なイラスト入りメモ用紙に、赤色のインクで記された。
本連作で探偵役をつとめるエリ沢泉(えりさわせん)は、推理の場面で熱弁をふるったあと、そのことを急に恥じ入ることがある。そんなエリ沢を描くとき、ぼくのイメージに在ったのは、亜愛一郎というよりも、あの日の泡坂さんの、含羞(がんしゅう)の表情だったかもしれない。
(※「エリ」は「魚」偏に「入」)