翻訳小説ファンには
ちょっと注目して欲しい作品だ。
チャーリー・ジェーン・アンダーズ『空のあらゆる鳥を』解説

渡邊利道
 Toshimichi WATANABE


空のあらゆる鳥を

 本書は、アメリカの作家チャーリー・ジェーン・アンダーズCharlie Jane Andersの長編小説All the Birds in the Skyの全訳である。二〇一六年にTor Books から刊行され、翌年、ネビュラ賞長編部門、ローカス賞ファンタジー長編部門、クロフォード賞を受賞。ヒューゴー賞長編部門でもファイナリストとなり、またタイム誌の“Top 10 Novels” で五位に挙げられるなどジャンルを超えても高い評価を受けた。ちなみに一位はコルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』で、十位にはジョナサン・サフラン・フォアの『ヒア・アイ・アム』がランクインしているようなベストテンであり、翻訳小説ファンにはちょっと注目して欲しい作品だ。
 物語は現代か、あるいはちょっとだけ先の未来。動物の言葉がわかる小さな魔法使いパトリシアと、ネットで見つけた回路図からタイムマシンを作ってMITの若き科学者たちにその才能を認められたロレンスは、ボストン近郊のしけた中学校で出会う。特別気が合ったというわけではなく(何しろ魔法使いと天才科学者の卵なのだ)、二人とも周囲から孤立し、ひどいいじめに遭っていて、互いに他に心を許せる相手がいなかったからだ。しかし二人が将来世界を滅亡させるという啓示を受けた暗殺者によって、二人の仲は引き裂かれてしまう。それから十年後、魔法学校で訓練を受け一人前の魔法使いになったパトリシアは、環境破壊で疲弊した地球を飛び立って人類(の叡知)を救うためのプロジェクトを推進する「神童」になったロレンスと再会する。魔法使いたちは人間よりも自然を重んじ、みずからの力を過信しないように、増長しないように強く戒めている。正反対の集団の中で、二人は特別な才能の持ち主として注目されているが、二人とも本当にはその集団の信念に賛同し切れていない。やがて破滅的な天災に襲われ、魔法使いと科学者たちは全面対決に向かっていく……というもの。

 本作はかなりストレートな寓話的物語で、個人的なものと社会的なものの二つのテーマがくっきり印象的に描かれている。
 まず個人的なものは集団の中での違和感と孤立である。パトリシアもロレンスも、子供の頃はその才能のゆえに、家庭や学校で無理解にさらされ、激しい懲罰やいじめに遭う。小説なので二人の才能は本物であり、ファンタスティックでそれだけに二人がさらされる暴力は悲劇的な色彩を帯びるのだが、こういう「自分は他の人々とは違っているのではないか」という少々いやらしい自意識や、ごくささやかなきっかけで周囲から仲間外れにされ、残酷に痛めつけられたり、また自分の気持ちを訴えてもまったく大人たちにとり合ってもらえない絶望は、多かれ少なかれ誰しも経験があるだろう。パトリシアとロレンスの場合、それがトラウマとなって、大人になり才能が開花した後でもなお、自分は周囲の人々とうまくやっていけていないのではないかという不安に苦しんでいる。そんな二人の心理や行動の不器用さにはユーモアさえ漂っているものの、いつ心理的に破綻してしまうかとハラハラさせられる。それでも、ひどい失敗のあと、自分の弱さを克服して強くなるのではなく、自分自身の弱さとあやまちを認め、他者と手を取り合って立ち直ろうとする姿は勇気を与えてくれるものだ。また、その二人の周囲にいる、子供の頃からパトリシアに意地悪する姉や、ロレンスの才能を認め何くれとなく世話を焼くロケット科学者のイゾベルといった登場人物たちには、よりリアルで複雑な悲しみや疲労といった感情が読み取れるようになっていて、小説に陰影のある深みを作り出している。
 また人間ではないが、ロレンスが基礎を作ってパトリシアが会話によって「育てる」人工知能のペレグリン(CH@NG3M3)には、より大きな未来の可能性がかけられていて、エピグラフにある人間・自然・機械による進化のゲームという大きなヴィジョンを見せてくれる。余談だが、筆者はペレグリンの描写を読みながら、楳図かずおの傑作『わたしは真悟』を強く想起した。
 次いで、社会的なテーマは地球環境問題をめぐる深刻な対立と断絶である。
 地球温暖化に伴う自然災害が人類に破局的な運命をもたらすのではないかという予測は、すでに数十年前からひろく知られ、問題として認識されている。
 二〇一九年にニューヨークの国連気候変動サミットに出席し、「大絶滅を前にしているというのに、あなたたちはお金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり」と激しい口調で大人たちを糾弾したスウェーデンの当時十六歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリは、この問題が、想像以上に大きな断絶を生み出していることを示した。グレタは、いわば前の世代からこの壊れかけの世界を手渡されようとしているものの代表として、「私はあなたたちを絶対に許さない」と言ったのだが、それに対して多くの大人たちが嘲笑やヒステリックな罵倒で応えたことは記憶に新しい。日本では、二〇一一年の東日本大震災の際に起こった福島第一原子力発電所の事故をきっかけにして、原発推進派と反対派の対立が続いている。いまのところ原子力発電の代用となるのは火力発電しかないのだが、地球温暖化を考慮すれば、CO2削減の観点から原子力発電の方がよりベターであるというジレンマがある。さらには電力会社や政府関係機関が検査データの改竄や事故の隠蔽を繰り返しているという指摘もあって、「科学的」であることの信頼性が著しく低下している。まさに「お金のために噓ばかりついている」と多くの人が考えており、また一方ではそういう批判を「非科学的だ」と一蹴したり、その不安を嘲笑したりする人々がいる。
 本作では、魔法使いたちは人間(およびその文明)よりも自然の方が重要と考え、科学者たちは人間の持つ高度な文化を守るためであれば地球を破壊しても構わないし、そのために何十億の人々が犠牲になってもよいと主張する。両方の陣営が、互いを問答無用の敵とみなし、地球の危機が差し迫っているのでやむを得ないと相手方の殲滅を図る。
 物語では、この対立と断絶は、いかにも小説らしく思ってもみない方向から明るい未来が兆す展開となるのだが、しかし、現実の未来がそのような明るいものになるのかというと、やや暗澹たる気持ちにならないではない。ともあれ、本作は現状を一つの構図の中でイメージしやすくしてくれる物語であり、また人間の文明が持ちうる未来の方向性について思索をめぐらすきっかけとなるだろう。
 また、物語の社会的構図は非常に単純化されたものだが、作品そのものの表現はとても繊細かつカラフルでポップなもので、ファッションや音楽、食べ物などの固有名詞がちりばめられ、深い森の奥で開かれる鳥の会議から退廃した大都市の華やかなパーティ、北極の大氷原までさまざまな情景が、生き生きと描き出されている。土や空気の匂い、アスファルトや家の中の家具やベッドのシーツの匂いが鼻腔をくすぐり、恋人たちが抱き合う体温が伝わってくるような親密さがあり、すいすい進む物語の間でたまに立ち止まってゆっくり世界を味わいながら楽しんで欲しい。

 最後に作者について。チャーリー・ジェーン・アンダーズはコネチカット生まれ。同州マンスフィールドで育ち、英国ケンブリッジ大学で英文学とアジア文学を学び、香港やボストンで暮らしたのち現在はサンフランシスコ在住。幼少期に学習障害のある人や学校でうまくやっていけない人のための改善プログラムを受けたことが自分を作家にしたと語っている。トランス女性であり、第一長編のChoirBoyは、性的少数者(LGBT)を題材にした優れた作品を対象とするラムダ賞を受賞。SF・ファンタジーでは一九九九年から短編を多く発表。二〇一一年の“Six Months, Three Days”でヒューゴー賞中編部門を、一七年の“Don’t Press Charges and I Won’t Sue”はシオドア・スタージョン記念賞を受賞した。本作以外のSF・ファンタジーの長編には一九年のThe City in the Middle of the Nightがある。他にもエッセイ集やノンフィクションなど多くの著作がある。私生活でのパートナーである作家、アナリー・ニューイッツと、〇二年から「新しい追放者のためのポップカルチャーと政治」と銘打った雑誌OTHERを共同で創刊。〇八年にはやはりニューイッツとサイエンス・カルチャー・ウェブサイトio9を創設。さらに一八年から同じく二人でポッドキャストOur Opinions Are Correctをはじめ、翌年のヒューゴー賞ファンキャスト部門を受賞した。他にもさまざまなイベント主催者として知られ、〇一年からサンフランシスコではじまったジャンルオーヴァーの文学イベント“Writers with Drinks”は、〇九年のEmperor Norton Awardを受賞している。
 ホームページアドレスはhttps://www.cityinthemiddleofthe night.com、ツイッターアカウントは@charliejane



【編集部付記:本稿はチャーリー・ジェーン・アンダーズ『空のあらゆる鳥を』(創元海外SF叢書)解説の転載です。】



■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。