「幻想」とは、なんらかの怪奇な出来事の本性について、読者(主要作中人物と同一化している読者)が抱く「ためらい」に由来するものである。このためらいは、当の出来事を現実界に属するものと認めるか、想像力の結実ないし幻覚の所産とみなすか、いずれかに決することができれば解消する。言いかえれば、出来事が実在か否かを断定できれば、幻想が終わるということである。――ヤン・ポトツキ『幻想文学論序説』(三好郁朗訳 創元ライブラリ)より
フランス帰りの青年作家、宗像冬樹(むなかたふゆき)。
宗像は後に《天啓》シリーズに登場することになるのですが、本作では、デビュー作『昏い天使』で新人賞を受賞し一躍有名になってから二年後という設定です。次作としてタイトルを挙げて自ら予告したにもかかわらず、第二作『黄昏の館』を書けずに酒浸りになっている、そんな状況にある作家として描かれています。
〈黄昏の館〉というのは、幼い頃のあるひと夏を、彼が母親と過ごしたことのある洋館のことで、山奥の森の中にあった豪壮な石造りのその洋館で、夢のようなこの世ならぬ時を過ごしたということと、「オニコベノゴウ」という謎めいた地名だけがおぼろげな記憶として残っているだけなのです。
実は、その夏が終わり横浜の家に帰宅すると、母はそこでのことはすべて忘れるようにと彼に厳命したのでした。
彼の才能を信じる担当編集者は、書きあぐねる作家に、謎の洋館を探し出し訪ねてみるよう勧めます。その館はどこにあり、そこで何があったのか?
編集者に送り出された宗像は、東北の山奥でついに、その西洋館を探し出し辿り着いたのですが……。
彼はその館でいったい何を見出すのでしょうか?
豪華な階段の踊り場に置かれた、肩に梟(ふくろう)がとまったアテナの像、テニエルの挿絵入りの革装の『不思議の国のアリス』初版本、大人びた表情の赤い服の少女、壁に飾られたルネッサンス様式の肖像画……。きれぎれの記憶がよみがえり始めます。
義経伝説、巨石文明、ケルト文明などに熱中するあまり、オカルティックな世界に取り憑かれた人間たちの姿も浮かび上がり、物語は幻想味を色濃く漂わせるようになります。
同時に、物語は、フランス時代の宗像のことも描き出します。パリで出会った謎の女ジュリエット、不良少女として出会い、恋に落ち、同棲したらしいのですが、定かではありません。彼は精神を病み、錯乱し、ブルターニュの病院に収容されてしまったという過去があったのです。そしてその病院で、日本人の医師から治療のために小説を書くことを勧められたのでした。
なにしろ、知性派、理論派として知られる笠井先生の作品ですし、ホラー・ミステリと言われることも多い本書ですが、私はこれは見事な幻想小説として皆様にお届けしたいのです。
幻想小説のファンでも、今まで本書をお読みになっていない方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? そんな皆様にお薦めします。
この傑作を読み逃していてはもったいないのです。是非、これを機会に、謎の洋館を訪れてみてください。
魅力的なカバーを描いて下さったのは建石修志さん、カバーデザインは柳川貴代さん+Fragmentです。