探偵小説の研究家としての側面も持つ江戸川乱歩は、本格探偵小説の新たな方向性を探す中で、アメリカの批評家ジェームズ・サンドゥーの評論に記されたマーガレット・ミラーの作品に興味を持ちました。「類別トリック集成」では『眼の壁』(Wall of Eyes,1943)『雪の墓標』(Vanish in an Instant,1952)『鉄の門』(The Iron Gates,1945)について論じていますが、とりわけ『鉄の門』は「終りに近いところなど息もつげないほどの面白さがあった」「心理的純探偵小説の曙光」と高い評価を残しています。
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昨夜読んだばかりのマーガレット・ミラー(米)の「鉄の門」について一言する。これには近頃になく感銘したからである。(略)どう感心したかということは、短い文章では書けないが(いずれどこかへ詳しく書きたいと思っている)心理小説にして、しかも大きな謎が最後まで隠されていること、心理的伏線がいろいろ敷かれていて、読後思い当ることが多く、それが丁度物質的トリックの探偵小説のデータに当る役目を果していること、それらのデータは心理分析の角度から眺めてはじめて理解される底(てい)のものだから、裁判上の証拠になるような確実度はないが、心理的には物的証拠より強い同感があり得ることなど、私のいつも云っている「心理的手法による純探偵小説の新分野」を充分示唆するものである。
――江戸川乱歩『続・幻影城』より
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十六年前に故人となった、産婦人科医アンドルー・モローの妻ミルドレットのことを、彼女の親友ルシールが回想する場面から物語は始まります。
ミルドレットの死後、モロー家の人々の面倒をみるうちにアンドルーの後妻として迎えられたルシールですが、兄を溺愛する義妹イーディス、ルシールを目の敵にする継娘ポリー、無関心を貫くその兄マーティンら、モロー家の人々とは表面的な関係しか築けず、強い緊張を強いられながら、彼女はかろうじて家庭生活を維持していました。
そしてある冬の日、謎の男がモロー家へとやってきて「特別配達」と称するルシール宛の小箱をメイドに渡します。その箱を受け取ったルシールは、何も言い残すことなくその日のうちに行方をくらましてしまいます。……この謎めいて魅力的な冒頭から、物語は思いもしない方向へと舵を切っていきますが、ここから先は読んでのお楽しみということで。
ミラーの著作の特徴として挙げられるのは、まずなんといっても「クライマックスの衝撃」、そして「心理描写の妙」ですが、初期の作品に類する『鉄の門』にもその片鱗は十分にうかがえます(とくに終盤は、乱歩の感想通り、息もつけぬほどの異様な緊張感に満ちています)。後者については一見に如かずということで、本文より主人公のルシールの心象風景を描いた部分から引用してみましょう。
彼女の夢見る心は、忘れようのない無意識の荒野で、さまざまなイメージに取り囲まれて動いていた。その光景は永遠にくり返されるのに、いつも初めて見るようだった。点々と足跡が続く雪原を、かもめのように、悪霊のように、歩いていく。足跡は残らず、影を落とすこともない。鉄の門が少し開いたまま後ろにある。頭上には、空が弧を描いてかぶさっている。平然と、どっしり構えているところは、まるで口を開けたはさみ罠のようだ。
「かもめのように、悪霊のように(like a gull,like a ghoul)」と頭韻を踏んでいる箇所などは、いかにもミラーらしい表現ですが、(ミラーのこういったテクニックについては『狙った獣』の宮脇孝雄先生の解説に詳しいです)、この情景描写の一語一語にまでこだわりぬいた文章は、一読忘れがたいものです。
せっかくなので、既刊からも今思いつく限りを下記に引用します。ぜひ皆さんも、ミラーの小説にちりばめられた美しい文章を探してみてください。
彼女は鏡という水晶玉を凝視していた。そこには未来と、記憶の毒に冒された夜と、欲望に蝕まれた昼があった。(『狙った獣』)
男はときどき、都会の住民がみな鳥に変わるという幻を見た。街路や高速道路でふいに車が永遠に停止してしまい、その窓から鳥たちが飛び立つ。(『まるで天使のような』)
この言葉に、ミセス・フィールディングが椅子からはっと飛びあがった。走者がスターターの銃声で飛び出すのに似ていた。しかし走っていくべき場所はどこにもなかった。(『見知らぬ者の墓』)
顔つきもきびしく重々しく、彼女は窓の外にじっと目を向けていたけれど、まるで頭がすっかり軽くなりからっぽになった心地、何か彼女には理解の及ばぬ魔術によって解放された無数の、湧きかえる小さなシャボン玉が、頭のなかで渦巻いているようだった。(『殺す風』)