「馥郁(ふくいく)たる余情」、こう書いて評を終わらせたくなる小説に出会った。マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』(田栗美奈子訳 作品社 2600円+税)にそのような余情をもたらすのは、語り口(ナラティブ)である。主人公ナサニエルは、14歳もしくは28歳と若いけれど、述懐の雰囲気が老成すらしている。美しく整えられた文章には、懐旧の情を主軸とした様々な情感が静かに乗せられていく。隅々まで主人公の呼吸が行きわたる中、読者は彼の来し方を共に振り返ることができるのだ。
第一部は1945年の戦時下ロンドンが舞台である。ナサニエルは、戦時下に両親が仕事で海外に行くということで、ロンドンに姉と残され、彼らの世話をしてくれる男《蛾》と自宅で同居を始める。《蛾》の仲間と思(おぼ)しき人間が入れ替わり立ち替わり家にやって来るのだが、彼らは悉(ことごと)く胡散臭(うさんくさ)い。ナサニエルは彼らとの出会い、交流、別れを経験し、やがて同年代の少女と恋に落ちる。充実する生活。だがそれは唐突に断ち切られる。
続く第二部は時代が飛び、ナサニエルは28歳になっている。政府機関の職務に就いた彼は、戦時下の母の行動を調べる。第一部で密(ひそ)かに張り巡らされていた伏線が次々と開花し、真実が明らかとなる中、ナサニエルの語りは遂に一人称を飛び出し、三人称で母の過去を幻視するに至る。
小説というものが人間を描くものだとすれば、本書は完璧な小説である。ナサニエルも兄も母も《蛾》も恋人も、父代わりの胡散臭い人物も、その人格が鮮(あざ)やかに立ち現れる。追憶という名のヴェールを付けているからか、描写のいちいちが美しい。本書の全てが、読者の心に染み渡る。
作者オンダーチェは、1943年生まれのカナダ在住作家で、代表作は『ビリー・ザ・キッド全仕事』『イギリス人の患者』などである。後者はブッカー賞を受賞した他、50年の歴代受賞作品の中から、ファン投票により「ゴールデン・ブッカー賞」に選ばれた。かような作家が、ミステリと呼べる小説を書いたのは幸運である。
主人公のドラッグ・ディーラー、ジャックの一人称の語り口がとにかく饒舌(じょうぜつ)なのである。そして自己主張が激しい。階下に住む老女が殺害される。ジャックはこれを縄張り荒らしだと一方的にみなして、《落とし前》を付けさせるべく、凄腕暗殺者集団《セヴン・デーモンズ》との対決に雪崩(なだ)れ込む。別にそんなことをする義理も必要もない上に、あなた殺し屋じゃなくて薬の販売人ですよね、などと私は思うのだが、ジャックの辞書に遠慮や容赦の文字はなさそうである。様々な策を弄(ろう)して周囲の状況を振り回すのはもちろん、地の文でも極限なまでの饒舌を弄し、どんな場面でも長々と勢いよく自分語りを披露する。そして他の登場人物の台詞(せりふ)は全て地の文に埋め込む。
つまり本書にはカギカッコ「」が存在せず、文章これ全てジャックの独白なのだ。他の人物もかなり喋(しゃべ)っているにもかかわらず、「」は与えてもらえないのだ。加えて、ジャックは実際の対人態度もえげつなく、相手を煽(あお)っているとしか思えない言動が頻発する。当然、ジャックは人によく逆上されている。えげつないのは言葉のみならず、敵に対する攻撃も徐々にエスカレートし、頭脳戦も激しさを増す。何もかもが終始ハイテンションで進み、その象徴が語り口なのである。その猛威に酔おう。