巻頭の表題作は、人が死んだらその肉体を捌(さば)き、調理して食す儀式を執り行うのが当然となった世界が舞台。式には若い人たちがたくさん集まって食事するなかで、相手を見つけたら退席して“受精”を行うという習わし。命を見送ると同時に、命を迎え入れようというシステムだ。
次の「素敵な素材」は亡くなった人の髪や爪から洋服やインテリアを作ることが当たり前となった社会の話。ただし、主人公の婚約者である青年はその風習に拒否感を示すのだが、ある出来事を経て、彼の心は大きく揺らいでいく。「素晴らしい食卓」では通信販売の人工的な冷凍食品を食べている主人公夫婦、架空の魔法都市の奇妙な料理を自分で調理して食べる妹、お菓子とポテトフライしか食べない妹の婚約者と、その両親との会食で妹が料理を振る舞うことに……。皮肉だが鋭い指摘のこもった結末がいい。
2009年から昨年までの間にさまざまな媒体で発表された12篇を収録。自分の思い込みや既成概念を疑う姿勢は変わらないものの、その描き方や発想の暴走っぷりの変遷(へんせん)が垣間見えてきて、村田沙耶香のブレなさと、ブレないままにどんどん上昇している様子がはっきり分かる。短篇ならではの大胆な設定や切れ味のあるオチなども痛快で、今後も長篇中篇はもちろん、短篇も書き続けてほしいと一読者として思う。
で、これまた短篇の巧(うま)さに唸(うな)ったのが河﨑秋子の『土に贖(あがな)う』(集英社 1650円+税)だ。自身も北海道で羊飼いとして暮らし、北の土地の過酷な自然や動物とともに生きる人間たちを描くことを得意とする著者ならではの作品だ。
テーマは開拓以降の北海道での産業のトライ&エラーの歴史と、そこに生きた人々。かつてこの地で意外な産業があったことも分かる。たとえば、かつては桑があったため養蚕(ようさん)が盛んとなるが、足りなくなって本州から苗を持ち込んだところ、やはり寒冷な気候に耐えられずに育たず、産業自体が衰退していったという。養蚕で一財産を築いた家に生まれた少女の目を通してその栄枯盛衰(えいこせいすい)を描き、彼女の暗い未来を予感させる「蛹(さなぎ)の家」。
毛皮を採るためにミンクの養殖をしていた男の末路を、現代から振り返る「頸(くび)、冷える」。また、かつては野生の鳥を撲殺して羽毛をむしり取るために多くの人が雇われており、その行為に快感をおぼえた男が南の島や北の地へと彷徨(ほうこう)する「南北海鳥異聞」。今でも名産品として好まれているハッカ油の生産が全盛期だった頃を、一人の女性の人生を通して描く「翠に蔓延(はびこ)る」。農耕や重量物の運搬に必要だった馬の蹄鉄(ていてつ)屋の家の息子が、大人になって少年時代の馬の思い出を振り返る「うまねむる」。赤レンガ工場の過酷な労働に疲弊(ひへい)していく人々を描く表題作……。
人物の置き方、エピソードの濃さと深さ、構成の巧みさにどれも心底酔いしれた。小説誌に発表されたものだが、一篇一篇、文芸誌に掲載されていても納得できる。純文学とエンタメの垣根を越えたハイブリッドな作品を書いていく作家だと思う。