ピーター・スワンソン『ケイトが恐れるすべて』(務台夏子訳 創元推理文庫 1100円+税)は、ロンドンとボストンの間で織り成されるサスペンスだ。前作『そしてミランダを殺す』で見られた意想外な展開で魅せる作風は今回も健在である。
ロンドンに住むケイトは、ほとんど交流のない又従兄弟(またいとこ)コービンと半年間自宅を交換することにし、ボストンにやって来た。だが到着してすぐ隣室の女性が死体で発見される。アパート住民アランは、その女性とコービンが恋仲だったと主張するが、コービンは否定。困惑するケイトは、更に不気味な事態に巻き込まれていく。
パニック障害を持つケイトの不安定さ、隠し事があるらしいコービンの怪しさ、窃視癖(せっしへき)があってこれまた全面信用ができないアランなど、主要登場人物には癖がある。しかも、自分が語り手を務めるパートで嘘はつかないが、小出しにしか語らないことはある。このため、小出しが読者にとっては不意打ちになる状況も多発する。これは作者の計算勝ちだろう。最終的に明らかとなる事件全体の構図も、なかなか味わい深い。全篇を覆う、緊張感と不安感もミステリ・ファンには心地いいはず。
最後に、ドン・ウィンズロウ『ザ・ボーダー』(田口俊樹訳 ハーパーBOOKS 上巻1296円+税、下巻1324円+税)に触れておかねばなるまい。これは、『犬の力』『ザ・カルテル』と続いた、麻薬取締局(DEA)捜査官アート・ケラー・シリーズの完結篇だ。麻薬王アダンの死は、麻薬戦争に更なる混沌をもたらした。アダンの後継者を狙う抗争が勃発(ぼっぱつ)したのだ。一方ケラーは、アメリカからの金の流れを断つ行動を起こすが。
アメリカ、メキシコ、麻薬の全てを描き出さんとする壮大な群像劇。それに尽きる。誰がいつ何をどうするかといった粗筋(あらすじ)解説、およびそれへの管見開陳(かいけんかいちん)は、ここでは割愛(かつあい)する。肝心な点のみ指摘しよう。
前二作で麻薬&メキシコというフィルターを通して描かれていた、アメリカ社会の矛盾と闇は、本作において遂にメインに躍(おど)り出る。麻薬市場の基盤そのものであるそれらは、もちろん批判的なトーンで描かれている。解説の杉江松恋氏が述べる通り、作者の念頭には、全責任をメキシコに押し付けて排外しようとするドナルド・トランプの存在があるのだろう。だがそれにしてもこの熱量と質量たるや……。しかもそれを娯楽小説という形へ完璧に落とし込んでいる。
もう一つ。この三部先は主要登場人物の物語としては一応の完結を間違いなく見た――小説としては華麗に終わったとすら言えるものの、アメリカ/メキシコ/麻薬の諸々には一切何の決着も付いていない。それが、読者にしっかりはっきり伝わるように書かれているのだ。これは、作品が「世相、社会、国家」と「個人」とを深く鋭く広く分厚く抉(えぐ)り取った証拠に他ならない。語彙力(ごいりょく)をゼロにして言おう。圧巻です。