先鋭的な手法を駆使して文学の可能性を拡げ、斯界に特異な地位を築いた福永武彦。
王朝文学からフランス文学まで、創作のみならず広範な評論活動を展開した中村真一郎。
数多くの文学賞に輝き、豊饒な戦後日本文学の中でも類を見ない偉大な足跡を残す丸谷才一。
戦後日本文学史に小説と評論の両領域で名を刻む三人の文学者には、ある共通点があります。三人とも、熱心な推理小説愛読家であったことです。
福永氏は推理小説好きが昂じて、加田伶太郎という筆名で推理小説を執筆、それら作品群は『加田伶太郎全集』と題して刊行されています。精緻な論理と遊戯性を見事に共存させた短編の数々を以て、推理作家の都筑道夫氏も「日本の推理小説の歴史のなかで、きわめて重要な位置をしめるもの」と評しました。
中村氏も『黒い終点』(彌生書房)を始めとして推理小説的趣向を凝らした小説を長編と短編ともに書いているほか、ボアロー、ナルスジャック『私のすべては一人の男』(早川書房)や〈異色作家短篇集〉(同)の一冊であるマルセル・エイメ『壁抜け男』の翻訳も手掛けています。
丸谷氏も同様に、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」などの翻訳が著名です(それらは創元推理文庫『ポオ小説全集』や中公文庫『ポー名作集』で読むことができます)。晩年も国内外の推理小説を古今と問わず旺盛に漁読、書評を寄せていました。推理小説に関する文章は『快楽としてのミステリー』(ちくま文庫)に集成されています。
文学界きっての推理小説愛読家であった三人は、1950年代後半から60年代前半にかけて読書エッセイを書いていました。福永武彦「深夜の散歩」、中村真一郎「バック・シート」、丸谷才一「マイ・スィン」――早川書房の雑誌〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉(現〈ハヤカワミステリマガジン〉)でバトンを繫ぐように連載されていた三つのエッセイは、1963年にハヤカワ・ライブラリという新書版叢書から刊行されました。初刊から10年以上が経った78年に増補のうえ「決定版」と題して講談社から再刊、その後には文庫化もされています。
推理作家であり翻訳家としても著名な小泉喜美子氏は「私は雑誌連載当時からこれに読みふけり、一冊にまとまってからは自分の“バイブル”として座右に置いてはひもといてきた」と愛読して、評論家の瀬戸川猛資氏は「日本のミステリ出版物の中においては全くの異色であり、ほとんど無比の存在といってもいい」と讃えた一冊です(『深夜の散歩』初刊から二十年以上のち、瀬戸川氏は名高きエッセイ『夜明けの睡魔 海外ミステリの新しい波』を刊行します。同書も『深夜の散歩』と同じく〈ハヤカワミステリマガジン〉で連載されていました)。
推理小説を読み解く愉しさを軽やかに、時に衒学的に、余すことなく語り尽くした『深夜の散歩』は、日本の推理小説評論を更新させた歴史的名著といえます。
東京創元社が文庫創刊60周年を迎えた2019年、初刊から五十年以上を経て、『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』は新たな装いで創元推理文庫より刊行を予定しております。