イアン・フレミングの007シリーズ第一作『カジノ・ロワイヤル』が世に出たのは、1953年のことでした。日本で最初に邦訳がでたのは、原著54年刊の第二作目『死ぬのは奴らだ』で、57年のこと。都筑道夫が、たぶん売れないだろうと思いながら出したことは有名です。実際、このころまでは、評判は悪くなかったようですが、大ヒットと呼べるものではなく、世界的なヒットとなるのは、ジョン・F・ケネディ大統領が愛読書としてあげ、1963年の映画「ロシアより愛をこめて」が当たったことによります。ちなみに、原作となった小説の邦題は『ロシアから愛をこめて』と、少々まぎらわしい。そもそも、日本初公開時の映画題名は「007危機一発」というもの――一髪ではありません――でした。
スパイは売春とならんで、世界最古の職業と言われていますが、スパイ小説は20世紀に入ってから登場しました。という書き方は、スパイ小説の解説の定番ですが、その出所は、エリック・アンブラーがスパイ小説のアンソロジー『スパイを捕まえろ』を、1964年に編んだときに付した序文「ごく短いスパイ小説史」です。この文章はミステリマガジン1977年9月号のスパイ小説の特集号で、まず翻訳され、81年に『スパイを捕まえろ』が荒地出版社から出たときにも、当然付けられています。しかし、それ以前に、これをアンチョコにしたであろう解説を、いくつも読んだ気がします。そのくらい有名で、かつ、他に適当な文章がないのでしょう。
アンブラーは、1903年にアイルランドのアースキン・チルダーズが書いた『砂洲の謎』を最初のスパイ小説としています。わずかに遅れて、ジョゼフ・コンラッドの『密偵』(07年)と『西欧人の眼に』(11年)が続きます。ただし、帝国主義を背景にしたナショナリズムの高揚が、冒険小説と結びついたところに生まれたのが、スパイ小説とするならば、コンラッドの小説は、いささか趣きが異なる。実際、スパイ小説と呼ばれず、政治小説と呼ばれることも多いのです。むしろ、ウィリアム・ル・キュー、エドワード・オッペンハイムといった作家が、そういう意味での、スパイ小説のプロトタイプを、まず作った。こうした小説――さらに、その後継者である、ジョン・バカンも含めて――の多くは、ドイツを敵役としており、それに対して、コンラッドや、あるいはチェスタトンの『木曜の男』が描くのが、アナーキストであるという違いもあります。そして、いずれも、長編小説を中心にして書かれ、発達してきたという経緯があります。『スパイを捕まえろ』というアンソロジーを編んだアンブラーその人が、序文で「スパイ小説でいい短篇というのは驚くほど少ない」と書く始末です。
第一次大戦とその前夜は、スパイ小説の恰好の舞台でしたが、戦争が終わったのちに、スパイ小説に転機をもたらした一冊が書かれます。サマセット・モームの『アシェンデン』です。1928年のことでした。この小説が、モームの実体験をもとに書かれたことは有名ですが、諜報活動を淡々とこなしていくアシェンデンには、ナショナリズムの匂いがしません。脈絡がなく、あるときは行きあたりばったりにさえ見える、その行動と、それを綴っていく構成も、スパイ小説として破格でした。『アシェンデン』を連作短編と読むことは可能でしょうが、私がどうしても、それをしたくないのは、連作短編と見まがうばかりの脈絡のなさ、エピソード間の関連の緩さ、締まりのなさといったものが、すべて、この小説が、リアリスティックな長編スパイ小説であるために必要だったと思うからです。とはいえ、スパイ小説のアンソロジーを編めば、『アシェンデン』からひとつ選ばれるのは、ほぼ必然。アンブラーは「踊り子ジューリア・ラッツァーリ」を選び、丸谷才一が「売国奴」を選ぶ(『世界スパイ小説傑作選1』)のも、また事実なのです。
1930年代に入って、グレアム・グリーン、エリック・アンブラーが出て、リアリスティックなスパイ小説が、本格的に書かれ始めることになります。各務三郎が言うところの「冒険小説の持っていた波乱万丈・荒唐無稽な活劇譚の楽しみを読者から奪い去る悪業をなしつつ、恐怖小説への転生というあざやかな離れわざをなしとげ」たのでした。
60年代のスパイ小説ブームに入る前に、ざっと、黎明期のスパイ小説に目を通しておきましょう。丸谷才一編の『世界スパイ小説傑作選』全3巻は、まんべんなく集めていて、概観するには便利なアンソロジーです。第1巻では。エドガー・ウォーレスの「コード・ナンバー2」が「秘密情報部がみずからを秘密情報部などと、メロドラマがかった呼び方をすることはない」と始まりますが、中身はドイツ大物スパイを炙り出すという、ディテイルの雑な大メロドラマでした。デニス・ホイートリイの「エスピオナージ」は、フランスでたまたま列車に乗り合わせたノルウェー人が、行方をくらましていたドイツのスパイだと気づくという、偶然から始まって、これまた、都合のいい展開の話です。このあたりの作品を読むと、アンブラーやグリーンならずとも、もう少しまともなものが書けやしないかと思いそうですね。
同じようなことは第2巻の、オッペンハイム「セルビアの女」にも言えて、外交官の弟が首相に渡すため、暗号を解読した書類を盗まれたと、その姉が、ピーター・ラフを訪ねてきます。怪しげな容疑者の中から犯人探しをするという、ミステリに接近した話ですが、それにしては推理の面白味に欠けます。それに比べれば、アンブラーのアンソロジーに入っているジョン・バカンの「いやな相手」は、読ませます。第一次大戦中に、ドイツの暗号文解読にあたっていた主人公たちを悩ませていた、解読不能の暗号がある。あまりに難攻不落なので、いつしか、その暗号を作ったのが、どんな人間なのか勝手に思い描くようになっていく。戦争も末期、それまで完全だった、件の暗号の使用者が、わずかなミスをしたために、主人公たちは、それにつけこんで一気に解読してしまいます。戦争が終わり、健康を害した主人公たちは療養のためにドイツを訪れて、かの地で彼らの治療にあたったのが……という話。安易な偶然の利用と言えばそれまでですが、因果噺となっていました。『矢の家』で、ミステリファンにはおなじみのA・E・W・メイスン「パイファ」は、ジブラルタルを舞台に、ドイツのスパイ将校パイファが、こちら側に寝返るという話をもちかけます。しかし、ジブラルタルで行方をくらました6時間の間に、何をしたのか、何もしなかったのか?
同じ大衆的な作風でも、これらの作家より、一枚上手と感じさせる作家もいます。
まもなく出る、本稿をもとにしたアンソロジーの第一巻で「霧の中」という作品を紹介した、リチャード・ハーディング・デイヴィスの「『フランスのどこかで』」は、フランスに潜入したドイツのスパイを主人公にしたという点で、異色の作品となっています。その女スパイ・マリーは、愛国心からというよりも、陰謀そのものが好きな女という設定で、これは敵国ドイツのスパイだから、可能になったものかもしれませんが、結果として現代的なスパイ像となりました。フランスの軍人ドーリャック伯爵の夫人になりすまして、戦線を越えてフランス領内に入り、暗号無線で情報を送るという任務につきますが、いざという時は、無線係の部下をスパイとして売ることで、自分の身の安全を図るように、作戦がたてられている。しかも、本物のドーリャック伯爵がパリにいて、そこにお連れするようにと頼まれた、伯爵の友人が登場し、危機を迎える。話の仕組み具合も、サスペンスもあって、読む価値のある一編でした。
J・S・クラウストンの「封筒」は、第一次大戦中の、スコットランドの軍事区域に向かう列車に乗り合わせた、六人の男たちの話で、英軍将校もいればオーストラリア軍も、イギリスの民間人である官吏もいる。その中の将軍が下車したのちに、コンパートメントから封筒が見つかります。ケルンの住所とドイツ人らしき人名の語尾が書いてある。中身は空です。誰が落としたものか分からないが、敵国ドイツとの連絡の痕跡は、いかにも怪しい。五人はそれぞれ異なる生き先ながら、同じ駅で降りて、官憲に知らせることにします。やや偶然に頼った気味はありますが、疑心暗鬼になった男たちの室内劇を描いて快調でした。
もっとも、これらの短編に比べれば、ジョゼフ・コンラッドの「密告者」(諜報員)は、小説の構え方が、そもそも違います。「私」は知人から紹介された左翼系の物書きであるX氏の話を聞いている。彼が話すのはアナーキストのアジトが、さる政府高官の姉弟の持ち物だったという暴露でした。そのアジトはプロパガンダの文書の印刷所でもあったのです。しかし、どういうわけか、そこでの活動は肝心なところで失敗に終わる。どうも官憲のスパイがいるらしい。X氏たちはスパイに罠をしかけるために、警察の手入れを偽装するという作戦をたてます。その謀略作戦がもたらすサスペンスもありはしますが、一番の美点は、政府高官の娘であるアナーキストの女性を描く巧みさで、X氏が著作で儲けることが出来たその読者は、飽食したブルジョアで、自身も高級料理店で食事をするというアイロニーは、さすがです。コンラッドには「無政府主義者」という短編もあります。アナーキストが解放を目指しているはずの労働者が、逆に彼らによって生きる術を失くし、孤島――そこは搾取の牙城でもある加工食品の産地でもある――に流され、彼らを憎むに到る過程を描いて、これまた皮肉な一編です。そこには、社会の矛盾を下層階級に押しつけることも、それに反旗を翻し、改革を叫ぶのも、ともに、富裕層の掌上のことだという、苦い観察があるのです。
丸谷才一のアンソロジーの第二巻には、パール・バックの「敵は家のなかに」という珍しい作品も収められています。パール・バックの書いたスパイ小説というだけで、身を乗り出すに充分です。これまでの作品と比べて、時代はやや下ります。日中戦争のさなかに、中国人の主人公がアメリカ留学から帰国してみると、北京の我が家には、日本兵の一群が出入りしている。父親は漢奸となっていたのでした。日米開戦前とはいえ、すでに両国関係は緊張しつつありますから、日本が敵役となるのは珍しくないにしても、アメリカ人が出て来ないのが、パール・バックならではです。父親に幻滅した主人公は、妹とともに、どうやら共産軍らしい抗日戦線に身を投じるため、北京を出て西に向かいます。
この作品をスパイ小説と呼ぶのは、少し強引な気もしますが、スパイ小説のアンソロジーにパール・バックの名前が並ぶなら、目をつぶるくらいの強引さではあります。以前エラリイ・クイーン編の『犯罪文学傑作選』に、パール・バックの「身代金」が選ばれたときにも、同じようなことを書きましたが、彼女はミステリやスパイ小説を書くつもりはなかったのでしょうが、同時代のホットな題材を誠実に描くことで、ミステリに近づき、ミステリの手法やそれに近いものを、自身の小説に持ち込んだというのが、実際のところでしょう。
スパイ小説の発生の背景には、19世紀末のドレフュス事件の影響を指摘する声があります(ただし、アンブラーは、ことはそう単純ではないと言っている)。フランス革命から100年が経過し、政治も軍事も一般庶民の関心事にまで降りてこようとしていました。それを後押ししたのが、新聞を中心とするジャーナリズムです。国民的盛り上がりなしには、帝国主義とナショナリズムの隆盛はありえません。その空気が冒険小説と結びつくことで、スパイ小説は生まれました。一方で、植民地を舞台にした小説は、現在冒険小説と呼ばれているか否かにかかわらず、ロバート・ルイス・スティーヴンスン、ライダー・ハガード、ラドヤード・キプリング、ジョゼフ・コンラッドなど、大繁盛です。
通俗的なスパイ小説に見られる、冒険小説とナショナリズムとの結びつきは、安易かついささかファナティックでさえあったため、『アシェンデン』以降のスパイ小説の変革――各務三郎の言う「恐怖小説への転生」――が起きたように、私には見えます。では、ナショナリズムと結びつかなかった冒険小説はなかったのか。その多くは、リアリズムを放棄することで、生き延びたように思えます。代表例が、スパイ小説の変革と入れ替わるように登場した、エドガー・ライス・バローズでしょう。以後、ヒロイック・ファンタジーやスペース・オペラも含めて、冒険小説はリアリズムと手を切っていきます。すでにして、アンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』の舞台であるルリタニアさえ、神話的雰囲気を漂わせていました。
そんな時代にあって、珍しい例外をひとつ紹介して、今回の締めくくりとしましょう。カール・スティヴンスンの「黒い絨毯」という1938年の作品です。南米の農場主が主人公ですが、彼のもとへ、蟻の大群が押し寄せてくる。数を頼みに、あらゆる動物を食い尽くしながら進んでくるのです。主人公は自分の農場を守るために、堀を作り、守りを固めます。一切の状況説明もなく、蟻の襲来から始まり、人間対蟻の戦いの一部始終が描かれるだけの小説です。パニック小説と呼ばれることもあるようですが、54年にチャールトン・ヘストン主演で映画化されたものが知られたためでしょう。しかし、冒険小説の古典として、この作品があげられることもあり、私も、その意見に賛同します。先進諸国の国際利害関係とは無縁の、しかし、ファンタスティックな世界ではない舞台が用意された、手に汗握る冒険小説が、ここにはありました。しかし、それは例外的なことであり、また、実際の戦争が二度、世界を巻き込みました。二度目の戦争が終わったとき、ドイツは敵国たる力を失っていましたが、新しい社会が、これまた、恰好のスパイ小説の舞台を提供することになりました。東西冷戦の始まりです。
※ EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)