衣服、トイレ、入浴、ダイエット、結婚、初夜、避妊など、約200点の図版を交えて、ヴィクトリア朝時代のイギリスやアメリカの女性のありのままの暮らしを紹介する『ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド』。今回は序文の全文をお届けします。



序文・こんにちは、自堕落さん

 来てくれてありがとう。どうぞ、ここにかけて。
 あなたと親しくなりたいの。一緒に旅をするのだから、うちとけた間柄にならなきゃ。これは親しい者同士の旅よ。
 私はあなたを違う世界に連れていけます。それを聞きつけて私のところへやってきたのね。
 物事がもっと単純だった時代が大好きなんでしょ? ヒロインがペチコートをはき、ドラマチックな場面でかたく結った長くてきれいな髪をほどき、父親が選んだ花婿候補を気にいらず「パパー!」と叫ぶ映画に目がない。
 あなたの知る19世紀の世界は、騎士道と名誉が重んじられ、貴婦人と陽気な使用人が生きる世界。そこにあなたはお客や観察者として今まで何度も入りこんだ。誰ひとりとしてうんこをしない世界にいるあいだ、風に吹かれるあなたの心は黒い瞳をしたヒースクリフ(エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の主人公)のことでいっぱいだった。明々と照らされた舞踏室では豪華な絹のドレスがくるくる舞い、きれいにひげを剃った若い殿方は欲情をくすぶらせ、淑女は機転をきかせて殿方の誘いをかわした。
 私ならあの世界をおおうベールをさらに剝がすことができると信じているの? ええ、そのとおりよ。私はあなたをそこに連れていけます。そしてあなたは過去の時代の真実を知り、涙を流すでしょう。
 それはうれし涙とはかぎりません。淑女が涙を流す理由はいろいろ。不満。失望。向きを変えた風とともに漂ってくる工場の強烈な悪臭。
 あなたの愛する19世紀の物事の多くは真実ではありません。絵や本や映画の中の世界に入りこむあなたを迎える親切な主人役は、物事の姿を繕います。あなたが見るのは、主人役があなたに見せたいと思う物事の姿でしかない。
 でも、私の提案どおりにあの世界で暮らせば、いずれ真実が見えてきます。
 噓より真実のほうがいいでしょ。
 一緒に旅をしながら作り事をうち砕きましょう。私が本当の19世紀の世界を案内するから。
 私はそこで生きていくために知っておくべきことを教えます。例えばトイレとその数が絶望的に少ないことについて。もっと重要なのは用の足し方。誘惑した罪で逮捕されないように揺れる乳房を包み隠す方法、精神病院で氷水浴をさせられるはめにならないために社会でどうふるまうべきかについても教えます。21世紀の女性であるあなたは男性との正しい接し方を知らない。19世紀の世界では、男性とのかかわりあい(否応なしにかかわることになる)は生活の一番重要な部分を占めているから、学び直してもらいます。
 21世紀と同じように過ごしたら苦しむことになります。楽な服装をし、自由に話し、毎日身支度に5分から20分しかかけないなら、19世紀の世界では「自堕落女」と呼ばれてしまう。だらしなく無作法で惨めな、女として終わっている人間。
 そんなふうにはなりたくないわよね?
 おお、あなたは本や映画の世界にいるミス・スカーレットやミス・ベネットのまねをすればいいと思っているかもしれない。でも彼女たちは、自分たちの世界の客間を見せるだけ。そこでは男性が女性の目を見るだけで一生女性の虜になり、女性は経血量の多さに悩まされない。彼女たちをまねるだけでは、ハウスメイド(家事全般を担当する使用人)が19世紀版多い日用タンポンをどこに置いているのか分からない。置いているのはトイレのそばではありません。トイレは戸外の穴やおまるです。お尻をおろしてそれに排泄します。それから下着は曲者。ある理由からどの下着も股の部分が縫いあわされていません。あなたはジェーン・エアを描いた映画を一本残らず観ています。けれど、それらの映画には、股の部分が縫いあわさっていないその理由が分かるような場面はひとつもない。

victorianlady

 だから私がその理由を教えます。
 もちろん、旅の簡単なルールを受けいれてもらうわ。
 ルールその1。私は気まぐれに絶大な権力を振るえる。
 以上。
 私は予告なしに時空を移動し、さまざまな階級の社会でいろいろな年代の生活をあなたに体験させるつもりです。そうすれば愉快で大切なことをたくさん知ることができます。
 あなたは裕福な若い白人女性として19世紀の世界におりたちます。住む場所はアメリカか西欧諸国。あなたが体験することは、この時代の女性の多くが体験することとそれほどかけ離れていません。貧困、争い、暴力が地球上に蔓延していて、女性はその害をこうむる。女性はよく、古の世界のヒロインになった自分を空想します。絹のショールや手刺繍が施されたリネンのナイトガウンをまとうヒロイン。現実には、リネンの原料となる亜麻を収穫する奴隷、亜麻の栽培予定地から追いだされるアメリカ先住民、燃えつきそうな蠟燭のあかりを頼りに華やかなナイトガウンを縫う、視力のほとんどない飢えたお針子になるべく生まれる可能性も大いにあります。
 この旅では、おもにヴィクトリア朝時代後期(1890―1901年)の世界をめぐりますが、ときどき1837年から1901年にいたるヴィクトリア女王治世の前後の時代に関する情報や絵に触れてもらいます。あなたの体験の幅が広がるから。それが私の喜びでもあるから。
 カーテンが引かれた後やスクリーンが暗くなった後、上品で生き生きしたヒロインになにが起こるのか知りたい。画面に映っていない世界を探究したい。そう思っているんでしょ? 私には分かるわ。本や映画の多くは、言わば芳香を放つ爽やかなビールの泡をあなたに与えるだけです。私が与えるのは、その下にある苦みのある黒っぽいビール。これは強烈よ。でもその味を知ったら、あなたは泡だけでは満足できなくなるでしょう。

【ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド 目次】

第1章 服を着る――恥ずかしい部分を上手に隠す方法
第2章 バケツに排泄する――忌まわしき生理的欲求
第3章 油断ならない入浴
第4章 月経――あなたはまちがっている
第5章 ダイエット――あなたは小さなプディングバッグ
第6章 美――焼き、厚く塗り、詰める
第7章 求愛――自分からは言い寄らない
第8章 結婚初夜――ばかな殿方と契りを結ぶ
第9章 避妊とその他の神を冒瀆する行為
第10章 良き妻――夫をできるかぎり怒らせないための方法
第11章 家庭を正しく営む――緩やかな支配
第12章 公の場におけるふるまい――辱めと危険と博物館を避ける
第13章 ヒステリー――ヴィクトリア朝時代の生活においてちっとも愉快ではないこと
第14章 秘密の堕落行為――「いぼと小さい乳首はこれに起因する」
結論 パンティが恋しい
謝辞 抱擁を! あなたに抱擁を!
参考文献
解説 村上リコ